予測不能にもほどがある 31 (欧州各国)|イタリア編 (8 昭和的実録 海外ひとり旅日記
日記_033 ・・・をたずねて - 番外
18/ 19/ july 1978 手ぶらの帰り道
もう1度Liverpoolに行こうかと思ったのだが、Markが勧めるのでYorkに行くことにした。
「York」、ヨークシャーとかヨーク大主教とか良く聞くのだが、果てさてどんな街なのか。
降り立った駅舎は、竜骨のボールト天井で形成されたトップライトに取り込まれた薄光が、プラットフォームを深く緩やかなカーブを描きながら覆い、支えのコリント柱や壁の美しい襞が、連綿と繰り返された歴史を写すようにも感ぜられる。
成る程この駅舎だけ見ても、この街への来訪を咎める理由もないだろう。
結界もなく駅舎を出て、各所に現れる城塞門やその道壁に自然に沿いながらRiver Ouseを渡れば、巨大なゴシック容姿のYork Minsterまで、街は容易に繋がっている。
それでも街の概観を確認しようと、40P(≒150円)払って塔の天辺まで、狭いらせん階段を内壁を撫でるように登れば、生暖かい感触の戦慄を覚え息が早くなったのは、先達の魂が壁伝いに宿って居るとでも言うのか。
商店街らしきが映ったのでMarkへの土産でもと、チョコレートショップ(Yorkの名物らしい)を覗いてみたら閉まっていた。
5:30ジャストには閉店するらしい。
(?どうもEnglandの店舗とのテンポ(!)がしっくりこない)
木組みにしっくい壁の古い外観、しかも鴨居が一本大木から切り出した素晴らしいファッサードのショップも同様に閉まっていた。
結局、手ぶらのままの決まりの悪い帰り道となった。
コラム_67 駅舎のプラットフォーム
ヨーロッパに限らず、外国の駅舎は大概が、街の地平レベルと地続きだ。
このYorkの駅舎で、思わず気が付いてしまったのも、列車|線路部が掘り下げてあるのであって、プラットフォームは街の地平レベルに繋がって、フラットのままであるということ。
日本の鉄道はイギリスを真似たに違いないが、根本のところで痛恨のミスを犯してはいないか。
(他にも日本の模倣の勘違いは、施設づくりに限らず、制度設計などにも数え切れないほど、有りそう)
すなわち駅舎という場には、通行を限定するような条件がある訳は無く、そこは利用者や見送りの人に限らず待ち合わせやら通り抜ける人やらぼんやり暇つぶしの人まで、あらゆる人々のインフラ場であることは肝に命じていたはずだ。
しかし日本の駅舎はプラットフォームを立ち上げたが故に、その床内を建物と捉え、結界としての改札を設け、外観には階段も設え、恰も領域所有を誇示する結果となり、牽いては街との有機的連続性を阻害する要因となっては本末転倒だ。
初めて訪れる旅行者にとって、街への玄関の敷居は低い方がイイ、周辺の居住者にだって結界がなければ特別視なく使用もし、通り抜けもできるから、きっと新たな出合いのモチベーションも生まれるだろう。
街にとって風通しが良いことが、結果、差別の無い、ヒトに活力を与える原動力となって還ってくる、一番の手法なのだ。
現在(1978年当時)、日本は都市一極集中から、経済一点張りではない新たな街おこし・地域再生が叫ばれようとする時、このような勘違いで出来上がってしまったかも知れないインフラを、後継するために無駄な労力や足枷となるようなことが無ければ、良いのだが・・・。
mamanは勿論、Markの妹、その孫娘加えて友人のHarry、Alain、店の人たち、総勢10人近くが集まって何事か。
今日は水曜日、半ドンのMarkの店を早々に切り上げてみんな見送ってくれている。
この1週間本当に彼らは実に自然に俺をもてなしてくれたと思う、English Wayってこうなんだって、手前勝手に思い込んでいる。
Harryの車がManchesterに着くまで、English breakfast・・pub・・Fish & chips・・Blackpool・・Boltonの街並・・English hospitarity・・と思い出させるシークエンスが、
車窓に浮かんでは消え、浮かんでは消えていく・・・。
20/ july Londonを感じたか
LondonではYouth.Hを目指すのだが、いずれも満員、仕方なく Tube近くのEarl's CourtのGuest Houseを見つけたのだが、下に居る人が皮膚病だったらしく、一晩中暴れ騒がれ寝付けず、翌日近くのホテルに変わる。
今週の土曜日の便でLondonを立とうと、PIA Officeに問い合わせると、”週末便は割増料金”があるとのことで4£払ってから、改めてチケットカウンターに行くと
”土曜の便は無い ”、
”たった今Officeで聞いて、4£払ったばかりだ ”、
と告げれば奥に引っ込み、再び現れれば、
” 今日の夕方なら、ある ”。
(PIAはいつも、こうだ!)
Paris行きは週に1便と脅されれば、選択の余地は無く、その便を確保。
勿論 4£は戻らなかった。
Londonの空気は結構合いそうに思えたのだが、止む無し。
半日だけでもイイからLondon感じておこうと、助平根性丸出しでWestminster AbbeyからBig Ben〜St James's Park〜The Green Park〜Hyde park〜Speakers' Corner( Boxは確かに有ったが、使用されている風はない)と歩き始めたものの、余りにLondonバカデカ過ぎて、
外観見たからって何を感じるでも無く、ただ虚しい疲労感のみ・・・。
コラム_68 PIA Air ticket
(欧州各国)|イタリア編 (6で、貧乏旅にも関わらず、平然とParisを素通りしてEnglandに直行した理由はここにあったのだ。
ストップオーバーの効くこのPIAチケットは本当に頼もしかったというべきだろう。
要するにLondonを最終寄港地として往路|復路上、それぞれで途中下車可能なチケットなのだ。
旅の準備段階から、”点ではなく、線での旅”を目論んだ時、唯一それが難しいだろう場所がAfrica-Asiaの唯一の陸路、シナイ半島だった。
第3次|4次湾岸戦争後も(1978年3月 Egypt-Israel和平合意あるも)未だ、完全封鎖状態は続いていた。
これは流石に如何ともし難い。
紅海の南側の航路も(当時こんなルート調べようにも術は無い、現地でしか分からないだろう)あるだろうが、もし封鎖が融ければ・・・なんて不躾な連想も時には必要なヒトだって居ておかしくはないだろう。
緊急避難用として想定していたモノが、思いもかけないところで転用されたというわけさ。
(勿論みなさんご存知の通り、未だにシナイ半島はEgyptに返還はされてはいても、自由な通行は許されてはいない。
この旅のその後の途上でも、何度かこのチケットに依存すべきか否かの選択に迫られることになる・・・)
21 / july 飲食、高い
結局Paris市内到着はほとんど深夜、飛行機の中で会った日本人二人と宿探しできたのは心強かったのだが、久しぶりの日本人と心赦し過ぎると自分の怠惰グセが顔を出しそうで、生真面目そうな二人には申し訳ないと、今日の新たな宿を探すことにした。
とにかくFranceは農業国のはずだが、飲食が高い。
ランチ程度でも最低20FFは取られる、今は買い込んだ果物・パン類をホテルで齧って、6FFだ。
” Oh,Champs Élysées ♬ ”と散歩中空耳すれば、コインランドリーとYMCA(チョット汚いが、朝夕食付きで30FF)も見つかり、洗濯も済ませ、明日の宿も目安がついたことだし、今日はLazyな一日としよう。
コラム_69 Parisの公衆トイレ事情
余談だが、Champs Élysées周辺で公衆トイレを探すのはとても大変。
高い飲食店を避けてと思っても、大型店やパブリックなビルなども見つけ難いし、公園らしき広いスペースに巡り合っても、公衆トイレらしきは見当たらない。
大きな歩道の真ん中にキオスク風の建屋を見つけた。
ミノムシの皮のように壁が螺旋状にクルンと巻いて、開口がある。
利用しているところを見たことがないが、確かに公衆トイレで1ブースしかない。
有料らしく1FF(フラン以下にサンチームという貨幣単位があるが、旅行者に縁はなさそうだし、勘案などしている場合では無い ) を投げ入れる。
横スライドの扉で、螺旋状の壁が巻いていたのはその為かと合点はいくのだが、開口部が広すぎて、外から内部が丸見えになる。
しかも6m幅くらいの広い歩道のど真ん中だから、人々の視線が釘付けになっているんじゃ無いかと、とても落ち着いた心地からは、程遠いこととなる。
現在のParisのトイレ事情はどうなんだろう。
22 / july 妬むほどのコレクション
Parisを離れた日以来の太陽が、ここParisでまた戻ってきた!
(English weatherって本当に律儀、Parisに戻ってくるまで8日間Englandの空はず〜っと太陽を隠しっぱなしだった!)
晴れた気分にLouvreも余り似合うとも思えなかったが、グランドフロアに立ってみる。
Egypt・Mesopotamia・Greek・Romeの歴史物で埋め尽くされていた。
(やっぱり)?
実は一昨日急遽Londonを立たねばという時に、The British Museumだけでも、と足を踏み入れていたのだ。
しかし未だ整理も覚束ないかのような夥しい数の、巨大なEgypt遺跡群は、雑然と埃っぽいグランドフロアに恰も放り出された風を目の当たりにして、何か強欲な権威主義のようなものを感じて、踵を返してしまったのだった。
その点Musée du Louvreは整然と展示され、再現されたかのような墓室に嵌め込まれた壁画・レリーフの美しさを引き出そうという崇敬の念は充分に感じられる。
だからと言ってコレクションの域をはみ出し過ぎてはいないかという程の夥しさに、目くじら立てるのも持たざる者の妬みの何ものでもないか。
そのためか、1階にあるVénus de Miloも上野博物館で見た(”汗”をかいたVénusの)感動を上回ることはない。
Victoire de Samothraceに迎えられながらこの大階段を上りきった先から始まる絵画展示こそ、Musée du Louvreの真骨頂であるのは明らかであろう。
Courbet・angleの意外な人間味の斬新さを筆使いの中に再認識できたり、 Rembrandt・Delacroixの思いがけない計算高さにちょっと失念したり、
” La Joconde ”の謎の微笑の行方を作者の性の倒錯と絡ませたって犯罪なんかにゃなりゃしない、やっぱりナマに触れられるからこその醍醐味・リアリティの凄みが味わえる。
(とにかく何れにしても、足は棒を通り越して、鉄になって・・・)
23 / july Parisも感じたか
Youthを離れ、château de Versaillesに行こうとChamps Élyséesに差し掛かったら、道の両脇に山脈のような人だかりで、中で自転車レースが始まらんとしているようだった。
(えぇっ、これって” Le Tour de France ” ? )
人垣の殆どがちょっと間抜けに見えなくは無い、ツバの小さなキャップを被っている数といったら、尋常ではない。応援幕らしきを持って練り歩いているグループも居たものの、Le Tour de Franceか否かは判断できず終い。
人垣を掻き分け覗けば、余り勝負感は感じられず、凱旋顔見せのようにも見受けられる。
初日なのか最終日なのか・・・。
日曜日の上にこの有り様だから、他の通りはひっそりとしている。
思わぬ時間も食われ、機先も削がれた感じでVersaillesへの気分も薄れたか、La tour Eiffel脇に見つけた高速バス乗り場からは、Versailles行きでは無く、Orly行きのバスを選択していた。
半分悪戯気分で、例のPIAチケットをチラつかせながらFrankfurtを申し出たら、”現在、3時間半遅れ”で出航未定とのこと、(やっぱりこのチケット何処の乗り継ぎ間でも有効なんだ)調子に乗って今までのPIAウップン解消チャンスとばかりに多少ゴネたら、昼食券が出てきた。
(PIAも空港によっては、やるじゃないか)
空港内のビュッフェで、久々のご馳走とばかりに意気込んでみたもののそう食べられる気分でもない。しかしSteak tartare(名物生肉)は旨かった。50FFのタダ食い。
でもちょっと気持ちは、後ろ向き。
今朝起きるまではParisを出るつもりなど毛頭なかったのだが、結局定刻から3時間遅れの代替のLufthansaで、行き掛かり上、Frankfurtに向かうことになった。
( Paris・・充分感じたか?・・ )
コラム_70 (欧州各国)| Itary Map_8
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