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「場作り」に貢献する姿勢はPay Forward に繋がる


先月、大学を卒業しました。

2020年からのオンライン授業を受けてきた学年です。
私の大学ではZoom®というサービスを用いてオンライン授業が開催されていました。

そこから2,3年ほど、実習が始まるまでの間オンライン形態での授業は続きましたが、最も意識したのが「顔出しする」こと。

どんなに自分の見た目に気を使えていなかろうと、顔を出す。
移動中で顔が出せない時は、チャットを積極的に使用するなどしていました。

私の大学では、実習を担当する先生が座学を担当することもあったので
実習で「あぁ、あの時は授業ありがとうございました」と再開することも珍しくありませんでした。

そんな時、先生は結構な確率で、こちらのことを覚えてくれていることに気が付きました。
どうして覚えているんだろうかと不思議で堪りませんでしたが、自分がZoom で講義をする機会に恵まれて、その理由が分かりました。

Zoom では、顔を出している人はその画面が。
そうではない人は、濃い灰色の背景に白字で「〇〇(名前)」と書かれた画面が映るばかり。


1人だけ顔を出してくれている人がいたのですが、その人の頷きを見て「あぁ伝わっているんだな」と理解できるし、「聞いてくれていて嬉しい」という気持ちになりました。

Zoomで顔を出す。それは先生が講義をするモチベーションの1つになっていたのかもしれません。

勿論、Zoom で顔出ししていないから真面目に聞いていないかというとそういう訳ではなく、ただそれが「相手に伝わってないよ」というだけなのです。

対面で授業を行っている時は、その人が話を聞いているか聞いていないかということは、見れば分かります。
話に合わせた相槌、ペンを走らせる姿勢、などなど。

これは、オンラインでは見えない光景です。

結論、顔を出すことにそこまでのこだわりはありません。

例えば授業ならば、授業を作るのは先生だけではなく、こちらの反応もあって初めて授業が完成する。そういう、「一緒に1つのものを作る」という意識の表れの1つとして「顔出し」がある。そう思っています。

先日入職した会社のオリエンテーションで、挙手を求められる機会がありました。

A-Eの選択肢の中からどれかを選んで、1つ挙手をするというものです。

全体の中で、どれかの選択肢に手を挙げていたのは1割にも達していませんでした。

ミスをするのが怖いのでしょうか。「Aだと挙げていた君、どうしてそう思う?」と聞かれるから?

もしも「手を挙げない」という行動が、「授業・講義というのは相手から一方的に与えられるもの」という認識から来ているのであれば、それはかなり相手から搾取する様なスタンスだな、と感じます。


事例式から1週間。来週からはようやく、自らの配属された場所で働き始めます。
勿論分からない事ばかりであることは承知の上で、
間違いを恐れない。間違えた時は素直に修正する。現場全体の利益を最優先する。
これらの意識で、頑張っていきます。

最後まで見てくださり、ありがとうございました。

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