朝起きた
父、姉、母と母の実家の富山へ出発する時の春休みの朝と空気が似ていて寝ぼけながら、お姉ちゃん起こすかーとか朝ごはん何かなーとかお母さんが洗濯してる音が聞こえてくる気がした。コーヒーを飲んでパンを食べてヨーグルトを食べて、お気に入りの着替えとDSとiPodと本とお財布とハンカチをリュックに詰めて準備ができたら9時頃からみんなで車に乗り込んで出発だ。少し冷えていて、富山はもっと冷えるから暖かめのパーカーを羽織って。数時間かかるからみんなで音楽を聴きながらごちゃごちゃ喋って、2時間もすると私たちは後部座席で寝てしまうのだ。サービスエリアでまたなんか食べて、身体を伸ばして。未来のことも宿題のことくらいしか考えず、おばあちゃんたちに早くあって美味しい寿司食べたり服買ってもらったりチューリップや館山の景色を見たり、ダイワデパートで食材を買って家でパーティするのを楽しみに。おじいちゃんにも病院のおばさんにも、ひいおばあちゃんとおばさん、いとこにも少し緊張するけど会う。おばあちゃんの家に着いたら家の周りの田んぼ道を探検、年々開発されていくが東京と違って色々な植物や生き物がいて楽しい。あちこち連れてってもらって、帰りは富山のお菓子をお土産にたくさん買ってまた春休みの続きを…
朝起きたばかりの空の暗さとエアコンの微妙な温みと空気の冷たさのバランスでここまで体が勘違いを起こした。たまに寝ぼけて昔の家のように両親が朝食の準備をしてたり珍しく姉が私より先に起きて賑やかなリビングの声が聞こえた気がして早く起きなきゃ、と思ったものだ。着替える服を選ぶのも、髪型をセットするのも、口の上に生えた髭を母に添ってもらうのも、外に出て姉とはしゃぐのも何をしても楽しかった。10年ほど続いたその幼少期の記憶がいまだにバグで頭に思い出される。10年ほど前のこと。あの喜びがもう二度とやってこないなら、誰か先に教えて欲しかった。それにしてもなんであの頃はあんなに楽しかったんだろう。もう両親と姉、家族揃って出かけることは今後の人生で永久にない。姉も結婚してしまって年に一度私に連絡してくるかこないかだ。私の生き方や暮らしぶりがもう少しまともになったら、またみんなと一緒に出かけたりご飯を食べに行ったり旅行したりできるのだろうか。あの頃と同じでなくてもいいから、また家族と出かけたいと思っている。それとももう二度とやってこないものなのだろうか。まだそんなことを思い出して朝に泣いたりしている。24歳なのに。