見出し画像

大谷翔平ベーブ・ルースを超えた男

はるかにあのベーブ・ルースを超えた「黒人」をご存知ですか??

「黒人」がアメリカの根深い黒人との歴史を感じさせている。。。

ところで、
大谷翔平選手はホームラン王と10勝は逃しましたが、歴史と記憶に残るシーズンになりました。

ベーブ・ルースの凄さも現代人が改めて知るきっかけにもなりました。


タイトル通りの彼の名前は
「サチェル ペイジ」


・1906年〜1982

・生い立ち
 アラバマ州のスラム・サウスベイで庭師の父と内職を営む母。12人兄弟の7番目として生まれて貧しい家庭に育った。


・「サチェル」はニックネームで、少年時代に荷物運びで長い棒に複数の荷物をかけて持ち運ぶ仕事をしていたから。



・1918年、12歳のときに万引き癖のため実業学校に入らされた。

・1923年、兄・ウィルソンが所属していたセミプロチームのモービル・タイガースに入団する。


信じられない記録


・ニグロリーグ時代

①約2500試合に登板
②2000勝以上をあげる
③うち完封勝利は350以上
④ノーヒットノーラン55試合など


日本の記録 参照
①岩瀬仁紀 1002登板
②金田正一 400勝
③スタルヒン 83勝
④沢村栄治 外木場義郎 3勝


にわかには信じがたい成績てある、、

↘︎

中南米の野球チームとの交流戦などをすべて含めた数字。


さらに、
・上手、横手、下手どこからでも投げ分ける

・投球練習の際、ホームベース上に置いた煙草の箱の上をボールが通過するほどコントロール

・160km/hを投げていた速球王ボブ・フェラーが「サチェルの投げるボールがファストボールなら、
俺の投げるボールはチェンジ・アップだよ」と発言している。


・フェラーの速球を見た全ての関係者が170km/hを超えていたと証言している。

・ペイジとノーラン・ライアン両者の球を受けた捕手は「179km/h位ではないか」とコメントしている。


・全打者三振になりそうな試合で、最後の打者が振り逃げで28連続三振になった、9回裏にわざと走者をためて無死満塁にした。

 😖マンガのような嘘のような話

→しかも野手を全員ベンチへ引き上げさせて打者に勝負を挑んだなどの逸話がある。


・それ以外にも「今から9人連続三振を取る」と宣言して達成したり、野手全員をマウンドの周りに座らせて投げるなどショーマンシップにも長けていた。


・1930年には、メジャーリーグ選抜との交流戦で22奪三振完封勝利を記録している。



同じ時代のあの
ベーブ・ルースは?

・大人や関係者がベーブ・ルースと直接対戦した場合、万が一ベーブ・ルース「白人」が黒人に負けるわけには絶対にいかない

→という今の日本では考えにくいかもしれないが、そんな歴史の事情が垣間見られる。

たか、

・ベンチからペイジの投球を見ていたベーブ・ルースの顔が青ざめていったとの証言が複数残っている。

・「記録がはっきりしている1934年は105試合で104勝を挙げている」

↘︎
この年のペイジの公式戦成績については主にニグロ・リーグの強豪ピッツバーグ・クロフォーズに所属し、

独立リーグのキューバン・ホース・オブ・デイヴィッドでの成績と合わせ13勝2敗という記録が残っている



メジャーリーグ時代



1947年、ブルックリン・ドジャースがジャッキー・ロビンソンと契約してメジャーリーグの「カラーライン」が破られた時、

ペイジは40歳に達していた。


そして、
1948年、シーズン途中にクリーブランド・インディアンスに入団し、42歳の史上最高齢新人投手として6勝(1敗、防御率2.48)をあげリーグ優勝に貢献した。

最後に
メジャー通算成績は28勝31敗、防御率3.29だが1952年には46歳で12勝(10敗)を挙げており、1952年・1953年には連続してMLBオールスターゲームにも出場している。

・1965年、カンザスシティ・アスレチックスと1試合だけの契約を結んだ。

メジャー最後の登板を果たした試合は、
先発して3回を投げ無失点。この時ペイジの年齢は59歳だった。

しかし生年に異説もあり、実際には60歳を超えていたのではないかとの説もある。




日本ては無名


大谷翔平選手のおかげで、
ベーブ・ルースを詳しく知った。

さらに、
黒人のサチェル・ペイジも知った!

間違いなく
noteをしてなかったら調べないまま
彼を知ることは永久になかっただろう。


興味やスポーツを通して
黒人や白人関係なく

各国の歴史や差別という見えない線

を知っていきたい!


未だに信じられない内容ですが、
みなさんは信じますか???

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?