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昭和的実録 海外ひとり旅日記        予測不能にも程がある トルコ編 06



日記_008  パスポートなんていらない

 9/apr 1978 

エミノニュ〜Yalova 連絡船2hs 40TL
|Yalova駅〜Iznik otöbüs 1hs 22.5TL

勇躍、決心。Yalova(アジア側)行の船に飛び乗る。

(本当にイスタンブールは船に限る。行き詰まった時、気分を変えたい時、行き場を失った時、勿論テンションが高揚した時、どんな時でも、絶対お勧めなのがこの連絡船。とにかくエミノニュ港へ!)

パスポート無しにイスタンブールを離れるのは[かなりヤバイ]のだが、自分の衝動を抑えられないのだから致し方ない

雨に煙るYalova港近くのバス停、Brusa行きのバスはデラックスバスだが、その中でちんまりと潜めているミニバスがIznik行き。客は4人。

狭いバスの窓からの風景はイスタンとは打って変わってあ−ぁ、田園風景
緑の中を行くに従い雨も上がってきた。2時間前の船の中の気分を打ち消してくれる、これぞ旅モード突入の感慨がこみ上げてくる。

途中、ポプラ並木に粘土壁の家々が車窓に美しい2つの村を過ぎると、右手に湖が見えてきた。Iznikはその湖の東側の畔にぐるりを城壁に守られた、ちょっとトルコから連想する街とは違った印象の街であった。
家々の屋根にはレンガ積みの大きな煙突があり、羽を広げれば2Mはあろうかと思われる鳥が何ヶ所かで巣作りしているようだった。どうもコウノトリらしい。(あのメルヘンな?益々・・らしくない!

人々は実に親切である。少年にトイレを案内してもらったのだが、一向にチップを受け取らない。
妙なことに驚くと思われるが、恐らくイスタンでの[意識してもいなかった]気配りやら油断を許さぬ窮屈さから解き放たれた延び延び感を今満喫できているためなのかもしれない。

ミュージアムの館員も同様に親切で、実はトプカピやスルタンアーメッドモスク(別名ブルーモスク)などで見られるブルータイルはここIznikが発祥とのことで訪れることにしたのだ。

残念ながら今は造られておらず、既にその製造技術は絶えたのだと言う。
代わりにというわけではないのだろうが、車で4K程の丘の中腹にある墓地に案内されたのだ。

こじんまりとしたエリアにいくつかの建物があり、アヤソフィア同様歴史の堆積がそのまま体感できる場所となっていた。
AD4世紀頃の全壁面彩色画の時代から一部火災後、教会になったというビザンチン時代のモザイク画時代(彼が発見したのだと言う)を経て、セルジュクトルコ時代には一時住居として使われ、再びオスマンのモスクとなった遍歴の場だというが、今は窓が封印され天井も無い。

「ギリシャ軍に壊されたため、ギリシャとトルコは仲が悪い。」と彼は苦笑していた。(これがキプロス紛争の根か)

機能を優先する(のだろう)合理性・寛大さが政治・宗教などに頓着しないトルコ人(イスラムの人々?)の気質を思い知らされるようで、快哉と叫びたくなる。

そして今日はまだまだ精力的であった。

ジャーミィでお祈りもつぶさに見たし、アンティークなハマムも体験したし、ミュージアムの彼に教えてもらったホテルもダブルベットで、バルコニーの付いた瀟洒な部屋で75TLは、充分に価値あり



 コラム_10 HAMAM in IZNIK

 <お待ちかねトルコ風呂の話>

日本人のトルコに対する最大の誤解文化がこれ。
果たして日本で”トルコ風呂”と命名した人は、このHAMAMの何を見聞して然りと思ったのだろう。

建物外観のロマネスク風の赤茶けた大理石乱貼りの存在感が、妙な自信を秘めた落ち着きを誇示しているようで威圧的である。

ホテルではシャワーだけなので、忘れかけていた日本流風呂の充実への期待感もまた高鳴ってくる。

中に入ると(あれ日本の銭湯じゃん)、ズラーっとフィティングルームのような脱衣室が並んでいて、思った程の違和感はない。

そうは言っても、[はてさてどうする?]まずは様子見の時間稼ぎが必要か?[さすがトルコ!チャイサービスのカウンターが・・]、館内は蒸気のせいなのだろう、かなりムッとしていて気分では無いのだが、ここは熱々のチャイに縋ろう

(なるほど、正面のカウンターでタオルを整理している若者が番台係だな)(客は皆腰布を巻いてウロウロしているところを見ると、脱衣室で裸になれば良いのだな)

よし、それだけ判れば、いざ出陣!

Hamam in Iznik

① レセプションでシャボン・シャンプー・タオルを渡され、脱衣室に案内される。 
② 服を全て脱ぎ、脱衣室に掲げてあった風呂敷状の腰布を纏う。
③ 三助に案内され、左にトイレ、右に湯上がりらしき場を通り抜け、扉を開けると、
④ 全体がドーム天井の蒸し風呂。 周囲に4つのコンパートメントと3つのオープンスペースが洗い場で、センターに直径4M程の大理石のステージが構えている。
⑤ 三助に促され、そのステージに寝転ぶ。ジットリ汗をかくこと10分間。
⑥ 三助にコンパートメントに案内され、壁際の椅子状段差に壁を背に坐りこむ。
⑦ 三助が明らかにマッサージを兼ねた力強さで洗ってくれる。脇には水甕があって、かけ湯してくれ、また体を洗い流してもくれる。
⑧ 新たな腰布を与えられ、湯上がり場では別の者が体を拭いてくれてから、最初の部屋に戻りベッドのあるブースに通される。
⑨ ベッドで休みながらチャイを飲む。フリータイム。
⑩ 脱衣室で着替え、レセプションで26.5TL払って、終了。

いやはや至れり尽くせり。




ハマムも満喫したことだし(久し振りにゆっくりゴージャスに寝られそう)と思った帰路、結婚披露宴までゴチソウになってしまったのである。

丁度ホテルのバルコニーからはその会場が見通せて、夜半近くにはお開きになったようだが、今も赤々とライトが灯っている。
懇意の人たちにとっては夜通しとなるのは世の常かぁ。

あぁ 実に開放感!



 コラム_11  まだまだ続くHAMAMの話


慣れないと初めは腰が浮く。

ローマ時代よろしく互いに腰布を当てただけの姿で、相手はムキムキマン、それを裏切るように甲斐甲斐しいまでの洗い振りには戸惑わない訳が無い。

中はムッと熱気があるが、サウナほどでは無い。センターの大理石に寝転がるよう促されるのだが、見上げるドーム天井に驚かされた

天井面はたくさんの穴が穿たれて星空の如くとなっていたのだ。
(外は明らかに暗黒なのにその穴は明るいということは、二重天井の内照になっているはずである)

じっくり蒸し上がった体からは想像を絶する垢がでる。
面白がるようにムキムキマンは垢すりをマッサージさながらに駆使し、湯を頭から何度もぶっ掛けるのだ。
・・まるで貧血を起こさせるかのように、しかし体は軽くなる・・。

上半身を拭いてもらい、王様気分そのままに新しいタオルと腰布を纏い、ベットのある部屋でチャイを啜って休む。
ヒトはこんなにも虚ろになれるのかと思うほどの脱力感を味わえる。

恐らくトルコの人は三助など頼まないはずだから、ずっと安い(26.5TL)に違いない。

ホテルへの帰路、夜風がフワついた脳に爽やかな疲れを注ぎ込んでいく

夜目の先の市民会館風の前に、この街中の人が押しかけたのではないかと思われる程の人だかりがあって、その中を着飾った2人が挨拶して回っている様。結婚式の披露パーティーであった。

覗き込んで試たら、中に引き込まれた。
(トルコの結婚式では見知らぬ人に対しても隔てなくもてなしてくれる

バクラヴァやジュースが配られ、またイスラム圏であるにも関わらずトルコではお酒はイイみたい。政教分離政策の結果と聞いているが。
その酒は「ラキ」というブドウから造られる蒸留酒で、水で割ると手品のように白濁する。かなり度数はあるようだ。
自分は下戸なのでこれ以上の情報は持ち合わせていない)

バンドが「べッサメムーチョ」ビューティフルサンデー」「サムシング」を演っていた。(海外の音楽も受け入れられているようである)

こんな時間というのに子供たちの歓声はどこも変わらないようだ。


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