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要するにメタバース原住民が恐れているのは「オタク叩き」の二の舞になることなんだ。それをインフルエンサー諸氏は理解しているか?

はじめに

まずはじめに言っておかなくてはならないが、世の中「政治」や「行政」が統制・規制すればうまくいくようなものではないんだ。
もう私のTwitterをブロックしているからこれは読めないだろうけど。キミに伝えるために今私はこれを書いているよ。

さて、今回のnoteは、いつもみたいにインフルエンサー諸氏がどうのという内容では(直接的には)ない。まぁ、例によって関係はあるのだが。

ちょうど100カメとかいうテレビ番組が放送されたり、「発信力がない一般人が悪いw」的な発言をして私をイラつかせた某インフルエンサー氏の発言がここ数日界隈を沸かせているが、やっぱりインフルエンサー諸氏とメタバース原住民の間には、なんというか「溝」があるように思う。

その「溝」の代表が、インフルエンサー諸氏「メタバースの独特な面白さを伝えるためにお砂糖バ美肉をテレビで積極的に宣伝する」VSメタバース原住民「そういうのやめてくれ」(VSダークライVSまたしても何も知らない大泉さん)である。

で、色々考えたのだが、筆者はここで一つの可能性に思い当たった。
それは、(筆者的には考えられないが)本名や年齢を公開しているインフルエンサー諸氏が非常に若いため、シンプルに言えば「世代ギャップ」のためにこの不毛なVSが生じているのではないか?ということだ。

比較的高齢(20代後半以降)な人々がメディアでバ美肉だのお砂糖を取り上げることへの忌避感があるのは、世の中の「オタク叩き」を知っているからで、若いインフルエンサー諸氏はそれを知らないのではないか?ということだ。

というわけで、本noteはまず「オタク叩き」について時系列をおって、有名だったり知っていたりする事件を事例として示しながら、比較的高齢(20代後半以降)な人々が置かれてきた「オタク叩き」のあり方を知ってもらい、それを踏まえた所感を述べていこうと思う。

一応、いくつかの書籍や個人的に収集していた話からまとめていくが、もしかしたら誤りがあるかもしれないので、そこはコメントなどで訂正していただきたい。

1、オタク叩きの諸相

1-1、そもそも「オタク」は蔑称

今言う「オタク」が最初に世に出たのは、1983年の『漫画ブリッコ』内における中森明夫のコラム内である。今から以下に引用するが、もう「オタク」という単語は最初から下層民として扱われているのだ。

その彼らの異様さね。なんて言うんだろうねぇ、ほら、どこのクラスにもいるでしょ、運動が全くだめで、休み時間なんかも教室の中に閉じ込もって、日陰でウジウジと将棋なんかに打ち興じてたりする奴らが。(中略)
それで栄養のいき届いてないようなガリガリか、銀ブチメガネのつるを額に喰い込ませて笑う白ブタかてな感じで、女なんかはオカッパでたいがいは太ってて、丸太ん棒みたいな太い足を白いハイソックスで包んでたりするんだよね。普段はクラスの片隅でさぁ、目立たなく暗い目をして、友達の一人もいない、そんな奴らが、どこからわいてきたんだろうって首をひねるぐらいにゾロゾロゾロゾロ一万人!それも普段メチャ暗いぶんだけ、ここぞとばかりに大ハシャギ。
なにかこういった人々を、あるいはこういった現象総体を統合する適確な呼び名がいまだ確立してないのではないかなんて思うのだけれど、それでまぁチョイわけあって我々は彼らを『おたく』と命名し、以後そう呼び伝えることにしたのだ。

—『漫画ブリッコ』1983年6月号、『おたく』の研究(1)街には『おたく』がいっぱい

これが1983年の言論空間である。
「オタク」とはこういう人々を指す言葉として誕生しているのだ。2010年代に「オレ、オタクだからさぁw」とかいっている若人からすれば信じられないだろうが。

こうした「キモい」オタクならどうやっても「社会の敵」として有効だと考えたメディアの人々は、ある事件において決定的なヘイト報道をおこなう。
そう、宮崎勤事件である。

1-2、「ここに100万人の宮崎勤がいます!!」

1988~89年に発生した連続幼女誘拐殺人事件の犯人、宮崎勤は大量のアニメ・特撮ビデオ・ホラー映画などを蒐集、愛読しており、凶悪犯罪者の「異常性」の代表として彼のうずたかくビデオが積まれた部屋が扱われた。
当時の写真にも、アニメ雑誌が床におちているものが撮影されていた。まぁ、実はこの写真はインパクト重視で手を加えたものだったのだが。

そもそも蔑称であった「オタク」という言葉は、この事件を機に「殺人鬼予備軍」の意味が付与されることになる。
学校では「ツトム」といじめられ、親からは「あんたそんなモンばっかり見てると人でも殺すんじゃないの」と言われたりする。
そういう風潮になっていったのだ。

小見出しにもつけた「ここに100万人の宮崎勤がいます!」というのは、某テレビレポーターがコミケをみて思わず絶叫した一言…といわれていたが、どうやらそういった事実はないそうだ。
しかし、こういう言説が20年ちかくたって改めて検証されなくては「なかった」ことがわからない程度には、いわれててもおかしくないし、そう思われていても仕方ないことなのだと、世間的には思われていたことの証左であるといえる。

2、2000年代のオタク叩き

2-1、フィギュア萌え族による犯行です!

1990年代のエヴァブームにより、多少の印象改善はされつつあったが、2000年代にはいってもオタクは「キモくて何考えているかわからない殺人鬼予備軍」という、筆者の言う「公共の敵」として報道・印象操作されることが多かった。

事件報道を2つあげよう。
1つ目は「犯行はフィギュア萌え族によるもの」という発言だ。
これは、2004年に発生した奈良小1女児殺害事件という卑劣かつ残忍極まりない犯罪の報道の際、大谷昭宏というジャーナリストが、犯人がアニメや恋愛ゲーム好きであったことから「フィギュア萌え族」とレッテルを貼り、同じような特徴をもつ人物ー要は「オタク」ーを叩いたのである。
この女児殺害事件も性犯罪・ロリコン犯罪であることから、「ほらみろ!やっぱりオタクは「公共の敵」だ!」というオタクバッシングをするのには十分なパワーを持つ発言であった。

次にひぐらしのなく頃に解放送延期事件である。
こちらはゴスロリ衣装を好む少女が鉈だか斧だかで両親を殺害した事件である。事件自体は(殺人事件であるから軽率なことは言えないが)要するに家庭内不和を発端とする事件なのだが、この少女がひぐらしのなく頃にを好んでいたことから、「オタク犯罪」として扱われるに至った。

ひぐらしのなく頃にをご覧になったことのある方ならよくわかるだろうが、この作品は(諸説あるが)サウンドノベルのファンタジーミステリーである。しかし、事件報道では「ゴスロリの少女が鉈で村人を次々に殺害する残虐ホラー」と紹介されたことさえあった。

そこまで吹っ切れた「ロッキーホラーショー雛見沢編」みたいなのがあったらむしろ見て見たいが

こういう形で、宮崎勤以降「オタク=殺人鬼予備軍=公共の敵」という概念はメディアで嫌と言うほど見ることになる。
これがいきなり「クールジャパン」とか言い出したのだから、これらの「迫害」を経験している人々がメディアに対して強い不信感を持つのは当然だろう。

もちろんこれだけではなく無数に「オタク叩き」はあったし、間に「ゲーム脳の恐怖」ブームもあったので、ゲーム好きは殺人鬼予備軍かつゲーム脳で暴力的犯罪者予備軍としても扱われることになっていた。

とはいえ、2004年の『電車男』ブーム前後から、ただただ叩くことは流石に少なくなっていった。
ようやく平穏が訪れた…かと思いきや今度は「イジり」がやってきたのである。

なお、付言しておくとメディアは今でもオタクを犯罪者予備軍だと思っている。Vtuberが殺人事件を起こした昨年の事件(バーチャル美少女ねむ氏が協力に発信してAERAの「バ美肉という倒錯した趣味」を撤回させた事件)報道なんかをみればそれは明々白々である。

2-2、オタクは「いじっていい」

ハルヒブーム前後から、流石に「殺人鬼予備軍」だけではネタ切れだと思ったのか、「イジる」方向にシフトし始めた。
代表的なのは「アッコにおまかせ 初音ミク事件」でいいだろう(というかありすぎて選べない)。

「アッコにおまかせ 初音ミク事件」とは、2007年のアッコにおまかせにて初音ミク特集を組んだのだが、そこでは初音ミクの技術的新規性を特集するという名目で取材したにも関わらず、取材中のちょっとしたオタク発言を切り取り放送した事件で、初音ミクの開発元から公式にコメントが出される事態に発展したものだ。

筆者は当然あんな番組を信用してはいないが、3時間取材し、アッコさんの「あの鐘を鳴らすのはあなた」までミクに歌わせたにも関わらず、それらを使わないというのはなんという非道さかと今でも思う。
だが、こういった「オタクイジり」は止まらない。

今でこそ笑って流せるが、太田光の「ラブライブ!のTシャツだろそれ」だとか、なんかアンガールズの山根じゃない方がフィギュアを口にくわえたりしたという話もある。
あとは、艦これ好きと対決したマナー講師の番組や…あぁ!多すぎて手に負えない!
これ、きわものYouTuberとかじゃなくてテレビでやってる話なんですよ。信じられないですよね?

3、メタバース原住民は「公共の敵」になることを恐れている

3-1、次の「公共の敵」探し

今、オタクは妙に持ち上げられている。
いわく経済を回す、いわく博識、いわくクールジャパン。メディアもそうやって取り上げている。

しかし、10年前は上にみたような殺人鬼予備軍扱い・いじっていい存在扱いだったのだ。
この言説に身近に接してきたオタクたちの一部が、現在のメタバース原住民には多いのではないだろうか。
だからこそ、オタクにかわる次の「公共の敵」となることを恐れている。
これがメタバース原住民に通底している「メディア露出してほしくない」という感情の根幹にあるのではないかと筆者は考える。

メディアレベルまで行かなくとも、ラノベ読んでいるだけで「オタクキモ!死ね!」といって野球部の●●くんにいきなり殴られたり、「キモいエロ本よんでるwww」といってバレー部の●くんに持ってきたラノベを破られてトイレに流されることくらい、この世代の人々は多少なりと見聞きしているんじゃないだろうか?

これを筆者の実体験と捉えるか、見聞きしたことと捉えるかは読者に任せます。

こういう心理的な状態を、おそれを、若いインフルエンサー諸氏は理解していないか、理解した上で自らの利益のために踏みつけているかのニ択だ。
それが本noteでの筆者の結論だ。

3-2、仕方がない場合はせめて「責任」をもて

しかしまぁ、一応理解は示そうじゃないか。
インフルエンサー諸氏も、それで名声を上げて、ゆくゆくは肩書でメシを喰い、あるいは「学生時代にNPO法人を~」といっていい企業に就職してオタクや社会的弱者を喰いモノにしてタワマン最上階で海外モノのワインを開けるために、ポジショントークが必要なんだろう?
わかるわかる。

じゃあキミたちはせめて、自分たちは自分達の利益のためにお砂糖やバ美肉をメディアに売りつけているということへの「責任」を持ってくれ。

昨今、やたら「インフルエンサーだと持ち上げられたくない」だとか「偶然そうなっただけ」とか責任逃れのようなことをいうインフルエンサー諸氏が出てきているが(私をブロックした某あんたのこと言ってんだよ)、それはよくない。

自分達の言説や発信によって不利益を被る人がいて、それと自分の利益or自分が考える「良いこと」を天秤にかけた結果、それでも自分の利益をとっているんだ、という自覚を持ってくれ。
「世の中に発信する」というのは、発信した内容によって多くの人々が影響され、傷つき、あるいは利益をあげる、その「責任」を持つことなのだ。

おわりに

なんか結局インフルエンサー諸氏云々になってない…?まあいいや(なげやり)。

オタク叩きについては、多分もっと詳しいブログとか書籍があるからそちらを見て欲しいが、いずれにしても「オタク叩きを経験している世代は次に叩かれる「公共の敵」に、メタバース原住民がなりたくない。そのために、メタバース原住民の奇異さを特筆して演出・発信すること、つまりバ美肉お砂糖を発信することをやめてほしいと思っているのではないか」という筆者の仮説を少し理解してほしい。それが本noteの結論だ。

最近言葉を読めない人物が増えているからわざわざいうが、上の仮説は「メタバース原住民の総意」ではない。筆者自身や、筆者と雑談を交わしてくれる人々の話から打ち出した「仮説」である。

他にもいろんな「オタク叩き」の話があるはずなので、ここは集合知だ。
感想でも引用RTでもなんでもいいから、そういう話を教えてください。個人的な経験・体験も全然OK。
そういう話が多く出ればでるほど、それらに無知だった若いインフルエンサー諸氏にも届き、考えが改まるかもしれないのだから。

本noteに対する批判、批評などは全て開かれている。Twitterなりコメント欄なり、あらゆる場所で「常識的な範囲で」何を言ってもらっても構わない。思うことはしっかり、言葉に残してほしい。以上でまとめを終える。




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