見出し画像

美しいプロダクトには美しいドレスを

 「ストーリーや華美なパッケージで飾らず、商品の質だけで勝負する」というデザイナー側の台詞や、「私はストーリーで商品を選ばない」という消費者の台詞をたびたび耳にする。

 こと香水に関して、この議論は白熱しやすいように思う。なぜなら香水の本質は「香り」という、外見にあらわれない種類のものだからだ。
 「いいかい、本当に大切なものは目に見えないんだよ」を地で行く種類のプロダクトである。

 現在のぼくはどちらかというと「ストーリーやパッケージの装飾は必要」派の人間である。あまり香水慣れしていない一消費者の視点から、ぼくの私見を述べていきたい。いろいろな人のお話をもっと聞きたいので、コメント欄やTwitterでどんどん反駁してくださればとても嬉しい。

 パッケージや商品名、商品に添えて打ち出されるストーリーは、商品に纏わせるドレスのようなものだとぼくは思う。美しいボトルや化粧箱に身を包んだ商品は我々消費者の目を惹き、香りに添えられた詩的なタイトルや神秘的なストーリーは我々をうっとりさせる。
 おしゃれなガラス瓶やリボンや言葉を身に纏うことによって、香水たちはより魅力的になる。まるでぼくたちが香水を纏うときのように。

 これらの「ドレス」は、中身の香水とは本質的に関係のない表面的な装飾品であり、必要不可欠なものではない。言ってしまえば余計なものですらある。その様子は、ぼくらに対する香水のありかたに共通するものがあると思うのだ。
 なくてもいいのかもしれないけど、あればほんのちょっとだけ潤いを与えてくれる。アイデンティティを引き立ててくれる。誰かに覚えてもらうきっかけになるし、興味を持ってもらうきっかけになる。

 ぼくはORTO PARISIの「セミナリス」が大好きなのだが、ぼくがこの名香を知ったきっかけはまさにその衝撃的な商品名であった。この名前がなければぼくはこの香りを試しにド田舎からノーズショップまで出向くことは無かったし、そこで惚れ込んでお迎えを即決することも無かった。
 このような香水との出会い方は、ブランドや香料や香調で香水を選ぶ人々にとっては邪道かもしれない。それでも、ぼくのような形で香水に出会う消費者が一定数存在することは確かだろう。
(なお、同ブランドの「ステルクス」も特徴的な名前で有名である。かっこいいボトルデザインも魅力の一つだ)

 ただし、もちろん装飾のしすぎは逆効果だ。商品に過剰なドレスを着せることのデメリットは二つある。一つはコスト、もう一つは商品のイメージを固定してしまうことだ。
 コスト面に関しては言うまでもないだろう。プロダクトを着飾る衣装に費用や時間をつぎ込みすぎて、本命である香りそのものに注ぐエネルギーが不足してしまっては元も子もない。
 二つ目の、イメージを固定してしまう問題、というのも何となく分かってもらえるのではないだろうか。ボトルデザインを見れば、パッケージを見れば、香水の名前を聞けば、調香師が何をイメージして調香したかを聞けば、どんな香りなのか――女性的か男性的か、明るい香りか暗い香りか、優しいか鋭いか、甘いか苦いか――消費者はイメージしてしまう。
 ここで固定されたイメージを、あとから覆すのはなかなか難しい。第一印象としてインプットされてしまうものだし、仮に香水の匂いを嗅いで別のイメージを抱いたとしても……なんだか自信を持てなくなってしまう。だって、「公式が言ってることと違う」んだもん。

 しかしこれらのデメリットを踏まえても、やはり香水の外見にはある程度の装飾を施したい、というのがぼくの立場だ。そこに置いておくだけで気分が上がるような、洗練されたおしゃれな香水瓶。纏うぼくらを別世界に誘い込んでくれる、魔法のようなストーリー。これらは香水という芸術品に必要な装飾品であると思う。

 ぼくらに香水が必要であるように。



〜補足〜
 ただ一つの例外として、香水の装飾の中でも、着色料を混ぜ込むことによるジュース(液体)そのものの着色は個人的にちょっと苦手である。
 濃い色がついたものは白い服に染みを作ってしまうのではないかとちょっぴり不安になるのと、ジュースの着色はなんとなく、なんというか…外面を包む衣装ではなく内面の色を侵してしまうという点で、個人的に抵抗があるのだ。ぼくとしては、外側をどんなに着飾っても、内側の色は不可侵でいてほしいんだ…。これは完全に個人の趣味の問題である。
 大手ブランドの中にも着色を積極的に行うものと行わないものの両方が存在するが、香水を買う皆さんはどのように思われているのだろうか。

 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?