遊べよ、留学生のように
私は大学で働いているが、外国人留学生の自由奔放さに驚かされることが多い。
彼らは、楽しむことに貪欲だ。
そしていい意味で人に配慮せず、自分のしたいことをマイペースでする。
カップヌードルミュージアムでは、同じグループのメンバーがもうカップに絵を書き終わっているのに気にせず1時間も書き続けたメキシコの学生。
中身のラーメンと具材を詰めに行くことができず、困惑顔のメンバーに気づいた私たちは、他の学生に彼女を残して先に行っていいことを伝え、彼女の隣に座った。
こんな時、日本人だったら、周りを気にしてすぐに絵を描き終えるだろう。しかし、彼女は一人になってもテーブルに座って楽しそうにしばらく絵を書き続けた。
また別の日には、小田原遠足に遅刻してきたフランス人の学生が「午後から新宿で空手のレッスンがあるから早く小田原城に出発して」と言い放った。
小田原城に着くと、もう新宿行きの電車に乗っていなければ、空手のレッスンに間に合わないはずの時間に甲冑をのんびりと着て写真を撮っていた。木陰には、彼女を待って次の見学先に行けず、困り顔の日本人学生たち。
彼女に空手は?と聞くと、空手の先生には遅れると言っているから大丈夫とのこと。空手の先生ゴメンナサイm(_ _;)m
2人目の彼女はちょっと反省した方がいい気もするが、周りに合わせることをせず、自分のしたいことをする二人の姿に感じるものがあった。
というのも、日本人は周りに気を使うことばかりを教わってきた気がするからだ。子供の頃から親にも学校の先生にも「人に迷惑をかけないように」とよく言われてきたのではないだろうか。
そして大人になった私たちは、行き過ぎた協調性に悩んでいる。本当はしたいことをせず、言いたいことは言わず、職場や学校、社会のルールに合わせている。
だから、自分が本当は何をしたいのかわからないなんて悩みが出てくる。したいことをすればいいんだよと言われても、そのしたいことがわからない。
英語を勉強するべき、本を読むべき、人と積極的に交わるべき…
でもそれってどっかで誰かが重要だって言ってたことじゃないの?
あなたは本当は何がしたいの?
今の私たちに必要なのは、
「遊べよ。留学生のように」
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