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映画『ラストマイル』を観た

映画を観てから大分時間が経ってから書いてるので、とっても記憶が曖昧&感想も薄い

ネタバレあり









予告を観た時に、エレナの「止めませんよ、絶対に」という台詞に驚いた事を思い出した。通常、会社や公共施設内に爆破予告がされたら全て封鎖し関係者も家に帰すだろうに、と。まあフィクションだし、そこで全て解決させたら話にならないしなと考えていたが、映画を観た後にもう一度観ると、この台詞がデイリーファーストの状態を表していたのだと思えた。

エレナという人間は、一度嫌われたらその後見てもらえない、ドラマでは出てこなさそうな主人公だという感想を読んだ。確かにエレナは仕事に真っ直ぐ進みながら敵を作る人間だし、それは我々視聴者をも敵にする可能性があるなと感じた。きっとエレナはそれを分かっていると思うが、それでもやらないといけないという真面目さが、彼女の言う「変に日本人」なのだろう。
だからこそ、爆弾を目の前にして泣きながら、筧まりかの話と共に孔へと伝えられた彼女の本心が、あのシーンこそが自分が彼女の事を見れた瞬間だと思えた。それから改めて見れば、彼女は人を突き放し蹴落とす自分勝手な人間ではなく、どこか人懐こい雰囲気がある人だなと気がついたのだ。少し話が逸れるがエレナの服装を見ていると、赤色が女性の魅力を際立たせる色と言われる理由に納得した。それくらいに、魅力の溢れたキャラなのだと、自分はやっと気がついた。

映画内において、舟渡エレナという人間は物流センターや羊急便、日本支社に突然現れて爆弾騒動と共に内部を掻き乱しそして消える。そんな台風みたいな人という印象だったのに、結果として物流システムなどの変化は本当に小さなものだった。そんな結末。これは我々に問いかけているのだろうな、これは"今"の話だぞと、製作陣からのメッセージだろう?

物流を舞台にしている事やシェアードユニバースの世界線ゆえ、複数の視点から切り替わっていく作りは必須だったのだろうが、そこに松本家の視点があった事が、これの全てがフィクションであるとは言い切れなくなる入り口の様な気がした。大きな話を舞台にした話を観ると、どうしても自分の世界と切り離してしまう。それはフィクションを楽しむにあたって重要なことではあるが、しかし製作陣からのメッセージに気がつけない要因にもなり得る。だからこそ小さな、一つの家庭という世界が描かれていて良かった。

同じ様に佐野親子の、そこにあった物語も素敵だった。爆弾騒動に振り回される役だったが、思えばそこで語られていたのは爆弾よりも配達員やドライバーの現状だったなと。これをメッセージ性を含ませた視点だとすれば、その中にあった小さなストーリーは彼らをただのメッセージ伝言係ではなく、その世界に生きる一人のキャラクターであると、彼らに愛着を湧かせる為に大切だったのだと思う。息子が自分の会社で作っていた電化製品を誇りに思っていた事、それが最後の爆弾処理において重要な役割を果たした事。思わず涙が溢れたシーンだった。

この映画の宣伝方法として
「アンナチュラル!!MIU404!!
  シェアードユニバース!!」
という勢いを感じていた。
シェアードユニバースと言われて初めに思いついたのはマーベルだったが、すぐにそれとは違いそうだと思った。(そもそもマーベルは"シェアードユニバース"という文言ではなかった気もする)
彼らは皆、職業も立場も違う。ヒーローという括りでまとめる事が可能なマーベルとは違う。
ラストマイルにはラストマイルの登場人物がいて、主流の話は爆弾。ならばほんの少し、ゲスト出演でアンナチュラルやMIUのキャラが出るのだろうなくらいの気持ちでいた。だからこそ、あんなにしっかりと出てくるとは思わなくて嬉しかった。
エレナや孔というのは、ずっと物流センターにいて他と孤立しているというか、羊急便や五十嵐もずっと別々の場所にいる人達という感じが強く、だからこそエレナや孔の得る情報や推測以上を我々が知るのは難しかった。特に映画序盤の"山﨑について"を五十嵐やエレナが知っていた状況で、我々視聴者にその情報を共有する事。それから、エレナしか知らなかった筧まりかの考えから推測された彼女の自死、それがただの推測ではなく現実であると言うことの証明。これらはこの物流センター内という小さな世界から、大きな世界にばら撒かれた爆弾を相手にするという映画故に、難しい部分だっただろう。
それをスムーズに我々に伝える役割担っていたのが過去作品組で、前者はMIU、後者はアンナチュラルだった。個人的にはとても嬉しい出演の仕方で、この世界で生きてるという事実を証明してもらえた様で嬉しかった。このメンバーについてここで言及するつもりはないが、変わったところも変わらないところもある中で、それでもまた会えた事に喜びを覚えるのは、彼らは愛されるキャラクターをしているからだと改めて思えた。

他にも山﨑が中村倫也だと知ったせいで、エレベーターに乗った女性が倫也さんの女装なんじゃないかというミスリードをされたとか、八木さんのシーン好きだったとか、筧まりかの行動力の話とか。他にも色々思ったことはあったけれど、記憶と文章能力に限界が来たのでここら辺で書くのをやめる。

最後に一つ、梨本孔という人間はきっと視聴者と同じ目線に立つ人間として映画内に存在していたキャラだったのだろうなと思う。エレナという得体の知れない人間に対する疑いから、それが怪しい人間ではないという評価へと変化するのを、我々は孔と共に歩んだのだろう。エレナは最後、孔にロッカーの鍵とそれをどうするかの選択を渡した。それをどうするのか。孔に与えられた選択は我々にも与えられた選択なのかもしれない。

山﨑佑が残したロッカーの中のメモという爆弾は
爆発する事なく運ばれて続けた。そして孔がそれを運ぶ最終段階、ラストマイルである事を願う、そんな映画なのかもしれない。

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