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「金」と「成る」。


「目は口ほどに物を言う」

近頃意識するようになった言葉だ。

実際は、「強い思いがこもった眼差しは言葉にせずとも気持ちを伝える」という意味だが、思いを伝えるのは口だけではない、と広く解釈している。

「沈黙は金」「口は災いの元」などとともいう。

とかくお喋りは損をするものということなのだろう。


立ち居振る舞いが美しい人がいる。

「見た目」ではなくその人の「所作」に相手の心遣いを感じるような人だ。

立ち方、食べ方、歩き方。
ひいては、ゴミの捨て方に至るまでそういう人は徹底している。

どうすれば、あのようになれるのだろうか?

やはり、重心がぶれないような体幹か?
それとも生まれ持った骨格?
はたまた、なんでもゆっくり丁寧にすることなのか?


なんだか、どれも本質ではない気がする。


ある本には「見えないところへの意識」について書かれてあった。


誰も見ていないところでの行動。

たとえば掃除や爪切りなど、その人自身の「習慣」がその人となりを形作っているそうだ。


うーん。なるほど。

他者からの「見た目」にこだわっていてはいけないということか。

おそらく、そういう人に「なる」、というよりは「成る」という表現の方が適切なようだ。


一歩一歩に目を向けて、一歩一歩「成って」いく。

ところで、「成る」という言葉は将棋で使われる表現だが、弱い「歩」が「成る」と強い「金」になる。


沈黙は「金」


こんな言葉遊びも面白い。

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