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「多忙」の一言を理由に自発の企画をキャンセルしてはいけない場合(相手に与える印象)

私の職場の人達が言った。
「自分から言い出しておいてそれはちょっと」
「自分ならそんなんされたら刺し●しちゃうよ、0さんはそれで済んだの本当に強いね」
結論を一番最初に述べると、「他人の時間と労力を預かる内容で、自ら言い出した事をキャンセルする場合には言い分が通る場合と通らない場合、また述べ方がある」という話である。
人間完璧な生き物ではないし、その時の何かしらの勢いというものが勝ってしまっていればそれに流されるのが誰しも抱えるどうしようもないサガだと解釈している。

読む方には、大幅に私の邪推と個人感情が含まれている内容である事を大前提として読んで頂きたいです。


で、何の話かと言うと、「多忙なので・自信がない」を理由に自ら言い出した合同誌の企画をキャンセルされたとある方の話だ。
キャンセルされた時は「これ自体は多忙ならばと仕方がない」と判断した。「自信がない」のは何に関してなのか私からは全くわからないが、個人的に想定されたのは「私の稚拙な筆捌き及び構成力からくる回収率の事」くらいだった。自覚があるだけに何とも言えなくて黙ったし、こちらはどうでもいい。

ここからが問題だった。
その方が読んでいる事を踏まえて私が激怒した・及び職場の人らだったら耐えられないということに関する理由を詳しく説明しておきたいついでに、私の思うところではあるものの、これが通る言い方のケースも考えて書いておきたいと思う。(途中内容が苦しかったり、「違う」と言いたくなる面もその人からしたら当然多くある事だろうけど、取り敢えず「何が言いたいか」というのに注目してほしい)

相手が悪いと言いたいのではない。
こういった場合のキャンセル理由の述べ方に関する配慮のあり方とお願いを語りたくてこの記事を書いている。

「忙しい」のは仕方がない。
そう思って「自分から言い出した事を内訳がはっきりしない事で断ってくる、しかも大手と知り合って誰も合同誌に参加の意図がある人がいない事がはっきりしたタイミングでキャンセルしてくるのはなんかちょっとそっちに心が靡いてるのかなとか、正直私も人間なので思うところがある…気がするけど、これも邪推というもの。多忙か、なら仕方がない」と他にも色々邪推してしまう自分を呪いながらも、ネームの完成した漫画をお蔵入りさせた。
私もネームの内容に自信はなかったので別によかった。

そこにかけた労力に関しては、相手に対してではなく、この流れに対して「ふざけるな」と思うところはあったが仕方がなかった。

色々なトラブルに見舞われて忙しい中で、時にそのトラブルの内容があまりにもつらくて泣きながらでも頑張って描いていたものだった。
イベント参加含めて、あの時期の実生活の人生最悪級のトラブル続きの中で死ぬほどスケジュールや諸々を詰めないと実行に漕ぎ着けないから、嫌という程ルーティンの調整から何から準備していた。
純粋に、CPが好きだったから。
楽しみだったから。

「ご自由に発行してくださってどうぞ」
その方のこの言葉に関して道端に投げ棄てられたような感覚が拭えなかったが、多忙なのだからそれは仕方がなかった。別に私一人で本を出せないというわけでもないわけだし。
ただ、肩透かしをくらったような感触に負けて、やる気は消えた
プライベートのことも何もかも、自分が一人で頑張っているだけで、結果全てに見放されたような感覚に負けてしまった。

「仕方がない事だったのだろう」とモヤモヤを抱えながらも静観していた。
しかし、見ていれば、「多忙」の内訳が見えてしまう瞬間というものは出てくる。
楽しそうに次々とイベント参加を決定して、本を発行されていらっしゃるその方の姿があった。
書かれるものが、私の稚拙な構成力と雲泥の差があって面白いのもあり、大手の方ともすんなりお知り合いになられていて、交流も拡がっているのが見えた。たかがネット上の知り合いとはいえ、本来なら祝うべきことだ。

再三文字にするが、その方の事を悪いと言いたいのではない。
実際活発なのは悪い事ではない。
「言い分にもう少し配慮がほしかった」というだけの旨だ。

「忙しい」
つまり
「あなた(私)と本を出すより他に知り合ったり活動したりしたい相手が出来た、目移りしたのが正直なところだったけどそれをそのまま言うと面倒そうだから忙しいと言っておいた」
こう解釈せざるを得なかった。邪推と言うだろうが、相手はこの流れではたいていこう捉える事になる。

ただ、こう解釈しかけた瞬間に動く事はなかった。
その動きを敢えて黙ったままずっと見ていた。決めつけは良く無い。
というかそもそも私とて、大手と知り合ったらそりゃ人間なので、心とは全く別のところで、卑しい生存本能が「嬉しい」と言うもの。
仮にそうだったとして、そちらを優先したくなる気持ちは充分わかる。
わかるのなら怒ってはいけない。
極端な例えをすれば、石油王とその辺のよくわからない小金持ちだったら、前者と関わる事を優先するだろうというもの。選択としてはそれが賢い。
将来の事を考えたり、余裕がなかったりすれば余計にそうすべきだ。
私はこう思う。
はたから見れば綺麗事で先約や友達を優先し、自らの責任を全うしようとする私の方が明らかに、生存本能を司る論理面から言えば危篤な人間だと言える
チャンスが到来したら掴むのが生命の生存意志に従う行動です。生命の鉄則として。

…上のように解釈され思われる事を否定出来る様相だったか、相手から見たあの時の自分についてあの方にはよく考えてほしかった。

話の続きに戻る。
その活発さは止まる事がなかった。(※これは良い事)
私の棄て去られた労力と心を置いて。
途中で耐えきれなくなり、「人の労力と時間を適当な思いつきの企画の発案で奪っておきながらあの適当な言い分でこんな放置されてなんなんだ?楽しそうにしているのはいいけど、もう少しまともな言い分があったのではないか?」という、恥ずかしながらも、恥の極みを自覚しながらも言うが、激怒に変わってしまった。
ヒトの愚かさはこういったところにある。「激怒する」という行いにかかるコストを計算しきれなかったのだ。
現実にも「沢山嘘をつかれる」「200万超の借金を今までパートナーだと思っていた相手に作られる、他etc..」
処理オーバーを起こしている時期なのも重なり、冷静な思考を保つにあたっての神経の耐久力が限界を迎えていた。
そうでなくば、「激怒状態」などというエネルギー効率の最悪な状態にこの廃人ゲーマーの効率厨が陥る筈がなかった。


色々あった。
長いので省略するが、このケースに於いて私はちゃんとした詳細と内訳の言い分がほしかったという事だ。
「リアルの事が〜」とかそういうのはどうでもいい。同人活動をする余裕があの時充分にあったからギリギリでもやれていたのはもう起きた事としてわかっている。
ただ、「多忙」という言い分をした先で自分がとる動きが相手からどう映るかを思慮に入れて言い分を考えてほしかった。
詳しく問えば「合わない」「テンションが」など色々言われたような気がする。でもこれ、社会的に見たら、自分が言い出した事をキャンセルする理由にはならない内容ではないですか、なんて。
それに加えて「やる気がなくなるからそういうのはやめてほしい」。こっちのやる気が削げたトコに何言ってくれてるんだ、と。それを言いたいのはこっちだったんだが。主張の内容が最初から最後まであまりにも身勝手だ。
…などと、私でもこんな風になるのに、職場の人が「自分だったら」と言っていた内容で申し訳ないけど、他の人だったらワンチャンもっとヤバい結果になって返ってくる可能性すらある。
というか現実的な路線で考えると、「あのような動きが見えた時点でブロックしていた・ガン無視に至った」というのが私の職場の人だった場合の行動だと思われる。
「自分の将来の事を考えてしまっていて、個人的にどうしても交流を作りたい方が出来てしまって」
ここまで仰って頂けていたなら、私も「将来性を考えるのであれば理解しかない。是非そのようにして頂きたい」と快く何も思わずに応援して(自分の無力を呪う節もあれ、自明のことなので一時期の体調不良に至った流れほどには何もなく)過ごして来れた筈だった。
負の感情に駆られて知り合いや居場所を失う事もなかっただろうなとは思うものの、失った知り合いの一人に関しては関わりが無くなって何も思わない相手だったから、個人情報をペラペラ喋られたなどの法に触れる部分はともかく、感触としてはどうでもいい以外の感想がない。
※不快な行いをされたことに関して一生許さないし思い返しもしない、関わりもしない事が決定しているだけで

他の方からまで塩対応になられた気がしてしまったり、大手(※個人的にはこの方も関わるメリットは感じない)から嫌われたりした事で、居場所がなくなった。
色々考えたら活動出来なくなった。
自己責任だろ?と思う筈です。
はいそうです
ですが、この自己責任が生まれたきっかけがその方に何も無いと言うのは、どうなんでしょうか。
こういう事が起きる例を踏まえて、もっと相手に配慮した言い分を考えるようになってほしいって思いました。
なんらかの言い出しっぺになってそれを守れなくなる事なんて世の中ザラにあるのだから、せめてそうした時の理由の述べ方や謝り方がいかに重要かというのがちゃんと世の中で広まってほしい。リーダーシップに関する教育が敗北してるこの日本という国では難しいかもしれないけど、これが崩壊すると本当にやばいのでは…という話は別の記事で書こうかなと思っている。
はっきりしない述べ方や内訳のよくわからない内容は相手を不信感と劣等感に陥れるという事を、頭に入れておいてほしいと。
多分、後出しの誤魔化しとか論点ずらしだとかそういったもので相手を怒らせるより先に、誠意と配慮が充分にある言い分をしたら、相手はきっと理解してくれる筈です。
相手を大事に扱う事は自分のその後にも繋がると思います。恨まれたら嫌じゃないですか。
「この人だから適当な言い分でいいや」とかも良くないと。
しょうもない事で尊い努力が無駄になったらおじゃんですよ。
あの後から色々考えてくれていたような感じはしなくもないけど、「配慮の不在を自覚してちゃんと謝る」って行動だけ極端に避けて論点をずらそうとしているかのようにも見えてしまう感触が拭えない、なんて事も多くあった(これまた邪推という事にしておきます)ので、きっとそうではないのでしょうが、書き残しておきたく思いました。

あと余談ですが、他人に関して「チョロい」と解釈・評価する時、安易にその解釈・評価に至る自分の情報処理能力を疑ってほしい節はあります。
「チョロい」と思わせられて、乗せられていませんか、という話です。これよくセールスの値下げ交渉に成功したつもりで実際は高値で売りつけられていた、などのような感じで引っかかってる人が多い事案です。

様々に努力が多く見えるし作品も魅力的な方ではありますから、この先も頑張ってほしいとは遠目に思っております。
あの言い分の在り方に関しては許せていないのが正直な気持ちですが、私は他人の筆を折って「してやった」と思えるほどの幼稚で元気な脳を持っていないので、どうもこうも、といった感じで。
私自身にも、むしろ私自身に対しての方が強く言える事ですが、成長があればいいなと。烏滸がましい事は百も承知。


なんて。
「同じ内容でも、伝え方ひとつで全く変わってしまうからね」
職場の方が散々仰っている言葉を置いておこうと思います。



私が一番伝える能力を養わないといけない代表なのになんでこんな偉そうな記事を書いてんだ

○にたい

恥の極みと自己嫌悪しかない

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