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無形文化財 鬼祭り

こんにちは チエです。

天狗と鬼とのからかい
2000年も続く鬼祭りが我が町にはあります。

奇祭 であり 鬼祭です。

毎年 2月  11日と決まっています。この日は、建国記念日。

五穀豊穣 家内安全 
いわれとしては、
鬼が暴れるのを天狗が納める。

そのとき撒かれるのがたんきりあめと粉  小麦粉です。

その小麦粉を喜んでかぶり、今年は皆健康に過ごせますね!

と言う奇妙な昔からある

神事です。


役割として、
鬼の町内、天狗の町内、子鬼の町内、舞の町内などずっと変わらず引き継がれているのです

神事なので。
おじいさんも、お父さんも代々天狗をしたけど、俺はヤダと言う子もいる。

やりたくても、
やはりやれる子もいれば、やれない子も、大人の事情でいろいろです。

我が家は、新しい住民だけど、その年には子がいなくて
やらせて貰えるときだったようです。

鬼祭りが大好きで、毎年真っ白になって楽しんで嬉しくて過ごしてきた。

小学校3年生からお祀りの手伝いに参加できるので、1月の二十日頃から毎晩、祭りの準備に参加してました。

祭りに履くわらじ作りの手伝い。毎年大人に教わり、わらじを作ることをしながら、大人の世界に混じって、祭りの息吹を感じてました。

この寒いのに、毎晩、喜んで愉しんで、無形文化財である伝統芸能を肌で感じて、いつかは俺も、天狗やりたい!と思ったらしい。


わらじ作りも、まだ自分の物ではなく、大人の人の物のお手伝いから始まり、祭りのメインである

天狗と、鬼のからかいの舞

その舞を、口伝で代々受け継いできている。長刀を振り回して、鬼退治の舞です。

天狗の町内は、過去の経験者が次世代に教え伝えているのです。わらじ作りから、
天狗の舞の伝承に小学生から参加できるので、嬉しくて楽しくて冬なんて、ないと思える勇ましさです。

中学生になると、裃と、袴を貸して貰えて、当日参加できるのです。憧れの神事の参加。

神事なので、凄いですよ
伊勢神宮の宮司さんがお越しになってから始まるというものです。

詳しくはまたとして
天狗をする年の前に、椅子を持つ役割を1年ご奉仕して
次の年には、長刀を持ち運び側に仕える役を1年ご奉仕して

3年目に天狗という仕組みです
それもやれる年齢が二十歳くらいの若者となっているので、

毎年、誰が次にはと協議され、そのために健気に参加してたと思う。

考えたら、祭りとは言え素晴らしい教育システムが出来ていて、皆さまにお育ていただいた気がします。

さて、丁度やらせて貰えることになり、有り難くも神役を賜りました

神役と言うのは
神事を務めさせていただくこと

まずは、
練習の始まる1月末の頃からお清めらしきことが始まる。

食事は四つ足の物は食べない
女には触れない、例え婆であろうと女には変わりはない。
女の作った物は食べない
洗濯も自分でする


あの頃どうしてたのか、記憶はないけれど、なんとかしてたと思う。大学生だった。

社会人の人がすることもあるけれど、とにかく、凄い決まりでした。

厄介なことが起きてしまった我が家に、たくさんの方にご心配かけました。

義母、要するにおばあちゃんが病気、同居している人に不幸があれば、不浄とされ、神役はできない。

もしものことがあれば代役
それは、前年の人がする。
大変なことです。神事の取りやめはあり得ないし、とんでもないことなのです。


その頃の義母の容態は
危なかった。自宅で看てた。
肝臓ガンの末期でした。
本来ならば、病院にと言うことなんだけれど、往診してくださる先生の助けもあり、自宅で看てました。

年明け頃から、入院させることも考えたけれど、亡くなれば分かってしまう!神事が出来ないと言うことで、
毎夜、頭取さん達が来てくれて、もし万か一があっても、隠そう!
隠そう、

恐ろしいことなんですが、
そのまま、介護と、神事の両方でたくさんの方に助けられました


姪や甥、母にも助けられて
なんとか持ち堪えてくれた義母に感謝です。

自宅で舞う孫の姿も義母は見てくれました。写真の中には時々、モヤ~ッとした煙のような物があちこちに写ってます。

なんかね?

お祭りも無事終わり、義母はたくさんの孫や子に囲まれた時間が楽しくて

有り難う、有り難う
有り難うと何度も言いながら、
わたし死にたくない!って言ってました。

でしょうね。自宅で看るのは大変ですが、本当に義母は最後の最期、パラダイスだったと思うのです。

本当に大変でしたが
たくさんのプレゼントをもらった気がしてます。

今日がその
鬼祭りの日です。

コロナ禍でずっと取りやめになってたのですが、形を変えて今年は開催されます。


お祭りは、やはり、お祀りです。

大事にしたいですね。

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