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からっぽ

詰まっていないのだ。からっぽ。
子供の時から、「つまらない」ってよく思っていた。

つまらない・詰まらない・からっぽ

満足の仕方を知らないのだろうか?
方法がわからないのだろうか。
自分でもよくわからない。

恵まれているのだろう。
日々の生活に、不安を感じたことはない。
身体もいたって健康だ。
夫も子供も、家も仕事もある。
よほどの高級品ではない限り、欲しいものは買える。
でも からっぽ感 常にアリ。
「当たり前の毎日に感謝を」
「小さな幸せを大切に」
わかっていますよ。知ってます。
でもでもでも・・・。

SNSはやってない。「今日のワタシ情報」を
発信するのは、趣味じゃない。
イケメンは好きだけど、推し活はしていない。
50歳を過ぎて、ますますわからなくなってきている。
子供の進路は、子供のものだ。自分の勲章じゃないし。
夫の出世は、夫の努力の賜物だ。
仕事はまあまあ評価されてるが、時代的なラッキーな気もする。
管理職って暇なんだよね。

若い年代は、共有や一体感を求めるけど、
50代以降は一人で勝手に「整ってる」人が人気になる。
「ミニマリスト」とか「おひとり様」とか。
ネコが死ぬ時に姿を隠すみたいに、歳を取ったらこっそり一人で整うのが他者に迷惑かけない事だと、本能的にみんな知ってるんだよね。
他者に同調するのも、期待するのも体力がいる。若くないと出来ない。

今もまだ子供の時の様に「つまんない」って思って、毎日過ごしている。
結局、ひとって変わらないね。
子供の頃は、母にまとわりつきながら「つまんない。つまんない。」って
言えたけど、今は出来ないしね。

からっぽって事は、容量が大きいってことかな。
まだ袋一杯にならない。
今日もつまらないな。




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