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実家というストレス、そして決意

お正月に実家に帰った。

3泊4日で、昨日一人暮らしの家に帰宅したのだが、玄関をパタと閉めた瞬間に、思わずデカいため息、
ハァ〜〜〜〜。

本当に疲れた。
実家って、家族って、こんなに心休まらないものか?

わたしの実家について書かせてください。

3年ほど前、父の定年&単身赴任終了で母と父の二人暮らしがスタート。
そっからどんどん不仲は加速し、今も冷戦状態継続中。

はじめの頃は、「これは家族の問題なんだ、わたしが何かできることをしないと!」という謎の使命感に駆られ、色々していた。
(今思うとこれは「親に思わされていた」んだと思う。診断とかされてないけど多分自分はアダルトチルドレンの傾向がある。)

双方そして周辺親族の意見を集めて解決策を考えたり、父母二人ではとても話し合いにならないと言うので家族会議なるものを主催したり、お互いの気持ちが少しでも楽になればいいと思って父と母の話(愚痴)聞き役もしていた。

が。

それはあるとき父とドライブ中。
例によって父の鬱憤晴らし役をしていたのだが。

どんな流れかは忘れたけど、「わたしも色々できることはしてるけど、結局は二人の問題だからね。」みたいなことを言った。
そのとき父はこう言った。

「お前がわしに何をしてくれたんじゃ?」

…え?
わたしは言葉を失った。
そのときようやくわかった。

わたしが、「二人の状況が少しでも良くなればいい」「気持ちが軽くなればいい」と思ってしていたこと、そしてその気持ち、すべて届いていなかった。

父の口調はなぜかちょっとキレ気味で、本当に分からないという顔をしていた。

「わたし、お父さんのために頑張ってきたのに?わかってくれてなかったの?」と、モヤモヤした気持ちが渦巻いた。

そのあとも色々考えた。
父にはどうやら「子が親の世話をして当たり前」という精神が根付いているらしく、そういえば前にも、「お前がこれからわしの世話をせんといけんのんで」と怒鳴るように言ってきたことがあった。

あれ本気で言ってたんだ。
父は、「子どもは親のために苦労して当たり前」って思っている。

あ、これは無理だな、と悟った。

別に見返りがほしくてしていたつもりはない。
けれど、わたしの心が何にも届いていなかったとわかったとき、虚しかった。
がっかりした。悲しかった。
なんだかとてもとても悲しかった。

そのくらいから、父に必要以上に関わるのはやめた。
話したいときに話す、話したくないときは話さない。それだけ。
もうこれ以上父にがっかりしたくない。あんな悲しい気持ちにはなりたくない。

実家に帰らない盆正月もあった。

帰らないと報告をしたら、父から「親不孝者」と言われた。
去年のお正月に彼氏と初詣に行き、ご機嫌な気持ちでビールの写真を家族LINEにあげたら、父から一言、「馬鹿タレ」とだけメッセージが来た。

父と関われば関わるほど、心はひんやりとしていった。

今年のお正月は、弟も帰るというので久しぶりに実家に帰った。

母はつい先日、鬱病と診断されたらしい。部屋には錠剤がたくさん置いてあった。
でもわたしや弟の前ではいつもの母だったし、父不在の日にはテレビを見てみんなでくだらない話をして大笑いして、すごく楽しかった。

父はリビングの真ん中の、家全体が見渡せる位置にあるソファにいつも座っていて、家族みんなを常にうっすら監視しているように思えた。(わたしが過敏になっているだけかもしれないけど。)
父がいると、家の空気が澱んで会話は減る。
誰かが話すと父は割り込んできて自分の話を始めるし、声も大きくて疲れてしまい、誰も話したくなくなった。居心地が悪かった。
そんな父は、時々すごく寂しそうな顔をしていて、直視できなかった。

わたしは父にも母にも幸せでいてほしい。
これは本当に思っていることだ。
本当は冷たくもしたくない、嫌いにもなりたくない。

父は、ただただとても弱い人なんだと思う。

父は以前、わたしに小さい頃の話をしたことがある。
父(わたしのおじいちゃん)が仕事で家にほとんどいなくて、母(おばあちゃん)も働きに出ていたから、学校から帰っても誰もいなくて寂しい思いをしたという。
だから子どもにはそんな思いをさせたくなくて、専業主婦をしてくれる人と結婚したのだと。
思うに父は、このときの寂しさをまだ埋められないでいる。「家族団欒」とか「家族」という理想像をいつまでも温め続けている。
父はこの3年、ずっと何かを「待ち続けている」感じがして時々とても怖い。

母も母で、母親に「いらない子」と言われながら育てられてきたことをわたしに涙ながらに語ったことがあった。
母があまりにもつらそうな時期、わたしが見かねて提案し、二人で暮らしていたときもあった。(結局わたしが疲れてしまい、3ヶ月で解消した。)
多分だけど、母もアダルトチルドレンの傾向があるんだと思う。別居や離婚の話が出たとき、自分で決められないから弟に「決めてほしい」と言ったこともあるらしい。
母も、とても弱い人なんだと思う。

二人とも不器用で弱い。

でも二人とも、もう大人だ。

あとは自分たちで進んでくれなくちゃ困る。

少なくとも、もうわたしにできることはない。
疲れてまですることじゃない。
別に「親不孝」って言われてもいい。

ただ、この先どうなったとしても、「あんなこともあった」とお茶でも飲みながら笑って話せる未来があればそれでいいし、そんな未来があることをわたしは信じてる。

別にもうこの際、離婚してもしなくてもどっちでもいい。二人がどこに住んでても構わないから、お互いがお互いの幸せに向かって生きてほしい。
わたしはそれを願ってる。
それしかできないけど、それが正解なんだと思う。

わたしはもう当分実家には帰りたくない。
帰っても一泊くらいにする。

でもいつまでも信じている。
それがわたしにできること。

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