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アニマルズ 素晴らしき野生【短編】

 普通の小説だったら、雷がゴロゴロなる夜に、怪しい館の屋上でフクロウが鳴いている様子から物語は始まるのだろうが、その夜おれは洗濯物を干していた。この日は、朝は大雨だったし、日中は仕事に行っているからだ。夜中になってやっと晴れたので、洗濯物を干してから寝ようかなと考えていたまでだ。
 そこで、遠くに鳥が飛んでいるのが見えた。かなり大きい鳥だ。ワシかタカか、猛禽類らしい。翼は2メートル以上あるように見え、それがこっちに向かってぐんぐん飛んでくる。おれは気にせず、シャツだとかパンツをハンガーにかけていった。
 だが、そのでかい鳥は一向に方向を変えない。このまま、おれのベランダに突っ込んできそうな勢いだ。しかもワシほどの大きさの鳥かと思ったが、もっとでかい。近付くほどデカくなっていく。その体は大柄な人間ほどもありそうだし、両翼の大きさは2メートルどころではない。
「おいおいおいおい」
 誰に言うでもなく声が出た。ぶつかってきてしまう。ついに鳥は、あと2秒でおれとぶつかる距離に迫ってきた。避ける体制をとるが、間違いなく窓は突き破られる、と思われた。だが、その鳥は上手に急上昇してから下降し、優雅にもベランダの手すりに降り立った。
「おや、佐藤。なぜ俺のベランダにいる?」
 それは正確には鳥ではなく、また人間でもない。人間のように二足で立っているが、両腕両足の手は鉤爪のように曲がっており、肉体は大柄な成人男性だが、被ったフードからは髪の毛ではなく鳥の羽毛がはみ出していて、黄色いくちばしも見える。彼は、鳥と人間の間にいるのだ。
「ウダカさん。ここおれの部屋っすよ」
「間違えたか」
「驚かせないでくれよ」
 羽高さんは、おれの向いの部屋に住む人だ。この姿だと日中外に出ると目立つため、夜にフードを深く被って外出する。羽高さんがなぜこの見た目になったのか、おれから聞いたことはない。詮索するのも野暮だし、実際この見た目で彼が生活できているのなら、心配するのは余計なことだ。とはいえ、ベランダに突っ込まれるのは困るが。
 だが彼はお喋り好きなので、初対面のときに諸々話してくれた。

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 あの日、アパートに越してきて数日だったおれは、アパート地下にあるバーで酒を飲んでいた。オレンジ色の照明が酒やカウンターを優しく照らすバーだ。そこで、羽高さんが入ってきた。ロングシャツにジーパンという姿で、両手の鉤爪は袖から大きくはみ出しており、羽毛を纏う頭も隠していなかった。身長2メートルはゆうに超える大男、しかも人間だか鳥だか分からない。羽高さんはおれの隣に座ってジンを注文すると、ぐいっと飲み干した。くちばしだから、端っこからジンがこぼれてしまっている。
「よう。新しく入ったイカレはお前か?」
「佐藤です。よろしく」
「本名を名乗れよ」
「本名っすよ。いや、本名を言えってなったら、名前は無いってことになる」
「何だそれ。中二病か?」
「おれ、昔は名前なかったんすよ。だから名前も戸籍も、全部金で買ったんだよね。佐藤って名前も金で買った。でも戸籍だってちゃんと佐藤だよ」
「お、おう……」
 羽高さんの方が戸惑っているようだった。鳥の鋭い目が、数秒泳いでいた。
「俺の名は羽高タロウ。『羽』に、高いの『高』だ。よろしくな。俺は戸籍買ったやつに初めて出会ったよ。その生い立ちだと、俺の見た目に驚かないのも納得だな」
「ここに住んでる人はみんなワケありだってのは、聞いてるからね」
 このアパートに住んでいる人はワケありで、このバーに来る人もほとんどがここの住人だというのも察していた。「さっきから目の前で何度も自殺されてるしね。この子には十分ビビらされたよ」
 おれはカウンター越しにいる女性を見た。
「佐藤も、彼女が死ぬところを見たか」
「ねえ、二人とも私を殺して」
 バーテンダーの女性が言った。この女性はおれの隣の部屋に住む人で、鳳凰という。鳳凰は自殺を繰り返した結果何度死んでも蘇る体になってしまったゾンビガールなのだが、細かい説明はまた別のときにしよう。
「殺して殺して殺して」
 鳳凰はヒステリックにカウンターを何度も叩いた。拳から血が出ている。
「嫌だね。ジンをくれ。殺しは佐藤に頼め」
 羽高さんが鳥の顔を横に振った。
「おれだって無実のやつを殺したくはねえよ」
「じゃあ自分で死ぬ」
 鳳凰はカウンター下にある包丁を取り出して、自分の首に近付けた。
「よせ!」
 という頃には、包丁が顎下から頭の上まで突き抜けていた。包丁を抜くと鳳凰の顎から血が垂れ、額からも垂れてきて、綺麗な顔が赤い血に染まった。どさり、と音をたて、鳳凰は倒れた。ピクピクと痙攣した後、動かなくなった。
 おれはため息をついた。
「鳳凰さん、以前からこんな感じなの?」
「彼女はいつもこうだ」
「冗談きついって」
 しばらくして、傷が塞がったらしい鳳凰が立ち上がった。
「うう、また死ねなかった。どうしてえ」
「俺がこの素晴らしい鳥の姿を手に入れた経緯を話そう」
 羽高さんは鳳凰を無視して、話し始めた。どうやら、羽高さんは今の自分自身の姿に誇りを持っているらしかった。

 以下は、羽高さんから聞いた話だ。話の途中で何度か、鳳凰が「殺して」と話を割ってきたが、おれも羽高さんも無視していた。
 羽高さんは、人間の女性には生まれてこの方、性欲を感じたことがないらしい。では性欲がないのかというとそうではなく、鳥に欲情するという。そこで、中学生の頃からメスのハトとファックを続けていた。そうするとあるとき、本当にバカみたいな話だが、半分鳥の姿になったらしい。その肉体は日本の公安の管理のもと調べられたが、羽高さんの体内には新種のウイルスが見つかり、医学界で大真面目に「鳥チンフルエンザ」と名付けられている。本当にそういう名前だ、おれが名付けたわけじゃない。鳥チンフルエンザは羽高さんの体を変えてしまったが、別に死の危険や毒はなく、本人に苦しみや、その他病気症状があるわけではなかった。その結果、羽高さんは羽毛を持ち、他にも空を飛べたり、視力も20あったりと、鳥の特性を備えた肉体を手に入れたのだ。

 話を聞き終わる頃には、鳳凰は三度くらい自殺していて、服が血まみれになっていた。


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 みんなは、『百匹目の猿現象』という言葉を知っているか。生物学者ライアル・ワトソンが唱えた話のことだ。作り話だとのちに発覚はしているが、これがなかなか、科学と神秘のちょうど真ん中をいっているようで興味深い。
 こんなお話だ。日本のある島に住む猿が、芋を洗って食べることを覚えた。すると、同じ群れの猿が真似をして、芋を洗って食べるようになった。芋洗いはどんどん伝播し、芋を洗う猿が一定の数(このお話では百匹だ)を超えた。すると、海を超えた全く関係のない土地の猿たちも、芋を洗うようになったのである。
 群れの中で流行や真似が起こるのは、人間も猿も同じだ。だが、遠く離れたところでも同時多発的に同じ行動をとり始める者が現れるのは、超常現象に近い。人間の世界でも、常軌を逸した一大ブームや、集合無意識の概念がある。例えば、通信手段のない太古から、地球の東には鳳凰という不死鳥伝説があり、地球の西にはフェニックスという不死鳥伝説があったように。百匹目の猿現象は、こういった神秘的な事柄を例えようとしたのかもしれない。

 ところで仕事を終えたおれは、夜、酒でも買おうかと部屋を出た。すると、羽高さんとはち合わせた。そのエジプト壁画に出てきそうな鳥の頭を見上げる。
「どうも羽高さん」
「よう、佐藤。今から出かけるのか?」
「はい。酒でも買おうかと」
「俺もだ。一緒に行こう」
 羽高さんの右手を見ると、病院の予防接種で使うような注射器があった。彼は、おれの視線に気付いたらしい。
「これか? そういや言ってなかったか。この注射を打てば、俺は一定時間人間の男の姿に戻ることができる。公安から定期的に届き、外に出るときはこれを打て、と言われているんだ。なんせ、この姿では目立つからな」
「なるほどね。それを使って社会に馴染んでいたんだね」
「こんなもの……」
 羽高さんは、突然注射器を握り締め、鳥の手の中でバキバキにした。鉤爪の隙間から変な液が漏れる。「誰が使うかァ!」
「ええ、何やってんすか」
「醜い人間の姿に、わざわざ注射打って戻るわけないだろ。公安めが。人間なんか、さっさと絶滅しろ」
「人間の姿、嫌いなんだね」
「当たり前だ。この姿の方がハンサムだろう」
「おれもそう思うよ。特撮ヒーローみたいでかっこいい」
「ふふ、お前分かってるな。目立つから、裏道から行くぞ」

 アパートを出て、人通りの全くない道を二人で歩いていると、頭上から大きな声が聞こえてきた。カラスの鳴き声のようでもあり、人間の赤ちゃんが泣くような声にも聞こえた。おれは別に気にしなかった。猫や犬かもしれないし、おれは動物の鳴き声を当てるのは得意じゃない。
 だが羽高さんは立ち止まった。
「なんだこの声は?」
「羽高さんにも分からないの?」
「確かに鳥らしいが、聞いたことがない。日本にいない鳥かもしれない。誰かに飼われているとか」
 羽高さんは、鳥の鳴き声が分かっていて、そこいらの鳥とコミュニケーションをとることができる。羽高さんと出会うまで知らなかったが、カラスはカアカアとただ鳴いているように見えて、実際は鳴き声の違いや、その意味合いがあるらしい。例えば「ここにエサがあるぞ!」とか「ここら辺は俺たちのナワバリだぜ」とか言ってるらしいんだ。
「佐藤、おい見ろ。お前にも見えるか」
 羽高さんが、鉤爪で上空を指差した。その方角を見ると、何かが飛行していた。最初は鳥に見えたが、もっと大きいし、何より人間のように八頭身に見えた。おれは確信した。羽高さんと同じ、鳥人間だ。頭部は鳥だが体は人間で、大きい翼をもっている。おれは横に鳥人間がいるから今更驚かなかったが、おれよりも、羽高さんの方が驚いているらしかった。
「ゆ、夢じゃないよな」
「へえ、羽高さんって一人じゃないんだね」
 羽高さんの横顔は、困惑半分、しかし同族を見つけた喜びに、目を輝かせているようにも見えた。

 その日、世界各地で、「空を飛ぶ、鳥と人間の中間のような姿の者」が確認された。百人目(百羽目?)の鳥人間がどこかで目覚め、それからまるで連鎖するように、鳥人間が次々目撃されるようになったのだ。それから、鳥人間を見たという報告が次々とSNSやテレビで報告されるようになった。
 彼らは七割が男性で、三割が女性だ。性別に偏りがある理由として、生物学者の間では、人間の男性がメスドリとファックすることは簡単だが、人間の女性とオスドリとなると難しいからではないかとか言われている。
 今、国連では、彼らをどう扱うのか話し合われているらしい。まずは名付けからだ。日本語だと『鳥人間』だが、英語圏では未定らしい。というのも『バードマン』だと『マン』が男性を表すことになり、女性差別だとされる。だから、『バードヒューマン』とか『バードピープル』とか、いろいろと案が出されている。
 だったら、別に名付けなくても良いじゃないかとおれは思う。おれが羽高さんを呼ぶように個人で呼ぶか、そうじゃなかったら、別に名付ける必要もない気がするが、ともかく、政治ではこういう話が大事らしい。

 こんにちでは、君の上空でも鳥人間が飛んでいるかもしれない。それは何人目の鳥人間なのだろう。


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