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【短編】髪を切った日

「今日は、どうしますか?」
と、鏡越しに馴染みの美容師が聞いてくる
「バッサリとショートにしたいんだけど」
鏡越しの美容師さんの顔を見ながら答える
「ずっと伸ばしてたのに、珍しいですね」
と、馴染みの美容師はいうとヘアカタログを持って戻ってきた
そして、私と美容師さんはどんな髪型にするのか
ヘアカタログを見ながら相談する
フラれたから髪を切るなんて昭和の歌謡曲みたいなこと言えるわけがない
と心の中で私は思った
恋人の宗介に突然、別れ話をされたのは先週の日曜だった
他に好きな人ができた
というのが宗介が、わたしと別れたい理由だった
そんな話は、まさに青天の霹靂だった
恥ずかしながら、私は、そんな事に一ミリも気づいていなかった
髪をずっと伸ばしていたのは、密かにいつでも宗介からプロポーズをされてもいいように、結婚式の時のヘアスタイルのために伸ばしていたのだった
でも、その必要も無くなってしまった
と、美容師が軽快に、そして、同じリズムで切っていくハサミの音を聴きながら思った
鏡に映った私の顔とバサバサと切られて落ちていく髪の毛をただ、ぼんやりと眺める
美容師さんが、用意してくれた雑誌もなんとなく 見る気になれず、膝の上に広げたままだった
その雑誌の上にもハラハラと切った髪の毛が積もっていく
雑誌にかかった髪の毛を払うとバサバサと雑誌の グラビアページが音を立てた
雑誌も読んでいない私を気遣ってか
「僕の友達、骨折して入院したんですよ」
と、美容師さんが話しかけてきた
私は、髪の毛を払っていた雑誌から目をあげて鏡越しに美容師さんの顔を見た
「骨折?
スポーツでもなさってるんですか?」
と、聴くと
「いや、木に登って降りれなくなった子猫を助けようと思って、木に登ったら、子猫が逃げちゃって、それでバランス崩して木から落ちて骨折したんですよ
ドジでしょ?」
と、美容師さんは、楽しそうに笑った
人の不幸を笑ってはいけないけれど 
と、思いつつも鏡越しの美容師さんの笑顔を見て つられて、私もクスリと笑ってしまった
「子猫を助けようとしたなんて優しい人なんですね」
と、私は、うっかり笑ってしまった罪悪感を感じてそんな事を言った
「優しいのかなあ?
そういえば、そいつ、小学生の頃からの腐れ縁なんですけどね
そいつ、スーパーヒーローになりたいってずっと言ってたんですよ
しかも、高校生まで、そんなこと言ってたやつなんですよ
優しいっていうより、おめでたいやつって感じですよ」
と、美容師さんは言った
私は、子供の頃、なんになりたかったんだっけ?
と、私はふと考えた
そういえば、私は、漫画家になりたいと思っていた
そんな事をふいに思い出した
子供の頃は、漫画を読むのが大好きだった
そして、いつのまにか読むだけでは飽き足らず、その漫画を真似して、絵を描くようになっていった
そして、少しずつ、漫画のようなものも描いていた
それを聞きつけた友達に読ませて欲しいと言われて読ませたら、結構、褒められて嬉しかったことを思い出した
でも、ある日、私なんかよりも10倍も絵の上手い 転校生がやってきて、私の夢は瞬く間にしぼんでいった
そして、いつのまにか、絵を描くこともしなくなってしまったんだっけ
と、私は、ボンヤリと髪を切られている自分の姿を見ながら考えていた
「はい、おつかれ様でした
シャンプー台で流しますね」
という美容師さんの言葉で我に帰った
美容師さんは、はさみをシャッと腰につけたシザーケースにしまった
鏡には、かなり印象の変わった自分が映っていた
なんだか、私は、なんとなく見慣れない自分の姿に落ち着かなさを感じた
そして、ショートカットになった頭は、驚くほど 軽く感じた
そして、まだ慣れない新しい自分で、美容室を後にした
ふと見ると、店を出る時に
お友達キャンペーンをやってるので
もしよかったら お友達に
と、くれた割引券を持ったままだったことに気づいた
割引券には、担当者のところに、小林という印鑑が押してあった
そうだ、あの担当の美容師さんは、小林さんだった
そういえば、小林さんは、子供の頃から美容師になりたかったのかしら?
今度、聞いてみよう
と思った
そして、私は、帰り道に画材屋さんによって、スケッチブックを一冊買って帰った

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