【教員1年目】noteを始めたきっかけ

 こんにちは。公立小学校教員1年目のけんじです。
 今回は、自己紹介も兼ねて、私がnoteを使って発信していこうとしたきっかけについて投稿します。

私がnoteを始めたきっかけは以下の3つです。

  1. 自分の教員としての生き方に疑問を感じたから

  2. 教員以外の道を探りたいから

  3. 何かにこの葛藤を記録しておきたかったから

それぞれについて書いていきますね。

自分の教員としての生き方への疑問

 現在公立小学校で担任として働き始めて、まだ1年目の私ですが、果たしてこの職に就いてよかったものか、何度も悩むことがあります。毎日夜遅くまで職場に残り、日々の授業も自転車操業の毎日。授業だけならまだしも、生徒指導案件もあり、毎日毎日精神はすり減らされていく。4月は若い先生ということで面白がっていた子どもたちも、今となっては、「授業はわかりにくい、頼りない先生」として私をみなし、日々子どもたちとの心の距離を感じています。
 教育への熱や子どもたちへの愛があれば、どんなに授業がうまくいかなくても、子どもたちとなかなかうまくいかなくても、「次はこうすればいいんじゃないか」「明日はこうしてみよう」と前向きな気持ちになれるのでしょうか。果たして、そんな気持ちが今の私にはなかなか湧いてきません。そんなエネルギーが私にはありません。
 外的要因ではなく、内的要因で悩んでいることが、なかなか解決に進まないない一因なのでしょうか。子どもたちは、いわゆる悪い子ではありませんし、保護者の方も優しい方が多いです。職場の雰囲気だって全く悪くありません。では、「教育への熱があるか」、「子どもたちのことを考えているか」と聞かれた時、果たして私は自信を持って「はい」と答えられるでしょうか。どこかに「お世話になった先生がいる=自分もそうなりたいと思っている」「子どもが好き=子どもを教え導くことが好き」と決めつけ、教員になった私がいたのではないか、そもそも、自分が子どもが好きだと決めつけていた私がいたのではないか。それとも、まだまだ自分には努力が足りていないのだろうか。もし努力不足だとしたら、努力することができないのはどうしてなのだろうか。そんなことを思い悩む日々を過ごしています。

教員以外の道はあるのか

 では、教員でなかった場合、私は何を職として生きていけばいいのでしょうか。高校の頃に教職を志し、大学、大学院と教職に就くことだけを考えて学生生活を送ってきた私はいわゆる、「潰しがきかない」教員のキャリアを歩み始めているのではないでしょうか。実際問題、「町おこし」「伝統の保護・継承」「特別支援的観点からの子どもたちとの関わり」「通訳」「翻訳」「言語」など、キーワード的にはやってみたいことは挙がるものの、では具体的に取り組んでみたいものは?と聞かれても、言葉に詰まってしまうでしょう。今まで教職以外の可能性を全く考えてこなかったからです。こんなにも興味があることがあるのに、見向きもしてきませんでした。
 インターネットを見ても、教員からの転職はなかなか厳しいものがあるという書き込みを多数見かけます。ですが、私は疑問を抱き続けながら働くことができるほど私自身を騙す自信がありませんし、そんな気持ちで子どもたちと関わりたくありません。この場を借りて、自分の気持ちを発信しながら整理していきたいと思いました。

葛藤の記録として

 良い出来事であれ、悪い出来事であれ、その時の気持ちは後から思い返すことは困難です。教員を続けるにしろ、他の可能性を探るにしろ、初めて真剣に人生について考えているこの葛藤には私の今後における何かしらの価値があると感じました。初心を忘れることなく、かつ、過去の自分に囚われすぎないよう前向きに生きていく糧にしようと思い、この記録を残すことにしました。

おわりに

 「教員はやりがいのある職業である」これに間違いはないと思います。子どもたちが成長する姿を見て嬉しいという気持ちに嘘はありませんし、保護者の方から感謝の言葉を頂いた際には、今までの努力が報われるような気持ちになります。ですが、私はその部分への面白さや、それに対して熱量を持って取り組むモチベーションを抱けずにいます。あまちゃんである、わがままである、全てその通りです。その中でも、必死になって考え、自分にとって、いい人生が送れるようにしていきたいものです。あわよくば、たくさんの方からご助言をいただけたらとても嬉しいです。
 また、こちらも「あわよくば」ではありますが、同じような悩みを抱えている方に、「あなただけではありませんよ」というメッセージになりますように。


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