見出し画像

私は


ノートを書く度に、自分の言葉でない気がして
実はあまり自分のノートが好きでは無い。
誰かの口癖がすぐ写ってしまう。誰かの真似をしてる自分が自分でない気がしてどうしたらいいか分からない。
私は優しいのではなくて、自分が傷つくのを恐れて遠回りに遠回りしてそれを回避している
それっぽいこともめちゃくちゃ言えてしまうわけで他人に優しいねなんて言われても別に嬉しくない。
自分の本質的な性格の悪さに気づいてしまっているからだ。馬鹿げたことをいうともっと真っ直ぐな人間でありたかった。自分は極度の気にしいだから口に出す言葉はきっと本当の気持ちではなくて全てその場しのぎの言葉なのである。
だから、周りの反応を気にせずに自分の言葉で
喋れる人にすごく惹かれる。
昔の私は誰よりも明るくて、今よりも空気が全く読めなかった。なのに今より友だちは何人もいて自覚できるほど愛されていた。
それはきっと自分の言葉だったから。それ以前に、これ言ったらどう思われるかな、、なんて全く考えていなかった。いつしか周りの反応を気にしだして孤立し自分自身も失っていった。
snsで少し尖った発言をしてしまった。でも、
本心なんかじゃない。すぐに消して自分に失望した。こんな事で人に反応をもらおうとしている自分が許せなかったし信じられなかった。
何よりも、自分が嫌いな人間の行動をまんま自分がしていたからだ。
私が嫌いなあいつ。あいつだった日が私にもあった。自分の不甲斐ない行動で人を沢山傷つけてきた。悪意があった行動もしたことがある
人を傷つけた過去があるのにこんなに普通に過ごしていいのでしょうか。
もちろん反省はしているけれどどうやって消化すればいいのか分かりません

小さい頃の写真が詰まったアルバムがでてきた。こんなに笑顔だった赤ちゃんが今になってはどんよりとした文章をズラズラと書き綴り
ネガティブなことを言っていると思うと残酷すぎると思った。だから、口癖でもあった「死にたい」とかもう言わないことにした。
成長するにつれてこんなことを平気で言えてしまう自分が怖くも悲しかった。
小学校低学年、今でも鮮明に覚えている。
男の子と喧嘩し 「俺に死ねって言ってきた!」
と言われた。
そしたら先生は「私ちゃんは絶対そんなこと言わない!」
本当に言っていなかった。そして庇ってくれた
ことが何よりも嬉しかった。その時心の中で「死ねなんてそんな言葉これから先言うもんか!」と思っていた。

歳を重ねた私は小学校低学年の私よりきっと子供だ。言わないと誓ったはずの言葉も言ってしまったことがある。
素直にありがとうということ、ごめんなさいということができなくなってしまったのだ。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?