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心の中にピタゴラ装置を飼っている
皆さんは心の中にピタゴラ装置を飼っているだろうか。私の場合、指定要件を満たしたときに出現する。
ピタゴラ装置は、NHKで放送されている教育番組『ピタゴラスイッチ』のコーナーの一つだ。私も多分に漏れず、幼い頃に見ていた。
ピンポン玉が紙コップや定規等を使ったギミックによって移動し、終点へと向かっていく。最後に『ピタゴラ』の旗と共に『ピタッゴラッスイッチ♪』が流れ、毎回「こいつはすげぇ!」と感心していた。
ドミノ倒しさながらにスイスイと流れていく過程は、見ていて清々しい。収束すべきところに寸分違わず帰還する様子が好きだ。今見たら、制作者の努力の結晶を感じてしまうだろう。僅か1分程度のコーナーに、どれだけの時間と創造力をかけているのかと考えると、頭が下がる。
ピタゴラ装置の制作然り、日々の生活然り、物事が一切の遅延なく進行することはなかなかない。特に焦っているときやコンディションが優れないときは、仕方ないとはいえ円滑を欠く。私の心のピタゴラ装置は、そんなときに宿る。
例えば、仕事が立て込んでいるところに追加案件を命じられ、焦燥を極めているとき。手元が落ち着かずに書類を落としたり、ここぞというときにホチキスの芯がなくなったりしたら、心中で『ピタッゴラッスイッチ♪』が流れる。
日常生活では、洗濯物を部屋干しするときに手元が狂って落としたときや、廊下の角に小指をぶつけたとき、『ピタッゴラッスイッチ♪』が脳内で再生される。言語化すると、この上なくアホみたいな話だが、ピタゴラ装置を飼うとはこういうことだ。
まず明確にしなければならないのだが、ピタゴラ装置的要素は何もない。ピタゴラ装置本来の清々しさや感動とは見当違いの引用であり、単に自分のミスである。調子が悪かったり余裕がなかったりして物事が上手く進まないだけだ。
いつからピタゴラ装置を飼い始めたかは憶えていない。ただ、『私の精神を守る』という目的が根底にある。
前提として、自分のミスや間違いをピタゴラ装置に転嫁しているわけではない。起きてしまったネガティブな事案を、丸ごとネガティブな気持ちで受け止めたくないのだ。だから『ピタッゴラッスイッチ♪』を使って、暗い感情を中和させようとしている。
効果はあるかと考えると、意外とある。『ピタッゴラッスイッチ♪』を脳内再生する自分がバカみたいで笑えてくるのだ。収まるべきところに全然収まっていないのに、やってやったぜ感を出していくスタイルである。これを開き直りという。
オススメしてみるものの、効果については自己責任でお願いしたい。あなたなりの『ピタッゴラッスイッチ♪』が生活のバランサーになることを願う。
負の感情自体は否定しなくて良いが、少しでもその時間を減らして生活したい。
さあ、皆さん一緒に。
ピタッゴラッスイッチ♪
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