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【永久保存版案件】日本のプロテスタントの『これを知りたい&おかしい』

『日本のプロテスタントのこれを知りたい&おかしい』

プロテスタントの存在意義すら疑う、そんな本質的・核心的なこれが知りたいおかしいの私のお話。

★プロテスタントは聖書のみ恵みのみ信仰のみのキリスト教派である。カトリックにプロテストした事からプロテスタントの始まり(宗教改革)でした。

そのようなプロテスタントの世界にあって私はどうしても納得いかない大変嘆かわしい由々しき問題を何とかならないのかと常々私自身検討に検討を重ねてきたプロテスタントの大いなる課題問題があり抱え込んできているのであります。

【本題】

プロテスタントにはあれとあれよと様々な教派が現代のキリスト教にあって存在し増えている混在している更により複雑化されている信仰の在り方にある事!

信仰者(とりわけ信仰の浅い弱いキリスト者)にとっては信仰にある中での非常に強い生きづらさ息苦しさ、重荷と束縛感、支配されている感などなど負の連鎖に陥るパターンである事。

まずそれが一番目

2番目の課題問題

『聖書及びみ言葉によるココロと(霊的)ハラスメント及びバイオレンス』

これこそが特に現代のプロテスタントにおける何よりもの大いなる課題問題なのであると私自身考えているのです。

確かにプロテスタント(とりわけ特に福音派)は『聖書を字義通りに(ヘブル的視点よって)読む』とその読み方はまさにその通りである事は間違いのない否定する要素もない立派で素晴らしい教えであります。

しかしながら、私が話したい問題はこの後の話です。彼ら彼女らはそのようにしてプロテスタント信者として非の打ち所もない信仰の優等生的信者としての姿として私からしてもすぐ様垣間見れます。

しかしながらそれにも実は重大な盲点となっている部分があるのです。それは聖書研究において熱心な信仰にあるという点であります。

つまり

キーワードは『熱心な信仰』です。

もう私が何を言いたいのか薄々勘づかれている方々もいらっしゃるかと思います。

冒頭に記されているこのタイトルの課題問題なのであります。

『聖書とみ言葉によるココロと(霊的)ハラスメント及びバイオレンス』

そして、それに付随する更なる信仰の根幹を揺るがすと言っても良い程のプロテスタントにおける大いなる課題問題、それが、

3、律法主義者パリサイ人キリスト者

そのようなプロテスタントのキリスト者が多く存在している点にあります。

その理由としては、

『律法主義者パリサイ人がどのような特徴、信仰の在り方にあるのか?』

を考え振り返れば聖書をより多く読んでいる方々なら大抵の場合容易に想像がつきそうな事ではないでしょうか。

つまり聖句を引用すれば、

例えば、この聖句が良い例であるはずでしょう。 イエス様の言葉

★マタイ福音書23:3

ですから、彼ら(律法学者、パリサイ人)があなたがたに言うことはみな、行い、守りなさい。
<けれども、彼らの行いをまねてはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです。>

彼ら彼女ら語る事は語るのです。

ですから、プロテスタントの信仰の在り方は宗教改革が起こされて、これ以上ない、この上ない信仰の在り方を偉大な先人たち先祖たちによって築き上げられ建て上げられたというのに、

また律法主義者パリサイ人信仰に逆戻りキリスト者が多く存在している事はとても看過できるような話ではない、看過してはいけないしていてはいけない、プロテスタント信仰にあって根幹を揺るがす重要な課題であります。

【まとめ】

ここまでの私の訴えかけの話について皆さんはどのように考え感じましたでしょうか。

プロテスタントの信仰の在り方は、
今まさにこの現代において、
非常に厳しいような、
過渡期にあるような、
そのように私は思うし感じています。

この今現代のプロテスタントは、
プロテスタントのみならず
キリスト教全体において
信仰の迷走状態、
混迷極まっているような
そんなキリスト教世界ではないのでしょうか?

この私の話の全体を通して、
皆さんからのご意見、
ご感想をおまちしております。

よろしくお願いします。

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