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最近の不思議なこと

なんか不思議に思っている事なんですけど、、

例えば触らせてもらっている筋肉がかたくても、それを触りながらだったり、軽くおさえたりしながら、

この硬さは自分(私と受けてる人)の意識が思い込みで創り出しているものかもしれない。
この感触もそう思い込んでいるだけかもしれない。
本当はこうではない。
この体もそれを望んでいない。
ここにある体と主が望む形になる。
ここにあるものは形があって無いものだから。

って感じのイメージをしていると、勝手に柔らかくなる。

施術者ってわりと、治したい、治してやる、ゆるませたい、○○してやるとか、そういうのが自分の軸になっている部分って大いにあると思うんです。
それがプライドだし、自我、存在理由みたいな感じにもなってるから。

で、たいていはその次に辿り着くステップは、
この体が勝手に治すもの。この人にお任せする。
という感じの意識。
治してあげたいとかの○○したいという意識は残るけど、操るものではないっていう感じ。

自分自身もそこだったのですけど、ちょっと前から、あれ?もしかしてこの物質や感触自体、本当はクライアントさんと一緒に創り出してしまったものではないのか?

痛いとか辛いっていうのがあってここに来ているのだから、それは何かしらあるのだろう。

ただ、この硬さとか辛いとかって、お互いに視点を変えられたら無いものになるのでは??

って、考えたんです。

なので、ここにあるものは形があって無いもの、
それゆえに主が望む最善のものになっていく、、、ってスタンスでいると、そこへの変化が速い気がするのです。
(シータヒーリングって呼ばれるものも、少し掘り下げるとこういう事なのでは?って思った。)

なので、これは諸々偶然なのだろうか?と、不思議の連続なのです。

手当で体を緩ませる事自体は誰がやってもある程度できると思う。

ただ、この意識?を用いた時の再現性は誰にでもあるのだろうか?なんなんだろう?って不思議に思っている。

仏教でいうところの空とか無我とか非我とかもこんな感じなのかなー?どうなんでしょー。。

も少し補足すると


この自分が書いた内容は、もしかして大多数の人やその人の認識によって成り立ったものから視点を変えてみたらもっと違うものがあるのでは?
みたいなイメージも元になっていたりします。

みている物体の中身って、本当にそうなのか?
学問や解剖実習などで見たものも、みんながそう認識するからそういう形になるのでは?

という感じで、一旦その一つの真実は置いといて、この体の中身が実は宇宙や星のように無限に広がるまだ認識されない生命の集まりだとするならば、お互いの認識をその人が望む最善のものに摺り合わせたらそう変化するのでは?
というイメージです。笑

体を中心にする場合の一つの例として、相手が望む最善の認識が痛みからの解放とか、体が治るとかですかね。

クライアントさん側は人体の構造や生理学とか把握している方は多くないので、こちらが骨格がどうの、生理的にどうのって事は触る時にはなるべく考えず、ただ相手が思うコリをなんとかしたい、治りたいにセットしてあげる、みたいなイメージです。
(心の問題が絡む場合はそこのセットの補助もあらかじめするとして)

こちらが思う体と心のイメージと、相手の望むものが反発するものならば辿り着けない未来。その反発する部分をわざわざ施術者側が創り出さないようにするという感じ。

そうなると、そのセットされた部分に合わせて、クライアントが自分の治癒力や見えない動きで勝手に整っていく。。。

という、量子論にも近いかもしれないこの仮説を元に、相手の心身を整える最善の方法を考えたり試してたりするのですが、この現象がある意味最近の不思議を紐解きたいマイブームでもある、みたいな感じですね。笑

はい、難しいかもしれない内容なうえ長くなりましたが、最後までお読みくださった方、ありがとうございました!

たまにこんな不思議ちゃんな事も書きますが、私は基本的に不思議ちゃんな分類です。

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