蝿の王子と蛆の姫③
目を開く。
しかし、なぜか目の前から拳が飛んでくる。
あまりにも突然のことに、自分が殴られたという事実すら理解できない。
脳が揺さぶられて視界が歪む。
そういえば、殴られた経験がない。
目の中の火花。鈍痛。
これが殴られる感覚なのか。
鈍痛?
初めて殴られたにもかかわらず、僕はちゃんと痛みを想像することができた。
「つぅ」
頭に痺れが広がる。
「ちょっと、大丈夫?」
しばらく意識を失っていたようで、誰かが呼ぶ声がする。
「ねぇ、聴いてる?」
女性の声ということは分かった。
「大丈夫」
強がってみせたものの、伸びていたのだから威厳はない。
「……つう、えーと」
目の前の女性に見覚えはない。
「ほんとに大丈夫? 頭でも打ったの?」
思い出そうとしても無駄だろう。
何故なら、本当に初めて出逢ったのだがら。
「ごめん、ちょっと記憶が怪しいから教えてほしいんだけどさ」
この口調であっているのか、それもわからない。
「今何年の何月何日?」
「1981年7月1日でしょ」
「そんな設定だっけ、もう少し前だった気がするけど。あ、えーと名前は?」
「え!もしかして私の事も覚えてないの?大変、早く診療所に行かないと」
「いや、そうじゃないよ。記憶の辻褄があってるか確かめたいだけだから」
「喋り方もなんだかおかしいし、私の名前は虹坂マコト。あなたは、路木リュウジでしょう」
「うん、合ってる」
コウサカとロギ。
マルチプレイのゲームなのに個人名は変えられないのか。
「だいぶん記憶が戻ってきた」
「ほんとに大丈夫?先生呼んでこようか?」
街のマップだけは頭に入っている。
いまここは、蛆姫神社に続く石段の前だった。
診療所に行くのが正解なのか、殴ってきた相手のことを確認するべきなのか、説明がまったくないのは不親切だ。
「ところでさ、なんでこんなところで倒れてたの?」
「わからない。誰かに殴られたような気がする」
「誰かって、もしかしてまた雪人と喧嘩した?」
「雪人?」
下の名前ということは、親しい人間だろうか。
「喧嘩したのかも、よく覚えてないけど」
VRゲームっぽくない。
選択できるコマンドや道具の所持もない。
よくいえば、現実のままの自由度がある。
悪く言えば会話がだるい。ゲームの根幹にかかわる部分までスキップしたい。
「コウサカはさ」
「ん?」
「NPCなの?」
現実でこんなことを聞いたら頭がおかしいやつと思われそうだ。
「どういう意味?」
「いや、なんでもない」
急に没入感が怖くなり、無意識に目の前にないヘッドギアを触ろうとして手を伸ばす。
しかし、自分の右手はちゃんと顔に触れることができてしまった。
少年特有のツルッとしたハリのある肌の感触。
つまみあげれば、たしかに自身の頬に痛みがある。
まぁ、そうか画面外に肉体はあるのだから、それをつまんでいるにすぎない。
僕は初めて自分の肉体を視認した。
身長は120センチくらい、かなり華奢な体つきをしている。
9歳〜12歳くらいだろうか。
下手をしたらもっと若いかもしれない。
もちろん声変わりもなくて、体毛すら生えていない完全な少年の体格。
サバイバルをするには少々頼りない。
運動も得意そうには見えなかった。
「まるで現実と変わらない。これがゲームなのか」
「なに?まだ寝ぼけてるの?」
「こちらの会話に合わせて、こんなに的確に返答できるのもおかしい。やっぱり、君もプレイヤーなんじゃないかな?」
「……重症ね。いまから天道先生呼んでくるから、安静にしてなさいよ。頭が一番怖いんだから。おじいちゃんも、頭やられてから早かったんだから」
よくわからないが、彼女の話しぶりは演技ではないらしいことは分かる。
診療所ルートしかないか。
僕は流れに身を任せてみることにした。
まだサバイバルゲームが始まる気配はない。
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