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中国共産党の【南京大屠殺】の定義

どうも中国共産党が日本を誹謗中傷するためのメモリアルホールの一時期閉じていた【侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館】のホームページをリニューアルして公開しだした。

注目は、その定義だが相変わらず同じ期間と同じエリアと人数である。
日本語版もあるが、英語版の方で、次のように書かれている。

Nanjing is a historical and cultural city with a history of more than 2,500 years. It is one of the important birthplaces of Chinese civilization. From December 13, 1937 to January 1938, the Japanese invaders blatantly violated international conventions; they seized Nanjing, the capital city of China at that time, and slaughtered innocent civilians and prisoners of war. Over 300,000 people were killed. One-third of Nanjing's buildings were destroyed, more than 20,000 cases of rape or gang rape occurred in the city, public and private property were plundered, and the ancient capital suffered an unprecedented disaster.This bloody event was later known to the world as the "Nanjing Massacre" (or the "Nanking Massacre").
During and after the occurrence of Nanjing Massacre, American New York Times and Life magazine, British Times, Russian Pravda, Chinese Central Daily News and Xinhua Daily, and other domestic and foreign media made lots of reports on the incident. The Chinese and foreigners who stayed in Nanjing as well as the European and American diplomats who returned to Nanjing in early1938 recorded or secretly photographed the Japanese atrocities in Nanjing. Those Chinese who had stayed in Nanjing and experienced or witnessed the Japanese atrocities left a lot of testimonies too. The Japanese officers and soldiers who once participated in the Nanjing Massacre also left a lot of records.
After the war, both the International Military Tribunal for the Far East and the Nanjing War Crimes Tribunal (Nanjing Military Court for the Trial of War Criminals) conducted a special trial of the Nanjing Massacre. In October 2015, UNESCO included the "Nanjing Massacre Archives" in the Memory of the World Register. The Nanjing Massacre is a brutal crime to civilization and a havoc of mankind. All peace-loving people should not forget this history.

南京は2500年以上の歴史を持つ歴史文化都市です。中国文明の重要な発祥の地の一つである。1937年12月13日から1938年1月にかけて、日本の侵略者は露骨に国際条約に違反し、当時の中国の首都である南京を占領し、罪のない民間人や捕虜を虐殺しました。30万人以上が殺された。南京の建物の3分の1が破壊され、市内では2万件以上の強姦・輪姦事件が発生し、公私の財産が略奪され、古都は未曾有の大惨事に見舞われた。
南京大虐殺の発生中と発生後、アメリカのニューヨークタイムズやライフマガジン、イギリスタイムズ、ロシアのプラウダ、中国の中央日報、新華日報などの国内外のメディアは、この事件について多くの報道を行った。南京に滞在していた中国人や外国人、1938年初めに南京に戻ってきた欧米の外交官たちは、南京での日本軍の残虐行為を記録したり、密かに撮影したりしていた。南京に滞在して日本の残虐行為を体験したり、目撃した中国人たちも多くの証言を残している。かつて南京大虐殺に参加した日本の将校や兵士も多くの記録を残している。
戦後、極東国際軍事法廷と南京戦争犯罪法廷(南京軍事法廷)の双方で南京大虐殺の特別裁判が行われた。2015年10月、ユネスコは「南京大虐殺史料館」を世界記憶遺産に登録した。南京大虐殺は文明に対する残忍な犯罪であり、人類の大混乱を招いた。平和を愛するすべての人々は、この歴史を忘れてはならない。
www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳。


日本語版の方での説明は、

1937年12月13日、日本軍が南京を占領した後、公然と国際条約を違反し、武器を放棄した中国人兵士と一般大衆を無差別に虐殺した。南京市の当時の三分の一の建築物が焼かれ破壊され、市内で起きた強姦、輪姦の暴行が二万件ほどあり、遭難者数が戦後南京審判戦犯軍事法廷の判決によると、30万以上に達している。古都南京は空前の災難に遭った。
南京大虐殺事件後、アメリカ『ニューヨーク・タイムズ』、『ライフ』雑誌、イギリス『タイムズ』、ソ連『プラウダ』、中国『中央日報』、『新華日報』などの新聞メディアは、事件について報道していた。南京に残った国内外の人士及び続々と南京に戻った欧米外交官たちが秘密に日本軍の暴行を文字とカメラで記録した。当時事件を目撃した南京の軍民たちが、大量の証言を残した。事件に参加した日本軍も事件についての記録を残したのである。
戦後、南京軍事法廷、極東国際軍事法廷(東京裁判)の日本戦犯に対する裁判で、共に 南京大虐殺についての事実確認が行われている。2015年10月に「南京大虐殺の記録」がユネスコ「世界記憶遺産」に登録されている。南京大虐殺惨事は、日本軍が侵華戦争時期に犯した数えられない暴行の中最も代表的な一例で、平和を擁護する人たちが銘記すべきな人類の大災難である。

というふうに若干の違いがある。
当初の報道は、ほぼ城内の中部から北側と下関碼頭への道沿いの情報であり、欧米および日本国の外交官達の情報は、主に南京に残留していた欧米人宣教師を中心とした安全区のメンバーからの情報で、外交官の派閥にも影響しているインテリジェンス情報であると考えられる。
それらの情報は【恣意的に集められた】又は【作成された虚偽】による情報であり、【日本軍】の直接的な【行為】によるものかどうか判断できないものが多い。
ナチス・ドイツの国策企業の役員のラーベや欧米の宣教師達の【証言】【映像】などの史料があるが、どれも【日本軍の不当行為】又は【大量殺害】を明示できているものが無く、2020年におこった米国でのアフリカ系アメリカ人の人物が偽札詐欺の容疑で連行される際に、警察官による不当な扱いで殺害された事を端を発した全米で行われた抗議活動による【デモ】や【自治区】という【不当占拠】、歴史的な歴代の大統領や南北戦争の英雄などの象の破壊活動等のように、【小さな事件】【誰が犯人か判らない事件】を日本軍の行為として、【世界中】に拡散させたフェイクニュースという【戦時宣伝】の域を超えない。

東京裁判で、【証拠物】として【提出】された、【埋葬活動記録】という当時ですら【現物】ではなく、【新たに集計された】【シロモノ】で、中でも【崇善堂】という【慈善団体】は、地雷や不発弾のあるエリアで、5つのエリアで、埋葬活動を行ったが、当時の先に示した日本軍に対する非協力的かつ抗日活動を展開していた欧米人の記録にすら、【名称】は見られず、ラーベが附近にいたにもかかわらず、【埋葬活動】を行っている団体に遭遇していない。
日本軍関係者にも見られず、もう一つの主要団体である紅卍字会と共に埋葬活動に従事した日蓮宗系の妙満寺の関係者を取材した当時の新聞にもその名称・活動を示すものは残っていない。

又、城外での4つのエリアでそれぞれ

昭和13年4月9日〜昭和13年4月18日
  中華門外兵工廠雨花台より花神廟へ至る 25,752名 11日
昭和13年4月9日〜昭和13年4月23日
  水西門外より上河に至る 18,429名 15日
昭和13年4月7日〜昭和13年4月20日
  中山門外より馬群に至る 33,601名 14日
昭和13年4月9日〜昭和13年5月1日
   通済門より方山に至る 24,839名 23日

これを見ると分かるように、大規模且つもの凄いスピードで人力では不可能な埋葬を行っている。
中国軍が構築した【塹壕】という溝に入れて、埋めたので時間は掛からなかったという主張をする人物も居るが、該当エリアには鉄条網などの防御冊は勿論、急斜面、地雷・不発弾などが存在するので、簡単にできるはずもない。労働者・その食糧・運搬(労働者の移動、遺体の移動)、そして衛生環境(遺体から出る排泄物と労働者の排泄物)による環境汚染、運営の為の資金を考えると相当な労力と資金がかかるはずなので、その存在の記録が無いとおかしいと言うことになる。

そして、何よりもそれらの【活動】を示す【伝票】などの当時の史料である【第一次史料】が提示されたことがない。
あるのは、【東京裁判】で提示された、【敵人罪行調査報告書】のなかの【埋葬記録一覧】だけである。

過去、中国共産党は、この抗日記念館で【関東大震災の被災者】の【御遺体】の写真をつかって、【南京大虐殺】の【エビデンス】として【展示】やホームページで紹介していたことがある。

今回はまだ載せていないが、国際社会への【イメージ戦略】として、いずれ又【使用する】恐れは拭いきれない。おそらく使うと考えている。
なぜなら、当時の【蓋然性の高い】【史料】では、【大量殺害】を【証明】する【事物】は存在せず、江東門のこの抗日記念館に【展示】されている【御遺体の骨】も、実際に日本軍の行為かどうか【証明】を実証する術は存在していない。
中国共産党のいかがわしさは、【抗日】という【党是】による【政治行動】に過ぎないので、こういった【実証できないようなもの】でも使って、正当性をアピールするという行動に出ているという証左でもある。
実際には、【大量殺害】を証明するような【蓋然性】の【高い】様な【史料】は全く存在しない。

また、いずれこの【抗日記念館】は、現在のページからさらに拡張していくとは思うが、そのたびに反論を少し付けくわえていきたいと思う。

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