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出雲口伝「大元出版」:「神武天皇=天村雲」説を追う

『日本はどのように建国されたのでしょうか?』をテーマに、記事を書き綴っています。

前回までの記事では「饒速日」の情報を集め、考察する中で「神武天皇のモデル=天村雲」説を導きました。

大和で勢力を誇った出雲族のところに平和裏に婿入りをした「人物」が「天村雲」という説


 実は、「神武天皇のモデル=天村雲」説は、大元出版の書籍にも記載がありました。

 大元出版では「出雲の旧家の伝承(以下、出雲口伝)」をまとめた内容を書籍化しています。いくつか書籍を紹介しますが、いずれも「出雲口伝」をベースにしています。同じ世界線の中で、各書籍ごとに主に記載されている「時期」が異なります。

出雲王国とヤマト政権(著:富士林雅樹)
魏志和国の都(著:勝 友彦)
出雲と蘇我王国(著:斎木 雲州)

 大元出版の書籍は、大型書店に偶に置いていますが、小さな書店では手に入れることができません。大元出版のHPから直接購入することも可能です。

 これらの書籍には、過去からの<口伝>だけでなく、著者が得た情報からの<解釈>も盛り込まれています。それらを意識しながら読み解くことをおすすめします。 


 この出雲口伝でも「神武天皇のモデル=天村雲」説がありました。

出雲口伝による系図(大元出版の書籍を元に)


出雲口伝では「神武天皇のモデルとなる人物」が「天村雲」であるだけではありませんでした。

 その「祖父」となる「彦火明」は、丹後半島に来る前は「出雲地方」にいて「素戔男尊(すさのお)」と名乗っていました。
 さらに「出雲地方」に来る前は中国大陸に居たそうです。その時の名は「徐福」(徐市)。秦の始皇帝の命により「長生不老の霊薬」を探しに東の海に出航し、たどり着いたのが出雲地方でした。それは徐福の1回目の出航であり「紀元前219年」としています。

年表での比較

以前の記事で、「神武天皇のモデルとされる人物(天村雲)」が平和裏に婿入りしたのは西暦1世紀頃と推察していましたが、書籍にある出雲口伝では、紀元前2世紀頃となっています。

 私は3世紀中頃の「実質的な日本の建国」(銅鏡文化が、九州から大和にシフトして、古墳時代に入る時期)は10代崇神天皇の頃と考えています。

 
 出雲口伝をベースにすると紀元前2世紀半ばに「初代天皇(神武天皇のモデル=天村雲)」は大和へ婿入りすることとなります。すると3世紀中頃まで約400年間あり、それを約10世代で埋めることとなります。つまり「1世代平均が約40年」ということです。

「1世代平均が約40年」は、古代では無理があるように思います。

出雲口伝をベースに

 実は、歴史に残らなかった「空白の世代」があり、それを加えると20世代程度の期間であったのかもしれません。

 または、1世代平均を25年で逆算すると、紀元前後に「初代天皇(神武天皇のモデル=天村雲)」は大和へ婿入りする計算となります。


1世代平均25年で逆算した場合

 中国を出た「徐福」は「朝鮮半島」に滞在していたが、その後、約10世代は「朝鮮半島」で過ごし、その末裔が「素戔男尊(すさのお)」として「出雲地方」に訪れ、「彦火明」と名を変えて、丹後半島に訪れたのかもしれません。「素戔男尊(すさのお)」は朝鮮半島のソシモリという場所に天下り、その後に出雲にやってきたという伝承もあります。

 いろいろと想像が膨らみます。

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