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やわらか哲学

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人生とは、適正な明かりの中に自分を置くことだ
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#心

知りたいから生きたい

銀行員の頃、仕事で大学病院にも足を運んでいた事があったんだ 仕事がひと段落すると、院内の壁に掛けてある『 花咲くソーリオ 』というタイトルの絵の前の椅子で、静かに休憩する事が 僕の静かな楽しみだった。 「(はなさくソーリオ…)」心の中でつぶやく   今でもタイトルは覚えている。 悩殺されそうな激務の中、その絵が心の水汲み場にもなっていた。 だから、大学病院へ行く時は密かに心躍っていた。  自分が大切にしたい感覚、美的な感性が働く。 その絵を見るたびに、僕は思った   "

整理しないと進めない

身の回りの整理整頓も もちろん大切だが、 私がここでいうのは、自分の「気持ち」の整理について。 人は 気持ちが整理されていないと 本当の意味で 前に進むことは、できない。 整理して進むことは ”重要” ではない。 整理して進むことがすべてなのだ。 人が美しいと感じる時には いくつかの普遍的な規則・条件があった。 『整っていて、矛盾がない』ということだ。 心が整っていて、整理されている。それもまさに 美しいと感じている状態。 モヤモヤしていたり悩みごとの多い無秩序

不幸から何か良いものを見つけ出す人

同じ出来事に対し、ネガティブになる人もいればポジティブになる人もいる。 その差は一体 なんなのだろうか。 私たちは人生を歩んでいく中で、不幸な環境・シーンに必ず出会う。 しかし、不幸を受け止め、そこから何か良いものを見つけ出す人は幸いである。 また、このような対処能力に優れた人々のことを 「勇気ある人々」 と呼ぶ。 例えば、 カフェで 店員さんにコーヒーを溢されたとしよう。 あなたが履いていたズボンに コーヒーがかかってしまう。 この時、不幸な人は 店員さんに

求めた人にしか、与えられない。

私たちは 真に何を求めて生きているのだろうか。 きっと、それは人の数だけちがう。 人は、心から求めていることがある。 それは朝起きた時に最初に考えることであり、友人と話している時でさえも考える。 いつも求めていて、心の意識が探し出そうとしている。 求め続けると、思いもしないタイミングでヒントを得ることがあるんだ。 人とのほんの些細な会話の中、たまたま聴いてたラジオからかもしれない。 それは、あなたが日々求めているから、捉えることができるんだ。 私たちは 意識し

よく怒る人が 幸せを感じるのは難しい

怒りの感情が多い人は、多くの場合 物質的な豊かさを至高としており、幸せを感じる瞬間は快適に生きている時である。 そういう人が最も恐れる事は、自身の身の回りの外的環境が脅かされることである。 しかし、この世界で問題なく生きることは不可能である。 人生における問題や試練がなぜ訪れるかは今回は詳しく書かないが、 生きていく中で脅かされるシーンは必ずくる。 そんな中でも、幸せを感じれる人というのは 内面の豊かさを至高としている人である。 自身の内面が豊かであることが真の幸

『幸せ』の答えは、自分の中にある

情報に溢れた今日において、選択の難しさを感じるシーンはきっと多いはず。 たくさんの選択肢。もちろんあなたが決めるのである。 どれを選べば最も幸せか、それはGoogleで検索しても分からない。 選択の軸が自分の中にあれば、最も幸せな選択は していける。 きっとあなたの選択は、社会の枠組みに囚われない自由な選択だろう。 世間体や社会通念を基準とした選択は「あなたの選択」じゃあない。 人生は、予定通りにはいかない。 あなたが明日計画していることも、きっと予想外のことは

一つで完結できる表現はない

表現とは、心が捉えたものを外界に出すことをいうが、 心や精神で認識する無形な世界を ただの一つの表現で全て表す事はできない。 もし、言葉で説明しようとするものなら 膨大な量となってしまうだろう。 それほど、心や精神は抽象的で一瞬で全体的な世界を捉えることが出来る(直感という)。 しかし、表現という論理的な行為は その全てを捉える事はできない。 論理という事は、具体的でありピンポイントということでもあるからだ。 それ故に、心が捉えた全体的で抽象的な対象を私たちが表現