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去り行くワゴン

今月滞在したホテルの1階ロビーには、無料で利用可能なお菓子コーナーがあった。ホテルに到着後、フロントでチェックインの作業をしていた私は、お菓子コーナーには寄らずに部屋に向かった。部屋に入ったあと、子どもからチョコレートの包み紙を渡された。子どもたちは1階のお菓子コーナーでチョコレートを取って食べていた。ハーシーズのチョコレートだった。羨ましかった。ハーシーズのチョコレートはもう何年も食べていない。私もあとで食べなくちゃ。

その後、ホテル1階のお菓子コーナーには、ロータスビスコフも置いてあることがわかった。ロータスビスコフは、ベルギーのビスケットだ。あとでビスコフも食べなくちゃ。

ホテル内のプールや大浴場を利用し、車で少し外出もし、あっという間にチェックアウトの時間になった。1階のお菓子コーナーに行くチャンスは、今しかない。速歩きで、かつ、さりげなく、お菓子コーナーに近づくと、そこにはなにも置かれていなかった。しまった、あれはウェルカムお菓子だったのだ。チェックインの時間には置かれているが、チェックアウトの時間には置かれていないのだ。ハーシーズのチョコレートとビスコフを、食べ損ねてしまった。ホテル滞在を最大限に楽しむために、利用できるものは利用して、食べられるものは食べておかないといけないのに。子どもたちの手前大きな声では言えなかったが、1階ロビーのお菓子を食べずにホテルをあとにすることになり、私は悔しかった。

15年ほど前にさかのぼるが、夫と都内のレストランへコース料理を食べに行ったことがあった。一度にたくさんの量を食べることができない私にとって、コース料理は戦いである。提供されるもの全てを食べ切れる自信はない。かと言って、残してしまってはレストランに失礼だ。できるだけがんばらないといけない。その日も、やはりコースの中盤でお腹がいっぱいになってしまった。コースの前半でパンを食べすぎてもいる。お代わり自由のパンを控えることができる賢さと強さを、私は持ち合わせてはいない。

コース料理が終わり、私の胃袋はふくれ上がっていた。するとそこへ、店員さんがワゴンを押してやってきた。ワゴンの上には、様々な種類の一口サイズのチョコレートが並んでいた。10個くらいはあっただろうか。お好きなものをどうぞ、と言われた。お好きなものを、お好きなだけ、お選びください、と言われた気もする。こんな素敵なワゴンに出合ったことがない。全部食べてみたい。しかし、私の胃袋は限界に来ていた。いいえ結構です、と私は言った。ひと粒も、私は食べることはできなかった。かしこまりました、と店員さんが言い、チョコレートをのせたワゴンは去って行った。去って行くワゴンを見つめながら、チョコレートの持ち帰りは可能でしょうか、と私は心の中でつぶやいた。

食べ損ねたチョコレートをのせたワゴンに、このたびハーシーズのチョコレートとロータスビスコフが追加されることになってしまった。美味しいチョコレートなんて、近所のスーパーでいくらでも手に入るし、ビスコフさえも、スーパーで手に入れることができる。しかし、食べ損ねたものを自分で用意して、自宅の居間で食べればいいという話ではないのだ。あの日あの時あの場所で、その食べ物を食すことに意味があるのだ。

私のもとから遠ざかって行くチョコレートワゴンの情景は、15年経った今も、色濃く心に残っている。そこへ新たに2品も追加され、去り行くワゴンの情景がますます濃くなってしまった。


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