教師になることをやめた理由

皆さんお疲れ様です!マーシーです!

 noteを始めて数回投稿しましたが、最近は私の中にインプットされている知識の乏しさに気づき、前より一層本を読むようになりました。一方で、歴史の中で知性に溢れていると指摘される人物の多くは、知識や知恵を読書だけでなく、多くの場所を歩きいろんな人と会話することによって得ていたとう記述が多く見受けられます。なかなか見ず知らずの人に話しかけるのは難しい部分もありますが、もっと積極的に多くの人と話していければいいと思っています。

 さて、今回は私が教員にならなかった理由について書いていきます。

 私は小学校の時の恩師から、教えることに向いていると言われたことがきっかけで教師を目指し始めました。紆余曲折ありましたが、現在は教育学部に通えています。しかし、実は教員採用試験を受けませんでした。その一番の理由は、私が自身の己の無知を克服することができなかったからです。それ故に、教えることを中心とした職業に就くことができなくなってしまったからです。
 私は大学生活の間幾度となく教育や教師について考えてきましたが、未だに核心をつかめたと思えたことはありません。核心があるのかどうかも分かりません。私は自分が何も知らず、自分の答えを何も見つけ出せず、あらゆる分野の何一つとして知っていると豪語できるものなどないのに、どうして教えることができようかと考えてしまうようになりました。自分自身が不完全な状態なまま積極的に教える立場につくという恐怖を覚えてしまったがために、私は教師になるのをやめました。

 これはあくまで私個人の理由であって、現在の教師に対する皮肉や嫉妬などは全く混じっていません。それどころか、人間の未来をつくらんとする教師の方々の熱意と、公僕として社会を担う覚悟を心から尊敬しています。私のように恐怖に怯える人ばかりになってしまっては、学校や教育システムは成り立たなくなってしまうので、本当に偉大であると感心します。

 今後私がどのような職業に就き、どのような役割を果たしていくのかを私自身も全く想像できていません。しかし、今はそれが分からないからこそ勉強を続け、自分の人生よりも大事な何かに心血を注いでいきたいと思っています。

いかがだったでしょうか。シンプルな題名の癖に読みにくい文章だったなと自分でも思います。これでもだいぶ修正したほうですが、やはりアウトプットって本当に上手くいかないなと思います。
進路や将来や人生に不安や迷いを持っている方々もいらっしゃると思いますが、一緒に頑張りたいと思っています。

マーシー

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