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高橋哲哉「歴史修正主義とは

反-歴史修正主義・・・「正しい歴史」は一つではない。同じ「歴史的過去」であったとしても、ある人にとっては「美談」で肯定的なことも、ある人にとっては悲しい否定的な過去となりうる。

高橋哲哉「歴史修正主義とは(https://liberal-arts-guide.com/historical-revisionism/)」っていう人物の論攷なのですがねぇ。
東京大学の教授様らしいのだが、その論理性に【?】を持ってしまいますわな。

当方は、南京事件についての【虐殺】という【用語】の使用と、【事件そのもの】の【信憑性】への【虚偽】を【史料・資料】から確信して、その様に言及して居るのだが。
次の【歴史修正主義】には全く当てはまらない。

これまで不当に間違って書かれていた自分たちの国の歴史を、自らが誇りを持てるように書き換えるべきであるとする姿勢や主張

因みに、【反−歴史修正主義】の定義として、

歴史を自分の誇りを高めるために都合の良いように解釈し、史料を選択・再構成して、歴史を物語ろうとする姿勢に批判的な立場

とあるのだが、そもそも歴史修正主義の経緯としては、そもそもの【アカデミック】などの【史観】において、【史料】への【解釈】の【違い】から発生したものであり、【自分の誇りを高める為】に【都合よく解釈】されたものではない。

【歴史修正主義】「正しい歴史」はただ一つである。これまでの歴史は自虐的である。国民が誇りを持てる歴史を作ろう。
【反-歴史修正主義】「正しい歴史」は一つではない。同じ「歴史的過去」であったとしても、ある人にとっては「美談」で肯定的なことも、ある人にとっては悲しい否定的な過去となりうる。

これも当てはまらない。そもそも【正しい】などとは、言わないし【蓋然性の高い】【史料】からの【推測】に過ぎないことが多いので、むしろ【反-歴史修正主義】の方が、むしろ【「正しい歴史」はただ一つである。】と【主張】してきた。
つまり、戦前の日本軍の行動を【非道】【侵略】と捉えることを【絶対視】している【史観】なのは、【反-歴史修正主義】であり、その【史料】への【解釈】を別の見方から許さない姿勢を持っているのも、こういった【反-歴史修正主義】の【史観】を持つ方々であろう。
現にこのサイトの文章でも、

上野千鶴子の主張(『ナショナリズムとジェンダー 新版』(2012)から参照)を引用して、

歴史修正主義者の主張は「自己悪逆史観から脱却して自国に誇りの持てる正しい歴史を」というものだが、一体誰のための、何のための「正史」なのか?
「正史」はたったひとつの正当化された「国史 national history 」を作りだすことで、「国民」のあいだにある多様性や対立をおおいかくす作業では、歴史修正主義者は誰の側に立っているのか?
歴史修正主義者は愛国者きどりだが、誰が「より愛国的か」をめぐるゲームは「国民」と「非国民」とのあいだに境界を引くものである

歴史観の違いを無視して【ナショナリズム】【愛国】とか全く異なる【論旨】を持って来て、自分達と異なる【史観】を【排除】しようとする傾向がある。

そもそも、歴史修正主義者は歴史的な史料が残っていない事柄は証明することができないため、それを歴史として語ることはできないと主張します。

これは、【歴史学】が【科学】である以上、【当然】のことなのだが、【ファンタジー】で補うことを許容せよと述べられている。
これは、【科学】ではなく、【政治】以外の何者でもない。【ファンタジー】を許容出来るはずもない。

そして、そのような「正しくない歴史」(たとえば、「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」など)を自虐的に語る人は「非国民」であるとして攻撃の対象とします。「愛国的」な態度を取れないのは日本人として恥ずかしい、と言うのです。

【史料】と異なる又は存在しないことを【ファンタジー】で補って、【正しい歴史】とする事への【反駁】を、このように【非国民】などと言う別の【議論】に刷り替えて【攻撃】などと表現する。
【科学者】にあるまじき行為で、【社会科学】が【科学】ではないと【証明】しているようなものである。

後の論旨は、公文書は、【権力者】の【史料】であるからという様にこれまた【議論の刷り替え】を行う。【公文書】でも当然ながらおかしな点があり、【戦闘詳報】など【敵弾の来る中という戦場】で逐次記録するものではなく、後日戦闘経過で【行軍移動】した後に担当者が記載するもので【個人の記憶】によるものが多く、連絡メモ書きなども【雨など】の天候や【紛失】などの【過失】により、【正確】に記載されたものかどうか疑わしことがある。
こういった点は、この論者の高橋哲哉氏が、【歴史学者】ではなく【哲学者】というより【エビデンス】の必要のない世界の専門家であるが故の【認知不足】によるものであろう。
【歴史】を【史料】が無ければ、【ファンタジー】で補え等というのは、呆れた言い分であろう。

歴史的な事実を見る場合、多面的な方面から見るのが当たり前で、【侵略史観】【加害史観】【東京裁判是認史観】という3面で物事を見ているのはどちらであろうか。

【反-歴史修正主義】「正しい歴史」は一つではない。同じ「歴史的過去」であったとしても、ある人にとっては「美談」で肯定的なことも、ある人にとっては悲しい否定的な過去となりうる。

これを唱えるならば、ヴェノナ文書やリッツキドニー文書が公開されたのだから、【外交史】【国際法史】【軍事史】【戦時宣伝史】【インテリジェンス史(謀略史)】のからの【歴史】見直しは【必須】な筈である。
多面的というのなら、異なる意見も一応認知しながら、様々な方面から当然ならが、【学際的研究】を薦めることの方が、より【健全】で【科学的】な【学問】であろう。

この【リベラルアーツ】というのは、南京に学生を留学させるような会だが、南京でより【科学的】な【議論】【研究】を行う為にも、自身等の【論理破綻したものの見方】からの【史観】の【変更・修正】は急務だと考える。このままでは、中国共産党の主張の日本国の代弁者を養成するカルトの様に感じてしまう。このような状況では、学生諸氏は余りにも可哀相である。【真の日中友好】にもならず。日本分断工作員を養成するだけとなるであろう。

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