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「梔子(くちなし)」  『香染記』

香日和「こうびより」「こうにちわ」とも~     十一之記

日本古来の黄色を染め出すのは「梔子」と「刈安」です。
アカネ科常緑性の日本原産の低木。
飛鳥時代から黄色染料(色素名クロシン)として用いられました。
くちなし飯(黄飯)、栗きんとん、和菓子の美しい天然の色(カロチノイド)を暮らしに生かしてきたのは古代からの知恵です。
ジャスミンのような芳香の花を干した、くちなし茶も自然の恵み。 果実は黄疸や打撲に、和漢薬「山梔子」として活用されました。
16世紀、ヨーロッパに渡り、恋人に贈る真白な花「ガーデニア・ジャスミン」。中国では、梅・百合・菊・桂花・茉莉花・水仙・梔子を「七香」とし、花の姿かたちだけでなく、香りも大切な美でした。

でも、一番の価値は、美しい色と香りです。
くちなしの白い花からは想像もつかない、あでやかに光輝く黄が、絹糸に宿ります。

「梔子色」は果実が熟しても開かない(口無し)ことから、別名を『もの云わぬ色』と言います。
平安貴族は教養として、この色の意味を知っていました。
くちなしの香染は、平安期の人々の心のときめき、『口には出さない心の想い色』です。

平安人の愛した「山吹色」は『山吹の 花色衣 ぬしや誰れ 問えど 答えず 口なしにして』「古今和歌集」素性法師と歌われているように基の色はくちなしで染めます。
くちなしに紅花や茜を少し加えた「山吹色」は別名「黄金色(こがねいろ)」。 黄金は錆びずに生のままの光を保つので「生色(しょうじき)」
とも言います。
風に吹かれて揺れる山振(やまふき)から「山吹」。
『万葉集』では愛しい人の面影に重ね、庭に植えたことから「面影草(おもかげそう)」とも云われました。
八重山吹は実がならないことから「実らぬ花」とも。
江戸時代になると将棋や碁盤の脚にデザインされ、無言で指せ、口出し無用を表しました。
大判、小判を「山吹色」と云うのも江戸の洒落、粋でしょうか。

「玉鬘」の帖『くもりなく赤き 山吹の花の細長はーー花やかにあな清げ』
源氏が玉鬘に選んだ正月のしつらへ(衣裳)は、黄色ではなくまぎれもない赤色(紅花色)。
風に揺れるたおやかな風情の山吹の花。花の名は「色名」となりました。
玉鬘との恋は実らなかったので、八重山吹だったのかもしれません。

「初音」の帖『空蝉の尼衣にも なほ心ばせありと見ゆる 青鈍の几帳 心ばへをかしきに いたく居隠して 袖口ばかりぞ 色異なるしも なつかしければ涙ぐみ給ひて』
佛前の香、青鈍の几帳に身を隠した空蝉の尼衣とは?
なぜ、「袖口ばかりぞ 色異なる」のでしょう?
「生絹なる単衣ひとつ」から始まった、源氏と空蝉の心の縁の物語に「色異なる袖口」が大きな役割をしています。

それは「初音」の前帖「玉鬘」、年の暮の衣裳しつらへで、源氏は空蝉の尼君に『御料にある くちなしの御衣 聴色なるそへて』と、源氏の御料の「くちなしの御衣」を聴色をそえて贈っています。「色異なる」と何色かは描かれていませんが、あの「くちなしの御衣」だと解っています。

源氏から贈られたあの「くちなしの御衣」を尼衣の下の袖口にそっと見せます。尼になっても昔よりも、奥ゆかしく源氏への変わらない想いを、そっと抱きしめる柔らかな人柄の「もの云わぬ」空蝉です。
口にはしなくても互いに「なほ心ばせありと見ゆる」心遣いのできる源氏と空蝉です。
「青鈍」と「黄」に当たる光は懐かしく「なほ心ばせあり」。
山吹の香染は「赤き、花やかに、清げ」をイメージし、経糸はくちなし色、緯糸は山吹色、揺れて黄金色(花葉色)が変化する光彩の重ね、身に纏ってこそ完結します。

『源氏物語』の中で最も劇的で、最も美しい「賢木」の帖の「青鈍」と「黄」に当る光は「黄昏(たそがれ)」。
桐壺院一周忌の御八講のはての日、中宮は、源氏との子春宮の世を背き給う秘密(憂さ)に耐えられず、髪をおろし、出家します。人笑へになることの
恐れ、源氏と春宮瓜二つの美しさの驚き、源氏の慕情と、中宮の心の乱れの様に外は風がはげしう吹きふぶいています。
御簾の中は冬凍氷の時、その匂ひ深くある薫物(たきもの)「黒方」、仏前
の「名香(みょうごう)」、生命(愛)あふれる「源氏の匂ひ」、香りあひ極楽思ひやらるる夜の様子です。
地獄の様な苦しみから中宮は、春宮を守ることのみ考え、毅然と源氏の想いを断ち切ります。
『御几帳も青鈍にて ひまひまより ほのみえたる薄鈍 くちなしの袖口など』なまめかしく 奥ゆかしい。歌を交わす中宮は少し気近き心地のように感じます。源氏はしのぶれど涙ほろほろとこぼれます。
薄鈍の尼衣で、源氏の想いは断ち切ったけれど「くちなしの袖口」が「少し気近き心」に響き、なお中宮の心は源氏を想っているようです。
中宮と源氏は 極楽思いやらるる芳香の中に身を置きながら、絶望を感じます。後身の桐壺帝は亡く、左大臣も辞し、中宮の位に賜るべき官も得ない、と状況は悪化の一途です。
そして口にしないことで希望の光、絶対の光を見い出します。
その光は「黎明(れいめい)」、陽光輝色、明ける色です。明ける色『赤』

                                                           染日和「そめびより」に~


香日和「こうびより」「こうにちわ」とも~      十二之記

源氏十八歳と若紫十歳は、北山の満開の深山桜とともに、運命の出会いをしました。
『小柴垣のもとに立ちのぞきたまへばーー白い衣山吹などのなれたる着て 走りきたる女ごーー髪は扇を広げたるやうにゆらゆらとして 顔はいと赤くすりなして立てり』
時代々の絵師たちが筆を揮った有名な「かい間見」の場面です。
扇を広げたようにゆらめく黒髪と、赤みの冴えた山吹色の対比。
黒対黄は目を止め、注意喚起する補色。
白い衣と、犬君(いぬき)が伏籠の中の雀を逃がしたと赤くすりなした顔の対比。文字(言葉)から響く、白と赤は陽光。
夕暮の霧の中、一筋の光の様に走りきたる、あどけない少女は、源氏が心を尽くし慕う藤壺に生き写しです。涙ぞ落つる。
初草の若葉のような姫は、祖母の尼君の亡き娘と、藤壺の兄兵部卿宮の間に生まれた藤壺の姪と後にわかります。
藤壺との世に背いた罪の恋に苦しむ源氏にとって、一筋の光(希望)であり、藤壺の形代(かたしろ)の若紫との出会いでした。
「白」と「青(緑)」が伏線となった輝く山吹色です。

加賀前田家に伝わる小袖の「留守模様」は小柴垣と伏籠、雀です。
絵巻の「かい間見」の場面に必ず描かれる「伏籠(ふせご)」とは?
水盤の上に香炉を置き、竹籠を被せ、衣をかけて香をたく炷きしめる「伏籠(ふせご)」。「薫」が日常の暮らしにある人たちは貴族と解ります。
しかし、貴族が愛した山吹襲は「なれたる着て」とあります。
宮殿で植栽される梔子は、北山の庵では手に入りにくく、以前染めた衣を幾度か水を通し、柔らかく身になじんだ。時節毎に新しい衣を仕度する後身がない、と解かります。
そのわたりの山賤にまで布施をして姫を手元に置き、後見にと、想いを歌に託します。
想いに連なる「若き紫のゆかり」若紫の物語の始まりです。

武士の時代、寛永14年3月5日家光に長女千代姫誕生。その直後、婚礼道具が幸阿弥十代長重によって、「初音」の帖を意匠に、制作開始されます。
千代姫3歳の時、尾張徳川光友に5歳に輿入れます。この時の調度が、現在
名古屋徳川美術館所蔵の国宝「初音蒔絵婚礼調度」です。
主人公の人物あえて描かず、池、松、鶯などの情景や髭籠、破子などの事物で象徴的に表現する「留守模様」。この日本独自の意匠美とは?
元禄時代、友禅という多彩な絵を自由に描く染織技法が生まれました。
意匠には古典文学『源氏物語』が用いられ、物語の鍵となる事物を情景の中に隠し描く知的な遊びが、小袖という衣の世界で行われました。

以前、高島屋に出品していた時のこと、小さな香箱に留守模様の蒔絵作品が出品され、拡大鏡で緻密な美しい蒔絵を見て頂いてました。あるお客様が籠の名前をお聞きになり、「伏籠でしょうか」と答えると「伏籠はわかっている。名前よ」とのこと、髭籠がわかるまで一同あたふた。『源氏物語』のフアンのこだわりにびっくり。私には香をたきしめる「伏籠」を
雀の籠に用いたことが大切。若紫の身分を暗示する事物、ただの竹籠でなく香のたき染められた伏籠です。どうぞ私に『源氏物語』の文学で突っ込まないでくださいね。

                染日和「そめびより」に~




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