比べたってしょうもないのに
こんにちは。ラストJDのじょんです。
今日は、しょうもないと分かってるのに、周囲と自分を比べちゃう話をします。
自分は自分というけれど
「周囲を気にしたってしょうがない」とか、「自分は自分じゃん」という意見を聞くことがある。
頭ではその理屈はわかっている。わかっているのだ。でも、それでも、小さなことで自分と周囲の人を比べてしまう。
周囲と自分とで優劣をつけて、そうすることで自分の存在価値を見出してきたのである。
だがこれは、心の消耗がすごい。優劣をつけてしまう性格や、優劣をつけることで自分の存在価値を確かめようとすることに自己嫌悪してしまうからだ。
それでも、比較をやめられない。
そうなってしまう原因は、自己肯定感の低さから来る承認欲求の強さだろう。
ならば、比較をやめるには承認欲求を満たしまくればいいのではないか。そう思った時期もあった。
しかし、承認欲求というものは、どれだけ得ても満足することができないものであると気づいた。底無しなのだ。
承認欲求は、他人によって満たされるものだということがたちが悪い。承認欲求に振り回されると、どんどん自分が死んでいく。
真面目すぎる性格や依存、自己犠牲の精神などは、承認欲求から生まれるものの一例だろう。例えば、「私には(この人には)この人が(私が)いないとダメだ」、「私しかこれをやれる人はいない(これをやったら周りに必要とされる)」という状況が挙げられる。
じゃあ、どうしたら自分が磨耗するだけの比較をやめられるんだよ。
結局は
自己肯定感は他人に満たしてもらうんじゃなくて、自分で自分を満たす、つまり、自分で自分を認めてあげるしかないんだよなあ、と思った。
周りよりも誰よりも、自分が自分を必要としてあげると、ちょっと生きやすくなるのかな、と思う。
でも許すって言っても、難しいんだよなあ。
こんなことしていいのかな、って罪悪感に駆られてしまう。
例えば、友人と遊んでいる時に「こんなに楽しい思いしてていいのかなあ」という気持ちが湧いてきちゃう、みたいな。
もっとやることがあるんじゃね、って思っちゃう。
でも、その罪悪感を許して、認めてあげる。まずこれが必要なステップなんだろうなあ。
自分がやりたいって思うことを、受け入れる経験を積んでいくことで、自己肯定感が高まるんだろう。
そして、他人と比べて自分の存在価値を見出すんじゃなくて、自分で自分の存在価値を認めてあげられるようになれば、他人と自分を比較しなくなるのかなと、今は思う。また考えは変わるかもしれないが。
今思い返せば、これまで自分に厳しくしすぎたんだと思う。
これからはちょっと、肩の力を抜いていきたいなあ。
まずは一本、ゲームをクリアしたい。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。