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金網の先のチョココルネ

そこはいつも薄暗い。晴れの日なのか曇りの日なのか、それさえあいまいで、ただその場所が薄暗いことは、間違いない。この金網は一体なんなのだろう。私よりも背が高く、どこまでも続く金網。この金網で囲まれた中には、一体何があるのというのか。

子どもの頃、祖母の家まで行く道のりの記憶だ。自宅を出発し、新幹線に1時間半ほど乗車したのち、電車に乗り換え、そして電車を降り改札を抜け、金網の横を歩き続けると、祖母の家に到着する。金網の横を歩いている私たちの上には、巨大な幹線道路がある。幹線道路があるから、私たちが歩く道が日陰になることが多く、そのため、いつ歩いても暗いと感じていたのだと思う。

金網の中には、工場があった。広大な敷地が、フェンスで囲まれていた。大きな煙突からもくもくと、黒い煙を吐き出していたかまでは覚えてはいないが、記憶に残っている工場の景色は、全体的に茶色い。

幹線道路を走る大量の車から放出される、排気ガスのせいなのか、そこで暮らしている祖母は、鼻の穴の中が黒くなるという。自然豊かで、空気がきれいな田舎で暮らしている私たちとは、生活環境が大きく違う、祖母が暮らすこの街。都会に住むっていうのは、鼻の穴の中が黒く汚れるっていうことなのか。当時子どもだった私は驚いた。

祖母の家は、1階は祖母が暮らす住居で、2階部分は、人に貸せるようになっていた。自分たちが使う表玄関とは違う場所に、1つとびらがあり、そのとびらを開けると、2階へと続く階段が現れる。2階には、広い畳の部屋があった。私たちが訪れたときはいつも、そこに誰かが住んでいたことはなくて、いつも空いている状態だった。せまく急な階段をのぼり、誰もいない2階の畳の部屋をのぞくのは、子どもたちからしたら、ちょっとしたアトラクションであった。

祖母の家の向かいの家では、犬を飼っていた。大きくて、黒と灰色のあいだの色をした、怖そうな犬。家の外に出てきたところは見たことがなくて、いつも家の門の内側にいる。内側から出てくることがなくて、正直よかった。

祖母の家の近くには、ラーメン屋があった。白くて短いのれんを掲げていた。家のすぐ近くにラーメン屋があるなんて、都会ってすごい。お腹が空いたら、ここに来ればいいんだから。

さらに、祖母の家には、パン屋が歩いてやってきた。祖母の家の1階の居間の窓を開け、私たちは居間の窓ごしに、パンを買う。家の前までパン屋が歩いてやって来るなんて、とてももの珍しい。都会ってすごい。私のお気に入りのパンは、チョココルネだった。怖そうな犬を横目に、私たちはパンをほおばる。

私が10歳のときに、祖母は自分の家を引き払い、私たちの家に引っ越してきた。祖母の家は取り壊され、今そこには、3階建てくらいのアパートが建っているはずだ。白いのれんを掲げたラーメン屋もなければ、パン屋が歩いてやって来くることもない。怖そうな犬も、おそらくいないだろう。

私は、寂しくはない。怖そうな犬におびえながら、チョココルネを食べた記憶は、私の中から消えることはないし、誰もいない広いあの畳の2階の部屋にだって、いつでも足を踏み入れることができる。目を閉じたらいつでも。



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