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発信し続ける

今日は隣駅の近くのファミレスに来ています。ドリンクバーで過ごして、ランチ食べて帰ろうかと思ってます。

午前中からクリニックでした。先生に今週一週間の行動を記載した表を提出し、変化がないかの会話をしました。

先週、先生から復職するために会社に関係する仕事のような作業をしてリハビリ的に過ごすよういわれました。何をしようか考えた結果、所属部署の取り扱い製品の原価チェック表を作成することにしました。この作業は僕がまだ若いときに上司に言われてやらされてた作業で、やらなくても仕事に支障はないけど、やると原価の成り立ちが理解できて何気なく仕事していると気づかないことに気づいたり、間違いに気づいたり、ふとこれは何でこうなんだろうと疑問が湧いてきたり、といった案外身になる作業です。

ただしかなりのボリュームがあるため、普段仕事していたらやらない作業です。僕がやっていたのはもう10数年前で、残業大好きなモーレツ上司の部下だったので、僕も帰りづらく毎日にように残業三昧で仕事を終えて会社出るのが22時以降があたり前でした。当時はそれが普通だと思っていたからできたのですが、今やれと言われたらとてもやる気にならないし、部下や周囲にこの作業をお勧めしようとも思いません。

正直こんなことしてて何の意味があるか分かりません。こんな誰からも感謝されず、誰にも認めてもらえないこと、いつ止めてしまおうかと思うときがあります。でも復帰したときに何か役に立つかもしれないという薄い薄い希望を持ちながら、今週から午後家にいるときに仮想在宅ワークとして少しづつやっています。

今日そんなことをして過ごしているとクリニックの先生に報告すると、「それは良いことですね」と言っていただけました。自分ではつまらない作業だけど、誰かに同意してもらったり、推してもらうというのは気持ちがいいことなんですね。

今までの僕は自分の殻に閉じこもっていた気がします。何か活動を始めても、この後すぐやめてしまったら恥ずかしいし、上達してからでないとやっていると言いたくない、という変なプライドがあって結局周囲の誰にも言わずコソコソ活動しながら、最終的に誰にも認知されないものだから張り合いがなくなってしまって、結局やめてしまう、という悪いスパイラルに嵌っていました。

下手でもいいじゃん。途中でやめたっていいじゃん。理由がなくたっていい。意味なんかなくたっていい。自分が何か始めた、何かを思いついた、何か続けてる、それを発信し続けることで自分という人間の存在証明になる。何もしなければ自分がこの世からいないもののような気持ちになってしまう。つまり孤独感、孤立感。これが自分を追い詰めるのではないかと思う。つまらないプライドは捨ててしまおう。

他人に話すことで自分の気持ちがクリアになるというのは、休職中に体験したカウンセリングで証明されたはずでした。僕自身がそう感じたのです。自己開示というのでしょうか。自分のことを誰かに話すことがこれほどスッキリするとは今まで思いませんでした。自分はつまらない存在で、自分の話など誰も聞いてくれないと勝手に思っていたからです。

自分を妨げていたのは他の誰でもなく、自分でした。これからは、会社だけでなく、いろいろな場面で自分を伝える練習をしながら、少しずつ自分を開放して、自分の意見をもち、自分の考えを発信できるようになれればと思います。


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