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【映画】『哀れなるものたち』感想【紹介】

 今年これ以上の映画ってないんじゃねーの?(n回目)
 今回は、映画『哀れなるものたち(原題『POOR THINGS』)』の感想を記していく。いつもの僕のnoteと違い、下書きも目次もなく綴らせていただくが、感想の新鮮さを重視したいためお許しいただきたい。他のコラムや批評を見てからでは、自分の言葉ではなくなってしまいそうだし、主人公ベラのように、真新しい脳みそで言語化したいのだ。新鮮な感想は新鮮な野菜と同じくらい大事だし、新鮮な死体は貴重だって劇中でゴッドウィン博士も言ってただろ!(マッドサイエンティスト感)

 まずはストーリー。自ら命を絶った不幸な女性ベラは、天才外科医ゴッドウィン・バクスターの手によって奇跡的に蘇生する。その蘇生方法とは、ベラが妊娠していた胎児の脳を取り出し、移植手術するというものだった。かくして大人の体に新生児の脳をもったベラは、義理の娘兼実験体として、ゴッドウィンの加護のもと大切に育てられていく。言葉や世界地図、その他の勉強をしていくうち、ベラは「外の世界を自分の目で見たい」と、強い好奇心に駆られる。そして、遊び人の弁護士ダンカンと共にヨーロッパ横断の旅に出るのであった。真新しい脳で貪欲に世界を吸収するベラは、どのように成長していくのだろうか。

公式サイトより。ポスター。吸い込まれそうな青い瞳してんな君な。

 冒頭の情報だけで面白そう過ぎる。この映画を語る上で欠かせない点はいくつかあるが、一つは予告でも分かるとおり「白黒」と「色彩鮮やか」なシーンがあることだろう。本編は、序盤全て白黒のシーンで描かれる。ゴッドウィンはベラを育てる中でいくつか言いつけしている。「外の世界は恐ろしくて、危険である」とか、「君の両親とは友達だった(大嘘)」とか。これはゴッドウィンがベラを隠し、守るためである。実際助手のマックスには人権問題や倫理問題を指摘されている。そりゃ自殺遺体を勝手にこんな手術したら、大問題になりますわ。ただ、ゴッドウィンにも奇妙な愛情のようなものはあるらしく(少なくとも僕はそう思う)、ベラに性的なことは一切していないし、寝る前に絵本を読んであげることもある。初期のベラは赤ちゃん同様なので、当然赤ちゃん同様に皿を割って遊んだり、嫌いな食べ物をその場で口から戻したりするが、見守っている。まあ科学者だから、ベラの成果を確かめたいだけなのかもしれないが。

 ゴッドウィンの反対を押し切ってヨーロッパ旅行に出るとき、画面の色彩が鮮やかになる。本作の鮮やかさはスクリーンで見る甲斐十分だ。箱庭に囚われていたベラが、解放された最初の瞬間である。船に乗っている最中のベラが、窓の外の景色を見て「ブルー(青)、ブルー、ブルー」と言うシーンは印象的だ。ただ青と言うのとは一味違う。それまで白黒の壁しか知らなかった彼女は、外を見て空から海までのグラデーションをそう表現したのである。青の一色ですら、三つに分けて感じられるほど、感性が豊かになったという意味なんじゃないだろうか。

 ちなみにその後もゴッドウィン博士とは手紙で不定期にやり取りをする。博士、「科学者なら、ベラが外に出てどう成長するか観察するのも仕事だ。科学者に情は要らない」とか言っているが、絶対に手紙待ってるし寂しそうなの、可愛いんだよな。最終的に博士は、監禁同様の生活をさせていたことを後悔するようになるが、この関係性を語りだすと長くなるので割愛。

 もうひとつ、年齢制限について。本作はR18と、映画で最も高い年齢制限をつけられている。予告を見た時点では「なんで?」と思っていたが、本編を見ると納得である。内臓が映るシーンもあるし、セックスシーンもたくさんある。ベラは別に「性的なことはタブー」だとは誰にも教えられていない。というか性に限らず、良くも悪くも常識や良識、偏見や差別とは無縁の存在だったのだ(当然これから知ることになるが)。初めてオナニーした日の朝、ベラはメイドに嬉々として話しかける。「ベラ幸せになる方法見つけた。教えてあげる、簡単」と。メイドの股を触って案の定叱られるわけだ。しょーがねえだろ子供なんだから。
 では本作はエログロだけの奇妙な映画かと言うとそうではない(奇妙ではある)し、そこがアピールポイントでもない。もしそうだったら予告時点でエログロを押し出しているはずだし、本作のメッセージはもっと文学的なところにあると思う。それに、断じて本作に年齢制限は必要だと言わせてもらう。地上波向けや全年齢にした瞬間に、本作の魅力もメッセージ性も半減するだろう。

 くどいようだがもう一度ストーリーを語る。ベラは最初、1日25語覚えたり、世界地図パズルをしたりする。やがて、毎日喜んで抱きついていたパパ、ゴッドウィン博士の元を離れ旅行する。セックスを知り(気持ち良いものも、つまらないものも)、哲学や読書を知り、友人と語り合う喜びを知る。出会いや別れを経験し、スラム街を目撃して人間世界の不平等さ、自分がいかに恵まれて安全な存在であったかを知る。自分で労働してお金を稼ぐ。その中で考え続ける。善だとかお金だとか存在理由ついて。お分かりだろうか。本作は「誰もが経験する人生を圧縮した作品」に他ならない。だから、目を逸らしたくなるシーンもあったが、やはりあらゆる規制やモザイクは本作の魅力を下げてしまう。自殺直後のベラの頭が切開されるシーンにも、スラムの残酷なシーンにも、ベラが服を脱ぐときの乳首にも、モザイクがかかっていてはいけないのだ。人生にモザイクなんかかかるか? 答えはノーだ。全てを刮目しなければならない、エロもグロも人生なのだから(頭を割られることはまずないだろとか言わないでくださいスマン)。

 ベラはさまざまなことに怒り、笑い、疑問に思うわけだが、それも僕らが成長過程で疑問に思うことばかりじゃないだろうか。大人になっていつの間にか「当たり前」になってしまったことを、本作は思い出させてくれる。「本当にそう思う?」って。
 だからといって純粋さとかウブさを綺麗に描いていないところも、好感が持てる。純粋とは、別に良いことばかりとは限らない。純粋な善もあれば純粋な悪もある。序盤、助手のマックスが捕まえたカエルを見せてくれたとき、「殺せ」と言ってベラがカエルを潰すシーンは印象的。子供って残酷なことするし、自分もしたなと。今なら絶対にしないが。こういう可哀想なことやってしまってたよね、本当に嫌なことを思い出させられた(つまり良い映画)。

 ところで、つまるところ本作における哀れなるものたち、すなわち「Poor(哀れ、貧しい)」とは誰のことなのだろうか。明示されるわけではないが、考えてみたい。というか、考えずにはいられない。見ている途中からすでに、「Poorなのは誰?」「自分は哀れなるものだろうか?」という考えが頭から離れない。なんてもん見せやがる(褒め言葉)。
 余談気味だが原題の「POOR THINGS」とは、慣用句的に、「可哀想に」「お気の毒に」といった意味があるらしい。
 僕はひとまず、「進歩なきもの」と捉えさせてもらう。ベラは常に「進歩」「成長」を求めている。例え考え方が変わったり飽きてきても、進歩は止まらない。終盤、知識も考えも成長したベラがマックスと散歩するとき、マックスは自立しきったベラを受け入れ、「男も女も進歩している方が良い(べき、だったか)」と言う。最初から最後までベラと対等に会話したのは、マックスや、船で出会った老婆くらいじゃないだろうか。
 ベラは子供のスポンジのような脳みそで周囲からどんどん吸収して成長していくわけだが、実は、周りの人々もベラに影響され変化していくのだ。その中で、変わる者、変わらない者、尊敬する者、罵倒や支配しようとする者、様々だ。ゴッドウィン博士は考えを改め、ベラに隠してきた誕生の全てを話し謝罪する。
 どんどん知的になっていくベラに「お前の可愛い喋り方が失われていく」と嘆くダンカンの、いかに可哀想なことか。愛する人の成長が嬉しくないのか? ならばそれは愛ではなく、執着や支配欲だろう。

 僕も日々、成長を忘れずにいたい。それは大きなことでなくても良いと、ベラを見れば分かる。外国語一単語覚えただとか、この食べ物初めて食べたけど美味しすぎるとか、マズイとか、本を読んで面白いだとかつまらないだとか、そういったことでも良い。
 あなたも、変化し続けていればきっと大丈夫なのだ。何もない一日でも、無職でも不登校でも成長はできる。問題はどう過ごすかだ。ベラのように吸収し、考えていればそれは立派に成長と言えるだろう。

 本作、少しでも気になっているならオススメだ。なんにせよ、どのような面白く素晴らしい感想も、本編そのものを超えることは出来ない。

以上

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