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3-2. 研究者から見た自殺予防の課題②ー東京都立大学准教授 勝又陽太郎さんインタビュー後編

特集(自殺予防実践の現場から見た、実践・研究・行政上の課題)
勝又 陽太郎(東京都立大学 准教授)
末木 新(和光大学 教授)
自殺予防マガジン "Join", No.3

東京都立大学にて、教鞭をとられており、自殺に関する研究者/心理学者でもある勝又陽太郎先生をお招きし、研究者の立場から見た自殺対策の現状とその課題についてインタビューした後編になります。前編については、こちらをご覧ください。

事業運営金の工面方策

【末木】 ちなみに、自殺対策に限らないかもしれないですが、こうした介入/政策を実施していくためには、お金の出本をどうしたらよいのか、どういう形があり得るのかという問題がついてまわります。そういった資金面の課題の解決法については、何か考えてらっしゃるのでしょうか?

【勝又】 この前のOVAの伊藤さんの記事を読ませてもらったのですが、それを踏まえて、やっぱり自殺対策について、公的資金を使うと財源が不安定じゃないですか。なるべく公的なお金を使わずにやっていく方法については、とても悩んでいます。

【末木】 自殺対策で、公的なお金を使わずに運営していくというのはありえますか? なかなか難しいと思うのですが。。。

【勝又】 もちろん公的資金は不可欠だと思ってはいるのですが、個人的には「自殺対策はすべて公的資金でやるべきである」とまで強くは思えないところがあります。寄付や助成金なんかも必要だと思うし、本当に難しいんですが、受益者から一定の額はどうしてももらわないといけないときもあるのではないかなとは思っています。ちなみに、結局、僕たちは、「大学」という所属があるので自分の給料は一応確保できているじゃないですか。けど、一般の事業主がそこに参入しようとするとなかなか難しい。

【末木】 どうしても、ビジネスとしてある程度成り立たないと広がりがないわけですが、問題というのは、多くの人が考えているけれども、現時点ではうまく解決する方法が見つかっていないように思います。

【勝又】 診療報酬みたいな仕組みでやってくれたらいいんだけどなとは思いますけど、実際民間の事業者などの取り組みを見ていると、結局は、他の事業などと組み合わせて実施せざるを得ないんだとは思うんです。福祉・医療関係とかと統合して、自殺対策に関わる事業も、一つの法人の中でいくつかやっていくという形が必要なのかなとは思います。あとは、サービス利用者や会員に一定の負担をしてもらうというのを、無料のサービスではなくて有料にしていくという線をちょっと考えなきゃいけないんじゃないかなと思ってます。

【末木】 (自殺のリスクが高まった人が)お金払いますかね?

【勝又】 危機介入のような緊急的・一時的な支援は難しいけれども、地域での持続的な支援だったら、なんとかなんないかなとかは思っています。実際ひきこもり支援とかではそういうことをやっている民間団体もありますし。支援サービスという面から考えると、個別の支援をやっていくんだったら、ある程度本人の負担みたいなものを考えてもいいんだとは思っています。

【末木】 それが普通ですからね。

【勝又】 それを、例えば自立支援みたいな感じの仕組みとしてやるのか、完全自費でやるのか、それについてはよく分かりませんが。お金が無いわけではないんだけど、財源が不安定なままやっていくのはなかなか人を雇用するのも難しいので、厳しいです。

【末木】 どこ行ってもそんな話になるんですが(笑)

【勝又】 これは自殺対策のことに限った話じゃないですけどね…。あと、大きいビジョンで見れば、さっき言ったような、すごい強固なつながりが必要なとこと、ゆるくいきたいところみたいなとことどう両立させるかというときに、ある程度強いつながりでいく所はお金を取ってもいいんじゃないかなどと思ったりしています。とはいえ、あまり妙案は浮かばないですね。

「所属感」とは何か?という問題

【勝又】 少し話は戻りますが、今後の研究としては、先ほどの強いつながりと弱りつながりの部分について、もう少し考えてもいいかと思っています。ジョイナーの理論でいくと「所属感問題」で、所属感という概念が非常に測定しづらいわけです。それは何故かというと、あれは主観的な感情であるということもそうなんですが、ソーシャルサポートとか窓口にどのくらい繋がっているかという、定量的なデータでうまく測定できないという問題があります。

例えば、物理的に人に会っていなくても所属感を感じるということはあるわけです。直接会わなくても所属感を感じられるという問題があって、その辺をどう概念化できるか?という課題があります。その概念化や説明ができた上で、所属感を高めるというのはどういうことなんだろうみたいなことがもう少し分かっていかないと、自殺予防の介入として、今後どうやったらいいのかというのがあまり見えてこないんじゃないかと思っています。それが金剛出版の特集原稿(「自殺予防のための地域支援」)で書いたことです。個人モデル(注1)というのは結局、測定しているのが(援助者と)つながるかどうかみたいなことを物理的な問題として考えていると思うんですけど、「なんか所属感ってそれと違うんだよなー」というのをずっと思っています。

注1:「自殺予防のための地域支援」の原稿の中では、以下のような記述があります。『これまでの自殺予防対策は困りごとを抱える個人を適切な援助につなぐという単純な個人相談モデルに偏重しすぎており、実は地域の様々な人のまなざしや彼らと当事者との相互作用の分析を怠ってきてしまったのではないか。』

心理学評論に載っていた孤独感のレビューなどを読むと、孤独感が再帰的に悪化していくとか、孤独に陥ると認知バイアスが強くなって孤独が悪化していくとか言われています。孤独感の時間的安定性みたいな論文を読んでいると、なかなかそれに介入するの難しいと思っちゃうんですよね。各種データを見ていると、専門家のとこにはつながっても、身近な人とのコミュニケーションが悪い状態はずっと続いていて、それにどうやって介入したらいいのかということを制度的に考えるのは難しい。

地域支援も、専門的支援が入るというのはいいんだけど、それによって周りの人との関係性、(他者とのコミュニケーションなど生きること/孤独にならないことを)強化をしてくれる随伴性みたいなものがちゃんと確立されないと、自殺予防はうまくいかない。それをどう作っていくかみたいなことに悩んでいます。自分が担当したり、コンサルをする個別のケースとしてだったら介入できるけど、システムとしてできるかと考えると、そこが難しい。

インターネットと所属感問題

【末木】 なんかこう、歳をとってきたせいもあるのかなとかって思うんですけど、やはり人間、例えば50、60歳とかになってきて、「支援の専門家とのつながりとかだけで生きてくって無理だよな」と思うところがあります。例えば、家族、友達とかそういったものが結局どれだけあるかというか、そういった身近なつながりが無いと、50、60とかになってきて、生きていくのは厳しい。

そうなったときに、僕は今まで散々、「ネットで相談しましょう」みたいなものに関わってきたんですが、そこにはなかなか手が届かない。その人が持っている身近な対人関係をいかに充実させていくか、生きていくに値するような環境を整えていくかみたいなところというのが、十分にはできていないように思っています。ただ、そうは思うのですが、どうすればいいのかはわからないんですが、どうしたらいいですかね?

【勝又】 私もそれを今すごい悩んでいるので、今日がブレインストーミングのいい機会だと思っています。ネットって、所属感を作るのに向いていない気がしているんですよ。これからテクノロジーが発展していくともっと良くなるのかもしれないですけど。なんでなんだろうみたいなことをずっと考えてはいるんですけど、たぶん、健康を目指していくとか、幸福を目指していく、みたいな形の介入って、格差が生まれやすいじゃないですか。

皆で健康になっていくみたいな公衆衛生的対策って、基本的にうまくいく人とうまくいかない人のギャップが大きく出てくるんだと思うんですよね。つまり、人と人との間で分断が生じやすいんだと思っています。これは理屈の話でしかないので、実際はどうなのかわかりませんが、人と人とがつながっていくというときに、「一緒に健康になっていこう」みたいなやり方って、案外つながりを作りづらいのではないかと思っています。

ネットはどちらかというと、そっちに親和的です。個人で対処していってうまくやっていくというところには親和性が高いし、それはそれで一方向として重要なんだけれども、人と人とがつながるときって、どちらかというと喪失の体験みたいなのものをどう共有していくのかというところに深まりが出るわけじゃないですか。嫌だったことを一緒に共有したとか、つらかったよね...みたいな話を共有するみたいなことをやってつながっていくという感じがあると思うんですよね。

臨床的な介入って、多かれ少なかれ、喪失体験は扱うと思うんです。だからこそ、援助関係が深まるみたいなところがあるんだと思うんですけど、諦めるとか、失うみたいなところをどうやって共有していくのかみたいなことが、健康を目指すというところと相反する動きになってしまうというふうに思っています。つまり、公衆衛生的対策の難しいところは、喪失を扱いづらいとこだなと思っています。

喪失を扱うときって、あまりマスに扱えないというか。多くの人でつながるみたいな、今回のウクライナ戦争とかもそうだけど、戦争となると皆で共通の喪失体験をするから互いにつながれるわけじゃないですか。だけど、そういうのがない場合は難しくて、悲劇的なことを皆で共有できない限りはマスでつながるのは難しいわけです。なので、通常はある程度小さい範囲というか、家族や友人などでしかつながることは難しいですよね。大きな単位だとなかなか所属感を深めていけない気がします。

今の学生や若い人を見ていて、不幸話とかってあまり共有しないじゃないですか。誰かとそれによって関係が切れちゃうんじゃないかといった不安感というか、ネガティブなことを一緒に経験することで関係が深まるみたいな体験をそもそもあまりしてないので、そういうつながりを作りづらいんだろうなーみたいなことは思っていますね。ネットはどっちかというとそういうネガティブな経験とか喪失体験を共有して関係を作っていくのが難しい空間なのかもと思っています。もちろん、困難を抱えた当事者同士がつながるツールとして有用な部分があるのもわかるにはわかるのですが、コミュニティに所属しているという感覚は案外つくりづらいのかもしれない。

いのちの電話のコミュニティ化

【勝又】 ここ数年、いのちの電話のデータ分析を少し手伝っていて、詳しくは言えないのですが、データを見ていて興味深いと勝手に私が思っていることがあります。それは、いのちの電話にかけてくる人たちって、「いのちの電話コミュニティ」に入ってきている感じがしているんですよ。「自分もいのちの電話ユーザーになったぜ」みたいな。もちろん、リピーター問題というのはどこも悩んでいるんですけど、リピーターというのは、コミュニティのメンバーでもあるわけです。新規の受信率が減るのは、問題である一方で、リピーターの人たちはある程度、自分がそのコミュニティに入ることですごい救われているんじゃないかなと思うんですよね。

【末木】 それこそ所属感ですよね。

【勝又】 そうそう。電話相談って顔が見えないじゃないですか。誰と電話しているか分からないのに、皆なぜかコミュニティに所属している感じがあるというのがすごい謎だなあと思っていて、そういうのって大事なんじゃないかなと思っています。

電話相談を行う団体が増えてきたことによって、相談場所が増えてきてよかったなあと思う一方で、最近の相談員さんは大学院で学んだりもしているし、それぞれの現場でちゃんとトレーニングされていたりするので、ある種対応がマニュアル的で均質化しているともいえる気がします。さらに基本の対応はコーラーの身近な相談窓口につなぐということを大事にしていたりしますよね。いのちの電話でも、もちろん皆さん研修はみっちり受けておられるわけですが、基本の対応は傾聴に徹するわけですよね。傾聴に徹すると、案外相談員の人柄というか固有の特徴がよく表れるんだと思うんですよね。それがいいんじゃないかと思ってて、こういう時代だからこそ、むしろその特徴が際立ってというか、顔も見えないし名前も知らないんだけど、そこに繋がりを見出しちゃうみたいなのが一方である気がしています。

【末木】 なんかリピーター問題とかってどちらかと言われると、悪く言われることが多いような気がするんですけど、言われてみればまさに、いのちの電話みたいなもの全体がコミュニティとなっていて、そこに足繁く通ってリピートしているわけですから、所属しているということですよね。

僕の中には、いのちの電話全体をコミュニティで見るという視点はなかったですね。僕の場合、どうしてもそれをサービスだと思って見てしまうんですよ。それが良くないんだと思うんですけど、サービスとしてみるから、「リピート率が高くて新規が全然受けられなくて、電話が繋がらないのは問題だ」みたいな話になってくるじゃないですか。でも、いのちの電話をサービスとして見るからそういうふうに見えるのであって、コミュニティとして見ればリピーター率が高いことって、「必ずしも問題じゃないよね」となる。

【勝又】 一定の人が入れ替わって一定の住人がいるみたいな。

【末木】 地域もそういうものですよね。そもそも地域は、だいたい長く住んでいる人が多くいてちょっとずつ入れ替わっていく。でも一貫性はある、みたいなものですよね。

【勝又】 もちろん、いのちの電話の方としては新規受信率を高めようと努力されていると思いますが、部外者的立場にある私としては新規の受信率が8割いかなきゃいけないかというとそうでもないのかなと勝手に思ってしまうのです。もうちょっと適正な値もある気がするというか。もちろん困ったときに電話がつながりづらいみたいな問題はあるので、それはつながりやすくできればと思っています。しかし、(コミュニティに関わる長期定住者と新規参加の割合については)生態学的に適正な値みたいなものが決まっているような気がしています。

コミュニティの持つ効果への評価の難しさ

【勝又】 そんなわけで、電話という形だけではなく、デバイスを変えながらそういうことができないかなとか、「コミュニティ」として機能しているものに対してきちんと評価がされてお金がついたらいいなとは思っています。

【末木】 サービスよりも、コミュニティの方が、効果の評価が難しくないですか?

【勝又】 難しいですね。ただ、先の議論を踏まえると、私個人としては評価項目として、新規の受信率が上がるということに価値を置きすぎない方がいいかもしれないと思っています。もちろん研究者としては、この理屈をデータでもって厚労省や自治体とかにしなくちゃいけないと思っています。適正に、3割4割くらいの新規の人がいるということそれ自体がとても大事なことで、コミュニティとして機能してるというのはそういうことなんだという理屈を立てないといけない。

【末木】 評価の話と関連することで、地域支援みたいなものってそれこそ個別の相談サービスみたいなものに比べると(自殺予防)効果の評価がすごく難しいと思うんですね。要は、研究のための実験的なデザインというのが全然取れないですよね。地域レベル、コミュニティレベルで見たときの自殺者数、自殺率、自殺企図率なんでもいいですけど、その辺の指標でこう効果見るって果てしなく厳しいですよね?

【勝又】 果てしなく厳しい。

【末木】 例えばACTION-Jみたいな感じのもの(注:サービスとして機能している代表的な自殺予防実践の意味)ですら、効果の評価をするのは難しいし大変だと思いますけど、そのようなものと比しても、何かがコミュニティとして機能しているということを数字で出すってとても厳しいと思いますね。

【勝又】 ひとまず考えているものとして、RCT(ランダム化比較試験)などの実験デザインは難しくても、最近分割時系列デザインといった新しい研究デザインが少しずつ出てきたじゃないですか。そういった分析にのせられるような、長期的かつ比較的リアルタイムで取れるようなデータを継続して取っていくことが必要かなと思っています。

【末木】 ちなみに、地域やコミュニティへの介入で、本当に効果出ましたという結果をしっかり出している研究ってぶっちゃけ無いですよね。

【勝又】 それはたぶん無理なんですよ。僕は諦めちゃったなぁ。それについては、GRIP(学校における自殺予防教育プログラムGRIP)を作ったときから共同研究者とずっと話していたことです。GRIPは「援助の成立」という相互援助関係のようなものを目標に置いて、そこにロジックモデルを立てて評価しているわけですけど、データは個人レベルで取っていて、最終的なアウトカムである相互作用自体をそのまま抽出できているかというと、実はけっこう微妙なところがあるわけです。客観的指標は地域やコミュニティを評価するという観点からするとどうしても見たいものをとらえきれないというか、どこか嘘くさくなってしまうというか。もちろん可能な限り評価を行おうと思っているのですが、自分たちのやっていることの中身というのは、もう少し複雑なことをやっているので、そこは評価として/数字として表に出ないところもいっぱいあるよねという感じです。もちろん、研究資金を取ってきたりとか、事業を継続していくためという観点からも評価自体は必要なわけですが。

【末木】 表向きという言い方もあれですけど、数字として出さなきゃいけないというのも、研究のためのお金を取ってきたりするためには、どうしても必要ですよね。そうせざるを得ない部分がある。

【勝又】 ありますね。そういった部分についてはある程度割り切らないと。

【末木】 GRIPの効果の評価研究は心理学研究に出てますよね。あれはそういうことですね (笑)

【勝又】 もともとのGRIPの発想/プログラムはオープンソースみたいなもので、それぞれの地域や学級のニーズに合わせてどんどん改善していってもらうみたいなことを考えてたし、実践としてはそれでもいいのではないかと思っています。でもそうすると、研究としてみたときに「当初取ったデータの意味というのは一体何なのか?」となってしまうじゃないですか。このプログラムが効果を持つということは、最初のベータ版みたいなもので取ったデータで保証されていたとしても、それを皆が改変していったときに、「その介入の効果って保証できるのか?」という問題になるので。

【末木】 保証できないですよね。

【勝又】 できないんですよ。なので、「保証はできないよ」という注釈を付けて、後は皆に使ってもらおうみたいな形で世に出したわけです。最初のベータ版の効果の検証だけはとりあえずしたという形で割り切らざるを得ないんです。もちろん原法に忠実に行うべしというプログラムも世の中には存在しますが、研究としてのデザインの良さや科学的根拠の担保と、実践への適用のバランスは難しいなと思います。

若手研究者への教育

【勝又】 OVAの活動(インターネット・ゲートキーパー活動)とかも評価がすごい難しいですよね。他の国、たとえばオランダとかを見ていると、AI にデータを取り込んで自動返信とかで危機介入をやっている研究とか出てきているじゃないですか。けれど、あまり効果量は高くないですよね。ああいうのって、末木さん的には改善されそうなんですか?

【末木】 僕自身の関心という意味では、もちろん今までやってきたことを何もかも否定することはないんですけど、でもネットとかもそうですけど、専門的な相談につながるということは大事な瞬間がある一方、人生全般を考えたときに、「その人が数十年にわたって幸せに生きていくにあたって必要なものってそこじゃないよね」というふうに思うようになってきました。家族とか、友達とか、そういった身近な関係性をどうしていこうかという方が大事だし、おそらくそちらの方が、それこそ効果量という意味では大きいはずなので、そちらをどうしていくかということを考えたいと思っています。

テクノロジーの発展に応じて、こうすれば「ハイリスクな人をこうやったら見つけられますよ」とか、「こういう人に相談を促すようにしたらいいですよ」みたいなことをやった方が、論文出すだけだったら絶対出せます。ただ、勝又先生がおっしゃられた尻拭いという話にも繋がってくるんですけど、「その後どうすんのよ?」「見つけて、どうするつもりなの?」という問いへの答えが必要だよね、みたいなことは、最近よく思うようにはなりました。

【勝又】 ポジション的に、ぶっちゃけもうそんなに第一線で論文書かなくてもいいじゃないですか(笑)

【末木】 そういう立場になってきているから、そう思えるのかもしれないです。

【勝又】 私も次の世代である若手の研究者に論文を書いてもらいたいですね。それから、今後実際自殺予防に何が必要かと考えると、末木先生と同じく困難を抱えた人の身近な人との関係をどうしようみたいなふうに考えていて、僕の中ではやはり、先ほどの所属感問題をどうにかしたいと考えているところです。たとえば、小さい頃にトラウマを受けた人たちなど、家族とうまくいっていないケースを後で立て直すのってとてもコストがかかるから大変です。でもそうしたケースの「予防」というのもまた、言うのは簡単だけど、やるのはすごい大変なんですよ。私はどちらかと言うと、そういう経験をしてしまった人たちにどうアプローチしていくのかということを考えたいと思っていて、もちろんそれはそれでそんなに簡単ではないし、なかなかうまくいかないですが、僕は地道にそういう人たちにどうやってアプローチしてきましょうかねというのを、地域の人たちと個別のケースレベルで考えていきながら、次の世代がそれを見てスキルを覚えていくみたいな、とてもミニマムな感じで臨床の人材育成をやっているというのが現状ですね。

【末木】 結局、見て覚えろみたいな徒弟制度になると(笑)

【勝又】 そう。なので、それを同時多発的に様々な場所でやれなきゃ負け戦だと思っています。なので、できるだけ僕らがやっている様子などをネット配信したりとか、カンファレンスをするとか、LIVEスーパービジョンを配信するとか、そういうことが必要かなと思っていますね。皆がその状況を一緒に共有できるようなことができたらいいけど、テクノロジーがあったとしても、個人情報に関係する問題や守秘義務の問題があるから簡単ではないですが。

【末木】 今日は全体的に暗いトーンでしたが、色々なことが、やはり難しいんだなということが分かりました(笑)。長々とお時間をいただきまして。色々と話せて今日は楽しかったです。

【勝又】 役に立ったか分かりませんが(笑)。またなにか喋りましょう。

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以下、前編へのリンクです。

■責任編集 末木 新(和光大学 教授)

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