京都アニメーション放火事件からもう4年近く

あんまりアニメーションは観ない方だが、殊京都アニメーションの最近の作品は軸足をスポーツ関連に方向を変え、事細かいところまで忠実に再現している。自分が水泳に前向きになったのは2001年から俄かにやっていたのが、
女性ものばかりの京都アニメーションが男性を主体としたスポーツアニメ
水泳ではFree!弓道ではツルネと出している。スポーツ系アニメで長く愛されてるモノと言えばハイキュー!!があるが、それを追随するかのようにFree!も細く長く愛されているアニメ作品の一つ。Free!は自分にとってそれまでの水泳の在り方を、考え方を変えてくれた作品であり、作中では葛藤、挫折、進歩という場面が散りばめられ、初めてアニメーションの「沼」
に入った作品である。それ以前に制作された「けいおん!」は自分が高校生の時にあった「ロック研究会」(今で言う軽音楽部)との関りがあって、こちらも、高校時代を思い出させる。
今日2024年1月25日、京都アニメーション放火殺人事件の判決があり、求刑通り「極刑」が言い渡された。仮に名前をAとするが、彼は自分が応募した作品が盗用されたと言って憚らなかったが、考えても見て欲しい。世に出るアニメーションは原作者の試行錯誤のシナリオの構成で作品が左右される。Aの場合多分、ヲタク的に悪戯に「ゆるふわな世界観で自己満足的なモノを書いて」いたのだと(あくまでも個人の見解)。
素人がそれをアニメ作品にまでするには敷居が高い事を理解していただろうか?
警察官に確保されるときに「作品をパクった」等と戯言を言っていたが、所詮自己満足の領域でしか物事を見ていない。一つの作品を完成させるに、その現場に行って自分で体験、体感し、それを文字起するのがシナリオライターという仕事であろう。自分の体験、体感無しでは幾ら文字にしてもそれはチラシの裏に書いた落書きで止まってしまう。多くの犠牲者をもたらした事件だが、作品のイロハを考えず思うがままに書いてもそれが「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」で作品化されても長編にはならない。
今回の判決の報道を通して思う事は、人々が関心を向いてその作品の中のキャラクター一人一人に焦点を当て、その作品から「何かを得る」「何かを感じる」「何かを体験する」事が大事かと思う。
話が尽きないが、先日兵庫医大病院から地元のかかりつけ医に紹介状が発行され「高血圧・左心室肥大」という診断結果を受けた。メンタルも未だ寛解には至っていないが、今後は自分にこのハンディキャップを受け入れ、それが少しでも良くなるようになっていこうと思う。

                      2024年1月25日
                      坂本豆廼丞筆

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