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「ながら作業」のセンス

 「ながら作業」が当たり前になっている。

 書類を整理しながら同僚の依頼を聞いたり、業者の電話に応対しながらエクセルのXLOOKUP関数をセルに叩き込んだり。

 でも、作業を終えた後に脳みそが空白を訴える。

 「次、何するんだっけか」

 私は「ながら作業」のセンスを持ち合わせていない。故に、「ながら作業」をするべきじゃない。

 さらに、「ながら作業」は作業した結果の質を格段に落とす。

 ユーチューブを見ながら肉じゃがを作ったり、アマゾンミュージックで日向坂46の曲を聴きながら歯磨きしたり。

 でも、結局肉じゃがも歯磨きも集中できていなくて中途半端な仕上がりになる。

 「肉じゃがのじゃが、溶けてんじゃん!」

 私は「ながら作業」のセンスを持ち合わせていない。故に、「ながら作業」をするべきじゃない。

 そもそも「ながら作業」のセンスって何だろう。「ながら」なんだから中途半端に寄ってしまうのは仕方ないんじゃないか。

 以前同じ部署にいた先輩はお喋り好きで、サッカーや釣り、友人の話を仕事中にしていた。だが、視線と手は常にエクセルに注がれ、話し終える頃に資料を完成させていた。先輩曰く「仕事中は雑談も相談も全部『ながら』で聞く。だって仕事してるから。話がメインじゃないから。愚痴を吐くなら外でやろうや」らしい。

 人によっては不快に感じるかもしれないし、適当に見えてもおかしくない。けれど、その先輩は少なからず「ながら作業」のセンスを持っている。そこでふと気づいたのは、余裕があって要領良く立ち回る人ほど「ながら作業」のセンスが光っていることだった。

 人の目を気にせず、オンオフをしっかり切り替えられるところに良さを感じ、私も先輩のスタイルを真似し始めた。でも、なかなか上手くいかない。

 コピー機の前でお局さんに捕捉されたら大人しく話を聞くし、誰かに業務の話をされたらマウスを手放す。その間も業務時間は刻々と過ぎていることに気づいていながら、諦念をもって人と向き合う。

 「ながら作業」のセンスを磨くのに必要なのは、ゆとりと知識と「自分」を貫く意思の強さなのだとしたら。その三銃士はまだ私の中で成長しきっていない。

 まずは、お局さんとエンカウントする機会を減らすところから始めたい。

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