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イノベーション業務とDCAの関係

これまで見てきたように、PDCAサイクルの「P計画」ステップにおける「イノベーション」業務は、「必要な目標」を設定してさえやれば、それに向けての挑戦を続けるために・・・
 矢継ぎ早に次々とアイデアを繰り出して、
 あの手この手とプロとしての知恵やノウハウを駆使して、
 自らの力量をアップさせながら、
 仲間を増やしつつ、
 インフラを増強させ、
 これまでの実力ではできなかった高水準・新領域へ自社を高めていく、
というように組織を導いてくれます(後でこのあたりを詳しく述べます)。

ビジネス上の業務や社会活動において、「現価値」(たとえば、安全、衛生、快楽、自由、満腹、健康、長寿、便利、安心、平等、など)と両立しにくい価値、たとえば「環境(人間の生存条件)」とビジネスを”本気で(つまり「やってるフリ」「見せかけだけ」「ウォッシュ」ではなく)両立させよう”とすれば、「環境」という価値を大切にしながらビジネスをこれまで通り進めていくためには、そのための「マネジメント」(なんとかかんとかうまくやっていくこと)が必要となることはすでに書きました。

前回テーマの「メンテナンス」業務は、「設計通りに納期に間に合うように良品(コストアップさせず品質や寿命を落とさない製品)を作ること」が求められるため、リスク管理がお仕事の中心です。
つまり、再現性を追求している「メンテナンス」業務には、良くも悪くも自由度が少ないのです。
ここでは現状維持が最良の美徳ですから、「環境」などという(両立するには厄介な)新たな価値をいきなり守れと言われても土台無理な話なのです。

そこで、マネジメントシステムの枠組み「PDCAサイクル」の「P計画」ステップの二本柱のもう一つである「イノベーション」業務の出番です。
こちらは、「信頼を裏切らない」方ではなく、「期待に応える」方でした。

「期待」とは、「今困っていること」「放っておけないこと」を解決・緩和するために、「イノベーション」業務つまり「現時点の実力ではできない高水準に挑戦していく」ことになり、そのために「必要な目標」を設定することが肝要です(これも詳しくは後述します)。

ここで「できる目標」を設定してはダメです。
これは現状維持とも目標挑戦とも言えないどっち付かず中途半端なシロモノで、マネジメントシステムの骨格である「PDCA」の値打ちが台無しになってしまいます(これについても後述します)。

以下、今回はこのあたりを少し詳しく示していきます。

たとえば、「現価値」と両立しにくい難題である「環境」という価値における「必要な目標」を立てるとします。
ここでは地球温暖化を例に取ります。
地球温暖化をストップさせるためには、国連のIPCCという機関からの報告書によるデータから、「温室効果ガスの90%削減」が必要である、と提唱されています。
この報告データを採用しないように主張するのであれば、この報告データを覆すに値する科学的な立証責任が課せられますが、今のところ「そんなことにはならないよ」という類いの楽観的つぶやきや「そうとは限らないよ」というような根拠なき難癖ばかりで、IPCC報告に匹敵する水準の科学的な説得力のある発言を聞いたことがありません。
したがって、ここでは「温室効果ガス90%削減」を社会的なニーズとして認めて「必要な目標」を立てるための根拠にします。
温室効果ガスとは、二酸化炭素、メタンガス、フロンガスなどです。
これらの中で、最も厄介なのは二酸化炭素です。
量的に最大であることもさることながら、排出源があまりにも多く、取り締まることはおろか、それらすべてを把握することすら極めて困難であるという事情によります。
つまり、犯人が多すぎるのです。
それは「何をしても二酸化炭素の排出につながってしまう」ということであり、たとえば発電やガソリンなどのエネルギ-消費、鉄鋼などの資材製造、貨客の輸送、廃棄物の処理など、どれをとっても「現価値」を支えている不可欠な経済要素ばかりです。
しかも、これを90%減らすことは、生活や事業活動そのものを全般にわたって90%減らすことに等しい厳しさが要求されます。

ただし、これまでの技術水準であれば、という前提なので、発想の抜本的な転換で技術水準を飛躍的に変革してしまえば、絶望的に不可能というほどでもない、という点に救いがあります。

すでに述べた「イノベーション」業務とは、基本的に「現状否定」(現状に甘んじないこと)なので、発想は自由です。
「根源的なポリシー」(たとえば、丈夫なモノを作る、時間通りにモノを運ぶ、など)を見つめて、プロとしての知恵やノウハウを基軸として、自由な発想で、決して諦めずに、挑戦し続ける姿勢がこれまでも数々の飛躍を産み出してきました。
たとえば、「鉄は国家なり」というように、何でもかんでも材料に鉄を使っていた時代から、現在はいくつもの代替品が誕生しました。
たとえば、カーボンファイバー(炭素繊維)のゴルフシャフトは、鉄よりも丈夫であるばかりか、しかも「はるかに軽量」という付加価値もあります。
サービスの面でも、たとえば宅急便の誕生は戸別配送という利便性を産み出し、大きなゴルフバッグや温度管理に厳しい生ものまで、今では生活に欠かせないインフラに成長しました。
「丈夫な製品を作る」や「各戸へ物品を届ける」といった根源的なポリシーを踏まえてさえいれば、次々とアイデアを繰り出して「高水準・新領域」へと前進する具体的な解決方法の可能性や選択肢を見つけることは、その「企業・組織の力量」と粘り強さ次第、ということでしょうか。

この「企業・組織の力量」のところをもう少し詳しくいうと、PDCAサイクルの「DCA」の部分、とりわけ「D=Do実施」ステップが役立ちます。
ようやく本日の本題に入ります。

繰り返しますが、「P計画」ステップの「イノベーション」業務に対して、「今の実力ではできない高水準」の「必要な目標」が正しく立てられたことで、様々な変化・変更を余儀なくされます。
何の変化もなければ、せいぜい現状維持ですからね。

まず、「資源」に目を向けます。
いわゆる経営資源とは、一般に「ヒト(人材)、モノ(インフラ等)、カネ(資金)、情報(ノウハウ等)」といわれます(これ以上ある、との主張も承知していますが、ここでは最もシンプルなモノを採用します)。
「今の実力ではできない」のであれば、「できるような」メンバーを増やすことや、メンバーに「できるような」力量を身につけてもらう、と発想しますね。
メンバーを増やすことも、新規採用ばかりではなく、専門家と一時的に契約することや、不足している技術をもつ他社と共同事業を企画することも考えられます。
また、「できるような」高い力量を身につけるために専門教育訓練を受けることも通例でしょう。
このように「人的資源」に目処(めど)がつけば、「(必要な目標を達成)できるような」インフラ整備、「できるような」資金繰り、「できるような」新ルール体系の整備、「できるような」情報管理を進めていくことで、「単なる理想像」から「現実の形」へと前進します。
こうして、自然と自社の実力が飛躍的に向上していきます。

これが、もし、「必要な(高水準の)目標」を設定せずに、「(今の実力で)できる目標」に自ら値引きしてしまったら、「D実施」ステップへのモチベーションは生まれず(今のままでできますから…)、企業の実力も相変わらずそのままといった時間が継続します。

さらに、「PDCA」の「C=Check検証」ステップがなぜ必要かといえば、「イノベーション業務により高水準の目標に対する新たな人材やノウハウ」が実現すれば、これまで経験したことのない業務や物品に対する配慮として、どうしても検証が不可欠になることでしょう。
何の努力も変革もせずに「できる目標」であれば、検証などはムダに思えます。
そして、検証した結果を用いたさらなる改善の継続(PDCAの「A」)もまた、発想することすらないでしょう。

このように、正しく「必要な目標」を設定すれば「DCA」が不可欠となり、逆に「できる目標」に値引いて設定してしまえば「DCA」は不要となってしまいます。
これは、「イノベーション」業務を正しく扱っているかどうか、現状維持の水準に甘んじていないか、という自問のための試金石ともいえるでしょう。

さて、「必要な目標」の源となる「期待」、その「期待」を産み出す「困っていること、放っておけないこと」の典型例である「環境」を、これまで、現代の企業・組織にとっての難題として見てきました。

しかし、実は、よくよく考えてみると、「環境」という価値は、企業にとっての重要な価値基準である「コスト」とは、それほど仲が悪くありません。
「コスト」とは、つきつめれば最終的には「人間の労力」です。
私たち人類は「現価値」の増強と並行して、自分たちが「楽をする」方向へと邁進してきました。
人間が楽をすれば、労力が減少しますから、コストは下がります。
一つ一つ手作りの製品は、機械による大量生産の製品よりも高価です。
省力化、無人化という方向性は、楽をしたいという人間の欲求と合致しています。
そして、作らず、動かず、消費せず、廃棄しなければ、「環境」は保全の方向に動くでしょう。
このように、「コスト」あるいは省力化・無人化は、「環境」と相性が良いのです。
問題は、「環境」と「コスト」の間柄ではなく、「コスト」と「現価値」の間柄なのです。
人間の労力をかけずに現価値を維持・発展できれば、何の問題もありません。
私たちは楽をしながら現価値を得られます。
しかし、「働かざる者、食うべからず」というように、私たちは長年にわたって「楽をして価値を得ること」は不道徳であるかのように扱ってきました。
実際に、「一生懸命に働いた人たちに、より多くの報酬が与えられるべきである」という”常識”に、何の疑問も持たないのです。

ところが、です。
幸か不幸か、自動化という名の下に、省力化・無人化が進んでいます。
さらに、AI技術(脳)やロボット技術(身体)の急速な発展によって、この自動化の進展には加速度がつきつつあります。
我々の想像以上に早く自動化社会が成熟してしまうかもしれません。

この自動化トレンドが加速して、「自動化が成熟した社会」が実現すれば、さぞや素晴らしい生活が待っているかと思いきや、「現代人たる我々」には、なかなか厳しいものになるかもしれません。

それはなぜか? 
そして、「自動化社会の成熟期」では「責任」はどうなるのか? 
それは、また次回に。(*^_^*)

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