奥行きのあるもの
先日、はじめて能登と金沢を訪れた。
能登はともかく、金沢といえば、近年若者の人気観光スポットになりつつある。
駅前には、私と同じくらいの歳の若者観光客が多く見られた。
茶屋街という昔ながらの茶屋の風情を残した街は、特に映えスポットと化しているだろう。
近年、“いかにもな昔ながら”の空間が映えるとされSNSを通じて人気となる“かなり今っぽい”現象、が蔓延しているなあと思う。
そういえば、2021年にリニューアルされた西武ゆうえんちは、「昭和の熱気を遊び尽くそう。」と謳っている。
写真を見る限り、昭和の商店街を再現したような空間が演出されている。
気になったので、インスタで#西武ゆうえんち を検索してみた。
“昭和レトロな令和映え”が散見されたのは、いうまでもない。
この国に、ほんとうに趣が感じられるものは、どれほどあるだろうか。
話は能登と金沢に戻る。
絵画
能登半島輪島市でつくられる輪島塗は、有名な伝統工芸品である。
輪島塗といえば、漆塗りの茶碗や箸をイメージしていたが、実は輪島塗で描画された作品もある。
宿泊した老舗旅館 和倉温泉加賀屋の、とある一角に掛けられた絵が、私を掴んだ。
思わずそれに、吸い寄せられる。
食器ではなく、絵画という形でその伝統工芸をみたことがなかったのが、新鮮だったのか。
将又、単純にその絵が美しかったからなのか。
その旅館の、貴賓室専用の茶寮という上級な空間にその絵が飾られていたことで、荘厳さが醸し出されていたのか。
茶寮の入り口で鳴る風鈴が、普通のそれとは違ったから、この絵も特別なものに思えたのだろうか。
私は茶寮を通るたび、何度も何度もこの絵を見た。
それでいて、何が私を魅せたのかは、うまく言葉にできない。
板前の味
能登から金沢に移り、晩御飯に予約していた和食料理屋を訪れた。
そこは4人掛けのカウンター席と厨房のみの、狭い店だった。
板前はコースメニュー通り、一品ずつ出してくれる。
小皿に乗った、一口ほどのおでん。
毎皿、出汁を作るところから始まる。
口に入れると、今まで食べてきたおでんとは全然違うそれがあり、驚く。
味、食感、すべてが絶妙。
薄いようでいて薄くなく、食材に彩りを加える出汁。
何もかもが繊細で上品で、一皿ひと皿が作品である。
噛むほどに感じるものがあるが、上面の言葉ではそれをうまく表現できない。
奥行きのあるもの
職人の拘りは、目に見える表面よりもずっと奥の世界を切り拓いているように思う。
それを味わうものには、入り口で留まることも、少し入り込んでみることも許される。
だが決して、どこまで続いている洞窟なのかも分からず、また、言葉でそれを定義することすら難しい。
だからこそ、奥行きのあるものは面白い。
一方で、奥行きを演出しようとする“平面図”があちこちに見られることも、また事実である。
消費者の求めるものを此れ見よがしに叩きつけ、そこに群がる彼等。
どちらもあっていいと思う。
私は、奥行きのあるものに情趣を解する。
職人が拓いた洞窟の暗がりを彷徨い、何だろう、これはなんなんだろうと、反芻したいのである。
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