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やわらか哲学

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人生とは、適正な明かりの中に自分を置くことだ
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#表現

''美''  は  「完全性」  を持っているから美しいと感じる。

完全性とは、 整っており、矛盾がないことです。 私たちは 心で 直感として 一挙に、それを理解する。 ただ、少し整っている位ではなく、完全に整っていて どこにも矛盾がないということ。     その見事さに 私たちは感嘆の念 もしくは 快感情を感じるのである。 「ひとは、美を味わうと創造を始める」  と言いました。 無形の完全性である ’’美’’  を味わうと、私たちはどうしても  形を持った完全性として 表出させたくなる → 芸術    表出された芸術というのは、

美と芸術 、 お互いが到達するところ。

’’美’’ の目的は、その快感情を 作品(自然,絵画,音楽,建築,詩...etc)を通してこの世界へ表出させること。 ’’芸術’’ の目的は、美の所在である 快感情 の世界へ 私たちを送り出すこと。 美と芸術はお互いが到達点であり、補完し合う関係にある。 そして、芸術は 快感情の世界へ私たちを送り出すために最も適した、完全な形を求めて志向し続ける。その志向の導き手であるのが ’’美’’ であり、美 もそれを願っているのである。

’’美’’の性質について

’’美’’ は、私たちに快感情を与える。 美は無形であり、心で一挙に、直感的に捉えるものである。 論証的に、理性的に捉えることはほぼ不可能であるというべきである。 ’’美’’は、さらに次の創造を刺激するものである。 あらゆる芸術作品において、美を包括的に表現できている作品というものは、人々にインスピレーションを与え、新たな創造を開始させる。 美を包括した最も身近で私たちに インスピレーションを与える芸術作品は、 自然である。   美は、創造の動機である。美を味わ

『芸術』 とは、 心が捉えた ”美しい”を表現すること

目には見えないその ’’美’’ を、五感として感じられるように外界へ表出させたものを芸術(art)と、 ひとは呼ぶことにしているのだと思う。 しかし刺激的だ。 ’’美’’ の目的は、きっと、この世に 形を以って現れることなのではないか。 僕が思うことは、好きな感情の味わいを追求し、また、表現する芸術活動は ひとが行うことのできる最も価値のある活動だということである。

Kauniste.

’’美’’ についてお話がしたいです。 しかしそれを言葉で伝えるのは、とても難しいこと。 なぜなら、美とは「思考の世界」ではなく「感情の世界」のことだから。 美には、言葉によって捉えようと試みたくなるような魅力があるけれど、 どのような言葉もそれを捉えることはできない。 だけど、言葉とは、感情の世界へ送り出してくれる最も有効な手段だと思う。 きっかけがあればいいんだ。今はそれでいいんだ。  どんな感情を味わう人生にしていくかが大切だと私は思う

「自然とできる」の力に頼る

2年以上続いてる私の音声配信、stand.fm コツコツこれまで続けてきました。 楽しい時期もあれば、 発信しなきゃと義務的にやるときもあり、 毎日投稿することもあれば 1ヶ月止まることもありました。 それでも喋るのをやめようと思ったことは無くて なぜなら、 僕が一番自分らしくなれるのは、自分の言葉を喋っている時だったからです。 そして、僕の声には、言葉には、 不思議な力が宿っていると直感しているからです。 だから音声発信をしていくというのを、 なんと

オリジナルを繰り出そう

水瓶(みずがめ)とは、 水を入れる為の器のようなもの。 そして、ここでの水とは何か豊かなものと考えられていて、もちろん水には 受け器となる物がなくては溜めたり注ぐことは出来ない。 ────────────────── 想いは十分にある  人それぞれに持っている。 でもそれと同じくらいに大切なのが 型や手段、仕組みなんだ。 それが無いと、 想いは実現しないまま。 実現させたいと悩んでいるなら 既にある型・手段・仕組み を用いよう。 僕の「想い」は十分。 でも、どうし

言葉は 「感情」 を強化する

どの様な ことばを使っているかが、その人を表す。 発せられる言葉は、その人の思考と内面を一身に代表して出てくる。 また、言葉とは  私たちを感情の世界に連れていくきっかけを与える。 広大に広がっているそれぞれの感情の世界をギュッと凝縮した表現の一つとして「言葉」は作られているから、言葉にはそれぞれ「力」がある。 表現とは、ソレきっかけに 感情の世界(精神)と論理の世界(現実)を行き来することが出来る素敵なものだと 私は信じている。 だから嬉しいことがあったら、言って

自分の表現を見つけた人は幸いである

人生とは、自分らしさを見つけることだ。 人は最も自分らしくいられる場所や友人を求めるものだし 自分らしくいられる時が最も心地よいことを知っている。 あなたは、人生をかけて 自分だけの表現を見つけなければならない。 それは、あなたが好きなこと をあなたが得意なやり方 でやるということだ。 多くの天才は、自分の好きなことを得意なやり方で表現する方法を見つけられた人たちだ。 誰もレオナルド・ダヴィンチにはなれない。 しかし、誰も君にはなれない。 あなたが知りたいと思う

一つで完結できる表現はない

表現とは、心が捉えたものを外界に出すことをいうが、 心や精神で認識する無形な世界を ただの一つの表現で全て表す事はできない。 もし、言葉で説明しようとするものなら 膨大な量となってしまうだろう。 それほど、心や精神は抽象的で一瞬で全体的な世界を捉えることが出来る(直感という)。 しかし、表現という論理的な行為は その全てを捉える事はできない。 論理という事は、具体的でありピンポイントということでもあるからだ。 それ故に、心が捉えた全体的で抽象的な対象を私たちが表現

幸せかどうかは 感情が決めている

幸せ、とは一体なんなのだろうか。 幸せとは、感情についての話なのである。 物質的に豊かになることは、真の意味で「幸せ」とは言えないが 結局のところ、高級車に乗るのもブランドもののバッグを手に入れるのも それらを所有することによって、リッチな気分になるからだろう。 そして、リッチな気持ちになることで幸せを感じる人もいるのだ。 何に幸せを感じるか、人によってその基準は違う。 そして、そこに 高低さは無く、優劣も無い。 それ故に、絶対にこれが幸せなんだ と無理やり押

眠る創造性を解き放とう

自身が持つ最上の力を使わずに一生を終える人は多いはず それは、人間にしか無い「創造性」と呼ばれるものだ。 創造性とは、どんな時に発揮されるものなのか? 自分が好きなこと、得意なものの中でしか発揮されないものなのだ。 なぜならば、「よく考える」からである ただ「考えている」のではなくて、ワクワクして考えているということだ。 あなたの「気持ち」も一緒になって考えている状態である。 お家に帰っても、ふとした瞬間でも  つい考えてしまう対象はあるだろうか。 きっとそれ

いつでも表現できる時代に

インターネットの普及が革新的である理由は、 表現・発信がすぐにできるようになった事だろう。 私たちは 今やスマホ一つで簡単にできるようになった。 "科学" と "芸術" は お互いが補完し合う関係にあるが、 科学が 発展したという事は、それだけ表現がしやすくなるということであり、芸術分野の可能性がのびのびと活かされるのである。 あなたが作ったモノ、伝えたい事は インターネットに乗せて表現発信していく事で 遠くの人に届けることができるし、普段出会えないような人にも巡り

「自分らしい状態」 を取り戻した人

本来の「自分の状態」を取り戻した人は、つよい。 多くの人は 自分らしくいられる状態ではない。 今一度、立ち止まって考えてみたい。 誰も知らないところで、静かに 考えてみよう。 それは少し怖いかもしれない。 今まで否定されてきたこと、そんなものは無理だと言われてきたことかもしれないからだ。 しかし、自分らしさを取り戻すという事は、 自分の人生を幸せにしていく事だ。 人のために、社会のために役立つ事をやりたい! 素敵な志だ。 だけど、まずはあなた自身の幸せを考え