「そんなこと」を考えられるのは今だけなんじゃないかって
こんにちは。ラストJDのじょんです。
先日、自分自身のことについて考えてた友人が、親御さんに「そんなこと考えてる暇あるの?」と言われた出来事がありました。今回はこのことに関連して、少し考えたことを綴らせていただこうかと思います。
「そんなこと」
「自分の好きな物ってなんだろう。」
「自分が大切にしてるものってなんだろう。」
「私って、どうありたいんだろう。」
こんな具合に、自分自身そのもののことについて、もうすぐ社会に出るような方は1度は考えたことがあったりするのでしょうか。
私は現在進行形ですこぶる考えています。
しかしこの自分自身について考える行為、なにか目に見える生産性のあることをしてるわけではないと思うんです。
お金を稼いだり、何かを生み出していたりしてるわけじゃなくて、本当にただ、自分の中でぐるぐると考えているだけなので。
それと、あくまで自分自身の話なので、傍から見たらすごく狭い世界に閉じこもってるように見えるかもしれません。自分の世界って、意外と広いと思うんですけれどね。
そんな感じで、親世代や社会にもう既に出た人にとっては、自分自身のことで悩むことが、「そんなこと」で悩んでるように見えてしまうのかもしれないなあ、と思いました。
そう見えてしまうのは、社会に出た大人は、「そんなこと」を考えるより、もっと考えることがあるからだろうな、と思う。
明日の仕事のこと、家族のこと、お金のこと… この先の人生、自分自身以外のことを考える時間が多くなるんだろうな。
だからこそ私は、「そんなこと」は今のような社会に出る前の時期だからこそ、じっくりゆっくりと考えられることなんじゃないかなあ、と思いました。
もちろん、社会に出たあとはあとで、考える機会はあるのかもしれないけれど。
ぐるぐると考えられる今この時期に
今のこの自分自身のことが考えられる時期に、ぐるぐると考えてみたら、自分自身の価値観がまとまるような瞬間がふと、来るんじゃないでしょうか。そうしたら、とっても自分らしく、素敵に生きられるようになると思うんです。
以前の記事でもちらほらと書かせていただいたような気がしますが、やはり様々な悩みは周りと比べたり合わせたりすることで、自分らしくいられなかったときに起こると思うんです。
なので、自分の中で大切にしたい価値観がぴたりと見つかれば、すごく自分のことが好きになれるのかなと。あと、自分の行動や選択に対してブレなくなるのかな、と。
そんなわけで、「そんなこと」、のんびりと考えてみてもいいんじゃないかな、と思います。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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