好奇心と鈍感力
私は子供の頃、内弁慶で心を開くのが苦手、大勢で遊ぶことも多かったが、どちらかと言うと、山や川での一人遊びが好きであった。
小学生の頃、毎年だったかはよく覚えていないが、生活状況調査表(?)が配られ、個人情報を記入するのがあった。多くの項目の中に友達の人数と名前を書く欄があり、いつもここで鉛筆が止まった。よく一緒に遊ぶ人とか、よく一緒に登下校する人なら容易いが、友達と言われると考え込んでしまった。
ネット検索をしていて「英会話が上達しない原因はメンタルブロックにある」と言うのが目に留まった。解説を読んで「なるほど」、目から鱗のごとく得心がいった。解決法を知りたいと思ったが、残念ながら入会しないと教えてもらえなかった。
メンタルブロック(自尊心と言う壁)が崩壊し、心が無防備に解放された経験をしたことがある。
30年以上前のことになるが、末の娘が5歳の時突然脳出血を起こし、手術は成功したものの、その5日後に痙攣性の脳梗塞で生死の境を彷徨い、重い障害を残すことになった。回復を願い、藁にもすがる思いで、同じ職場で働くY子さんから聞いていた別府にある「鶴見山寺うかり坊」を訪ねた。住職には神通力があると聞いていた。Y子さんが実際に経験した話では、差し出した掌に住職が人差し指を押し当て呪文を唱えると、指が当たっている処が焼けるように熱くなり、思わず手を引っ込めたとのこと、でも年老いて力が落ちたのか、最近それはしていないとのことであった。
これを書くに当たって調べて解ったのだが、宗派は修験道で明治初年の神仏分離の難に合い中絶したが、昭和三十八年に復興したそうである。
離れになった東屋風の待合室から、呼ばれて本殿に通されると、広い堂内の壁や柱は全て朱に塗られていて、左右に柱がある1段高い床に住職が座しておられた。代替わりがあったのかご高齢には見えなかった。私は娘の身に起きたことを、泣きじゃくりながら話した。住職は困惑の表情を見せ、家に付いて尋ねられた。御祈祷、御加持の後、「住居を移すことに、屋敷の神々が快く思っていない。手厚くお祀りをするように」とのお告げを賜った。
人前で恥も外聞もなく、これ程涙したことはなかった。まさに、メンタルブロックの崩壊であった。
ところで、古希も過ぎると、いいことに「自尊心と言う壁」も薄くなり、いわゆる鈍感力がついてきたようにある。友達と呼ぶ垣根も低くなった。大勢の前で、あえて恥をかく妙味も覚えた。
最近、介護を必要とする娘用に社協から車椅子を借りた。それの車への積み降しに難渋したので、車を買い替えることにした。ネットで中古車を探す中、心ときめく一台を見つけた。若草色の「ルーミー」、進化したカーナビが付いていて、新たな玩具を手にした子供のように運転が楽しくなった。運転支援装置も付いており、保険料が少し戻ってきた。高齢者の事故が連日のように報道される昨今、後付けできる装置もあるので、高齢者は検討すべきではと思う。
Eテレの「しあわせ気分のフランス語」を視聴していたら、クレープに似た、そば粉でガレットを作るシーンがあった。材料を買い揃え、生地を広げるトンボは、何度も血を吸っている肥後守で手作りした。一度本格的ガレットを食べてみたいと店を探したが、田舎の悲しさ、思いは叶わなかった。ネット動画も参考に、卵、チーズ、ハム、ほーれんそう、トマトを乗せて焼いた。初めてにしてはそこそこの出来栄えで、美味しかった。その後も、具材を変えながらガレット作りを楽しんでいる。
記憶力・体力は衰退の一途だが、それを好奇心と鈍感力で補い、イキイキ・ワクワクの晩年にしたいと思い願う。
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