「明日できることは今日やるな」
今日は隣駅のカフェに来ています。
4月からセブンスポット(7SPOT)が使えなくなりましたね。僕はデニーズでPC使っていたので痛手です。もうデニーズでnote更新したりができなくなってしまいます。
もともと何でセブンスポットが終わってしまったのかというと、いろいろ理由はあるのでしょうが、セブンイレブンでお客さんが溜まってしまうのが、もっともな理由のようです。特に郊外のコンビニは車で来るお客さんが多く、でも駐車場スペースは限られてますから、長時間駐車しての動画鑑賞などはお店の経営的にもダメージがあるのでしょうね。せめてデニーズはそのままにして欲しかったです。
さて、先月末に例の亡くなった先輩のお墓参りに行ってきました。経緯は以下を参照ください。
コロナ禍で病気で亡くなったため、表立ったお葬式はされず、ずっと最後のお別れができませんでした。先日年賀状を頼りに奥様あてにお手紙を出し、お墓の場所を伺って、ようやく個人的にお墓参りができました。
立派なお墓が建てられていて、一名分の戒名が入っており、卒塔婆も数本立っていて、なんだか本当に亡くなってしまったんだなあと、ようやく実感が湧きました。
先輩からはいろいろなことを教わりました。新卒ではなかったので、さすがにあまりにも初歩的なことは教わってはいませんが、要領のいいやり方というか、仕事の楽しみ方というようなものを背中で教わった気がします。
最近ふと想い出した先輩の言葉があります。
「明日できることは今日やるな」という言葉です。
世間では逆で、「明日やろうは馬鹿野郎」と言って、仕事を明日に残すのは良くないという意味で使われます。
先輩から言われたそのときは、本当にそれで良いのかなあ、とふと疑問を感じたのを覚えています。でもまあそう言うならお言葉に甘えて明日やろうって単純にそうしました。
その後独り立ちし、自分で仕事を回すようになってからは、それは間違いだ、仕事を明日に回したら明日できる保証がないから、今日の内にやっつけないと自分が苦労するだけだという考えとなり、その言葉は忘れていました。
でも今振り返ると、そのように自分に対して厳しく課していたために完璧主義となってしまい、自分で自分を苦しめることになったのではないかと思います。
だから、適応障害となり休職してしまった今の僕には先輩の言葉に対する感じ方が変わりました。先輩の言う通り、明日できることは明日に回しちゃえばいいのかなあと。それで何かあっても、それでいいんじゃないかと思います。僕の場合、そのくらいで良いのかもしれません。
(でも、部下とか後輩にそれを薦めるかどうかは微妙なところですが...😅)
仕事って数十年続けるものだから、今この一瞬に懸けるという高校球児のような仕事の仕方をしていてはいけないんですよね。短距離走ではなく長距離走なのだから、ペース配分は必要です。
今までの僕は、とにかく失点しないようにガチガチに理論武装したり、準備を綿密に行って、どこからもツッコミどころがないようにするので必死でした。でもそれはもしかしたら自己満足であって、他人はそこまで求めてないし、もっと適当でいいから早く反応が欲しいものかもしれません。
またこれまで僕は、完璧なものを求めすぎるあまり、周囲に頼れず、相談もできなかった気がします。先輩は違いました。すぐいろんな人に投げては反応をもらって、そのラリーを素早く繰り返して仕事を進めていました。その後月日が流れ、先輩とはボールを投げ合う立場になったこともあり、その時はどんどん投げてくる先輩に対し、「何であの先輩はすぐこっちに振ってくるんだ」と少々腹が立ったこともありました。でもそれが要領のいい先輩のやり方だったのでしょう。
自分でボールを持たずに、常に誰かにボールを投げる。今の僕にはとても重要なことのように思えます。
自分で抱えてばかりではダメなのです。どんどん人に頼っていいんですよね。そして逆に人から頼られたときは、その人のために頑張ればいいのであって、お互い様ってことです。
何だか今回先輩の言葉を想い出して、考えが変わりました。今までは、人に頼ったり、人に振るのは、ただの甘えだと思っていました。ある時期、ある意味ではそれは正しいのかもしれません。人によっては踏ん張らなければいけない時期があるし、成長しない場合もあります。でも今の僕にはそぐわない気がします。やり方を変える、シフトチェンジする時期なのだと思います。
先輩のお墓参りにいったおかげで、また先輩から改めて教わった気がします。
先輩、見ていてくださいね。僕は必ず復活しますよ。
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