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Day19】逢うべき人には必ず逢える

1.逢うべき人には必ず逢える

経営実践研究会の藤岡会長のFBを見て、自分自身が考えねばならない事がありました。
そこには、森信三先生の教えの1つとしてこうありました。

人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。
しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。

縁は求めざるには生ぜず。
内に求める心なくんば、たとえその人の前面にありとも、ついに縁を生ずるに到らずと知るべし。
森信三

そもそも電気工事士としての一工事者、電気工事会社の一代表者としての自分が、犬の住環境を通してその時は言葉としては知らなかった社会課題解決というもの考え始めたのは2016年の事です。

何人かの社外の人に話し、それは必要な事だとの賛同のようなものを得、そのまま社内のメンバーの賛同も得られるものと思い主要メンバーを集めキックオフをしました。

しかし社内メンバーの賛同は得られず、それなら自分だけで進めようと思いキノカという別会社をつくり、本体であるアイデンと二兎を追うように進めましたがうまくいかず、結局本体のアイデンの業績も悪くなり昨年においては何人かの大切な人も会社を去っていきました。

やはり電気工事会社が、犬と暮らす住環境という全く違う領域の、しかも利益のためというよりかはその業界にある課題を解決しようという、工事者であるメンバーにとっては何のメリットもないような、そういう事業を進めようとしている事自体が間違っているのかと1人で悩んでいました。

その中で、もう1つの会社であるキノカを休眠させ、犬事はしばらく心の中に押し込み電気工事会社の本業に集中せねばならないのかと考えるようになりました。
ただその反面、所在地の豊中市だけでも70社以上もある電気工事会社の中で、今日アイデンが潰れたとて誰が困るのか、本当に犬事の社会課題解決への取り組みを自分の中で止められるのか、止めていいのか、そんなことを毎日もんもんと考えていました。

2.出逢いの電話

事務メンバーが僕に渡してきたメモ。
犬の事業の話を聞きたいとの事ですと口添えがあった。

そんな時、1本の電話がアイデンにかかってきました。
会社をやっていると毎日いろんな営業の電話がかかってきます。
そのほとんどが事務方によりブロックされますが、「御社が手がけている犬の事業について話を聞かせてほしい」との内容で、リハビリ事業をされているというその電話の方がなぜ犬なんだろうと疑問を抱えながらも犬の事を聞いてくださるという嬉しさで、ぜひご来社くださいとお伝えしました。

そしてやってきたバーディーの野瀬さんという方から、経営実践研究会の話を聞かされました。
犬の事ではなかったのです。(笑)

ただ、その時は僕の方が自社の事を多く語ってしまい、経営実践研究会の中身をしっかりと聞く時間がありませんでした。
これも会社をやっていると、いろいろな会に誘われる事があります。
何回かゲストとして参加はしましたが、どれにも入会する事はありませんでした。
同じように、せっかく野瀬さんが神戸から来てくださったにもかかわらず、時間がなく会の趣旨がわからず、その時入会はしませんでした。

3.本当に必要なものは波のように訪れる

しかし、まさにこの言葉。
「人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。
しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。」

この言葉の通り、人でも人の集まりである組織でも、求め続ける限り、本当に自分に必要なものは波のようにちゃんと自分に繋がってくる。

縁と縁が繋がった運命的な呑み会。
ここから求めていた変革がスタートした。
2021年11月。

5年ほど前に出会い、当時から海外の子供たちのための事業をされていて僕がリスペクトしていた夢峰の内藤社長という方がおられますが、何とその野瀬さんと共に六甲山でタバコのポイ捨てアートというものをしているFBの投稿を見つけました。
2人が繋がっている事に驚き、内藤さんに連絡を取り3人で呑む事になりました。

そこで経営実践研究会が社会課題の解決を志す経営者の集まりだという事をようやく理解し、犬事の社会課題の解決を本業に絡ませる事を悩んでいた僕の心に何か光のようなものが差した気がして入会を決意しました。

それでも自社の現況に悩み、弱気になっている僕を見て、野瀬さんと内藤さんが更に四方継の高橋社長と会う機会を作ってくださいました。
高橋社長に今までと今現在の会社の状況を包み隠さず話しますと、1人でやろうとするからうまくいかない、組織でやらないと何事もうまくいかないよと言われました。

4.やっと訪れた変化の兆し

入会して6ヶ月、今では会社と僕個人にとって経営実践研究会は重要な道しるべとなりました。

高橋社長、内藤社長がご来社。
この日からアイデンメンバーに変化の兆しが。
アイデン関係性構築BBQ。
経営実践研究会の中尾さんのプログラムにアイデンメンバーも参画。
1年前では考えられなかった事。

そして社会課題解決という、経営者であろうが社員であろうがパートさんであろうが、誰しも無関係の人がいない経営実践研究会の学びは今やアイデンのメンバーにも浸透し始め、別会社を作ってまで1人で進めようと思った犬事の社会課題を本業に取り込める社内環境と関係性が少しずつですが出来上がってきました。

それにより、更に次のステップにも踏み切る事になりました。

人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢え、しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎないという言葉。
野瀬さんの電話のタイミングと言い、経営実践研究会との出会いと言い、本当にその通りと考えざるを得ません。

5.縁は求めざるには生じず

そして、その言葉の続き。
人の縁というものは、自ら求めなければ決して生まれない。
自分の中に縁を求める気持ちがなければ、たとえ目の前にいる相手でも、縁が生じるまでには至らない、ということを知っておくべきである。

これから更に出逢うであろう、会社や自分自身や自分が人生を背負う会社のメンバーにとって大切な縁を逃さないように、自分の志と行動に今一度問いかけねばならないと考える次第です。

考察

『逢うべき人』というのは、『自分の歩くべき道』の上で出会う人の事である。つまり、その道を歩いている人以外の人は、『逢うべき人』には出会えない。だからこのような言い回しになるのだ。なぜなら、人間というものは物心がついたときには、いや、つく前の段階から、幾多もの人に会っているはずである。

生まれた時、幼少の時、少年時代、近所に住む人、学校で。隔離施設に監禁されていない限り、『人には会う』わけだ。だが、それが『遭ってしまった人』か、『逢えた人』とでは、意味が違ってくる。

前者はどこか、『虐待や強要をしてくる理不尽な存在に遭った』という印象があり、後者はどこか、『自分の最深部まで理解してくれる人に逢った』という印象がある。それであれば、

 
遭った→会った→逢った

 
という順番で、その絆の深さや喜ばしさが深くなると考えられるわけだ。

自分のことを理解していない時期。つまり、『自分の歩くべき道』を歩いていない人が、どうして人に『逢える』だろうか。そこまで考えると、冒頭の段階で『誰にあおうとしていたか』はわからないが、『逢える』のだ。

 
『逢うべき時』に、『逢うべき人』と。
「名言」と向き合う

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