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中国人になったボク -お釣りがもらえるようになった国から-

ある国では以前、買い物をしても、乗り物に乗っても、お釣りが来ることが期待できなかった
だから、外出の際にいつも小額紙幣や小銭を用意しておかなければならなかった
お釣りはくれてやればいい、と言うのは簡単だが、ちっぽけな額でも、もらえるべきお釣りが来ないときには、それなりのストレスを感じるものだ
そう簡単に割り切れるものではない
(もちろん、「お釣りは要らないよ」みたいな場面もありますが 笑)

いまは状況がおおいに改善されて、お釣りをもらえることも多くなった
その国の中央銀行が多量の小額紙幣を発行するようになったからかもしれない
それでも、苦い記憶というか、トラウマというか、外出する際に小額紙幣と小銭がポケットに収まっていないと、いまだ不安に駆られるのだ


ところでその国
以前なら、街中を歩いていると「おまえは日本人か」とよく訊かれたものだ
ところが今は、「おまえは中国人か」と訊かれる
不愉快きわまりない、虫が好かない
中国人が嫌いだというわけではない(でも、やっぱり嫌いかな?)
自分の帰属を間違って捉えられることに違和を感じるのだ

たしかに日本や日本人のプレゼンスは以前より後退した
ホテルのテレビでも、日本語のチャンネルの代わりに、例の国の中央電視台みたいなのが幅を利かせている


かつて、お釣りがもらえなかった頃
そして、まだ日本人で通っていた頃(笑)
人びとはのんきだった、おうようだった、のんびりしていた
それが拝金主義が隅々に浸透し、金額にやたら細かい心性がはびこるようになって
たしかにほぼ正確な釣り銭は来るようになった一方、何かもっと大切なものが失われてしまったような気がする
お釣りには替えられない別の何かが ・・・


雑踏で人波をかき分けながら、こんな思いにとらわれている

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