人間はどのような真理を期待しているのか
何者かが自らのレゾンデートルを神に問いただしている様子を、人間であるあなたが眺めている場面を想像してみよう。
人間であるあなたは、その何者かの発する問いかけに共感を抱くと同時に、神がどんな応答を見せてくれるかを心待ちにしている。
しかし人間は、対話の当事者になると同時に傍観者にもなっていて、
「しかしわれわれは、神がどう答えたら満足で、どう答えたら不満を抱くというのだろう。そもそも何を期待してこんなことしているのか」
などという、ある意味では呑気だが、ある意味ではより鬼気迫る疑問が頭を掠めるだろう。
いよいよ神がその口を開こうとした時、人間は神の言葉を遮るように、
「いや・・・やっぱり、いい。何でもない。ほんと。気にしないでくれ」
と言うかもしれない。
神の言葉を遮る度に、人間は自らが神の手から離れている感触を覚える。
彼の行動はむしろ神を無力化し、堕落させ、そして同時に、彼が神の下へ近づいていることを意味する。
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