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連載「フィービーとペガサスの泉」⑤
第Ⅰ部 ホテルヴィクトリアと「人形の間」
5 どんな荒波でも
ジョンはマホガニーの書斎机に置かれた写真立てに手を伸ばした。鈍い銀色のフレームの中には、生まれたばかりのフィービーを抱いたクリスティと、2人の姿を幸せそうに見ているアリスの姿が収められていた。それは、アリスが息を引き取る直前に写した最後の写真だった。
いやだ!
ジョンの耳元で、鋭い叫び声が木魂していた。フィービーの動揺は、充分に予測していたつもりだった。それでも普段は無邪気で素直なフィービーが見せた必死の抵抗に、ジョンの胸は激しく痛んでいた。
ホテルヴィクトリアは、ジョンにとって最後の砦だった。アリスの父親から譲り受けたこのホテルは、フィービーやクリスティだけでなく、アリスが生まれ育った場所でもあった。ここだけは、何としてでも守らなければならなかったはずなのに……。
これまで順調に発展してきた自らの仕事が、こんなにもたやすく崩れるのだということを、ジョンは今、身をもって実感していた。ジョンには父や祖父が築き上げてきた財があり、それを守る勤勉さもあった。また「どんな荒波でも必ず乗り切る船であれ」という祖父の言葉通り、大恐慌や二つの大戦の中にあっても、逞しく生き抜いてきたロイド家直伝の能力と誇りもあった。それでも気がつけば、それはあっという間に起こっていた。すべてを失った今となっては、何が悪かったのかすら分からない。
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ロイド家の象徴として描かれた絵
書斎の壁に飾られている
――フィービーとクリスティだけは、何があっても守らなければ……。
それは自分への最後の戒めであり、誓いだった。ホテルを失うことはあっても、娘たちを路頭に迷わせるような真似だけは絶対に出来ない。
ただ、負債の額は膨大だ。
一体どうすれば……。
この数日、もう何百回も自分に問いかけてきたその言葉を、ジョンはもう一度繰り返していた。しかしその答えを見つけることは出来なかった。ジョンは手にしていた写真立てを、ただ、食い入るように見ていた。
「パパ……」
フィービーだった。ドアを開けるなり一目散に走り出したフィービーは、わき目も降らずジョンの胸の中に飛び込んだ。必死にしがみつく両腕の力が、信じられないほど強かった。ジョンははっと我にかえった。
「パパ。ごめんね。パパが一番大変な時に、そんなことなんにも考えないで、嫌だなんて言って」
一生懸命に謝るフィービーを、ジョンは思わず
抱きしめた。
「いいんだよ、フィービー。私の方こそ、君に辛い思いをさせてしまって」
フィービーは首を横に強くふった。くしゃくしゃになった長い髪が、しめった頬にぺたっとはりついている。泣きはらした目のせいか、いつも以上に幼く見えるのに、なぜかその表情は生き生きとして眩しかった。色のないぼやけたフィルムのような書斎の中で、そこだけが鮮やかに色づけされたシーンのようにくっきりとしていり。ジョンは思わず目を凝らした。
「ううん。私はだいじょうぶ。クリスティが言ったの。私とパパとクリスティと、そしてママの4人で力を合わせれば、きっといい方法があるはずだって。ママだって生きていたら、必ずそう言うはずだからって」
「クリスティが?」
驚くジョンの前に、クリスティが姿を現した。いつものように穏やかに歩み寄ったクリスティは、両腕を広げ、静かにジョンを抱きしめた。
「パパ。私たち、みんなまだ、ちゃんと生きてる。だから、可能性はどこにでも転がっているわ。必ずここを取り戻せる。今すぐとはいかないかもしれないけれど、それはそんなに大したことじゃない。だってママにとって、時間はもう問題ではないもの。だから私たちさえそれを気にしなければ、必ずこのホテルヴィクトリアに戻ってくることができるわ」
ジョンははっとした表情でクリスティを見た。何かに頭を殴られたように、激しい衝撃が全身を突き抜けていく。
――時間さえ気にしなければ、必ずここに戻ってくることができる……。時間さえ気にしなければ。そうだ。焦らなければ方法は必ずあるはずだ。何としてでも取り戻すと決めさえすれば、そうすれば、きっと……。
ジョンの目に力が宿り始めた。記憶の奥底から、祖父の言葉が浮かび上がってくる。
どんな荒波でも命されあれば、そして気がいさえあれば、ロイドは必ずそれを乗り切る。それがロイドの、ロイドたる所以だ。
ついさっきまで、すべてを失った、と思っていた。でもそうではない。ただ、そう思い込んでいただけだ。2人を抱きしめながら、ジョンは心の中で呟いていた。私はまだ、こんなに素晴らしい宝を手にしている。だから、たとえ何があろうとあきらめては駄目だ。
この2人とアリスのために、必ずこの荒波を乗り切ってみせる。
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※画像はすべて、Microsoft BingのチャットAI機能で生成しています。
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