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自分の人生はさておき、他者の人生に全力になれる貴方へ【就活】

人は2種類の事を考えて過ごしている。

1つが「自分のこと

そしてもう1つが「自分以外のこと」つまり、「他者のこと」

です。


そして基本的に、他者のことばかり考えて過ごしていることでしょう。

自分が生きていく上ではさほど関係ない、他者のこと。

YouTuberがどうしたとか、芸人が結婚したとか、基本的にこのへん全部「他人のこと」です。

それに対して一喜一憂している「自分」が居るのです。


自分のキャリアとか、自分の人生とか、そういう事を考えるのはすごく難しい。考えるだけじゃなくて、悩むだけになってしまう。

「悩む」は、ひとことで言うと「ぼやっとしている」状態です。
「どうしよう、どうしよう」と思考が堂々巡りになっているだけで、具体的なことは頭の中に出てきておらず、このままでは解決の方向には向かいません。
一方、「考える」は、何か課題を抱えている時に、自分なりの解を出そうと頭を使っている状態です。

「悩む」から「考える」へ切り替えよう!上手な悩みの解消方法とは?
, GLOBIS CAREER NOTE, 2021.09.10, https://mba.globis.ac.jp/careernote/1025.html, (2022-09-06閲覧)

私の場合、いつも同じ思考の流れを繰り返します。

人間どうせ100年位したら死ぬし、ジョブズで替えが効くんだから大丈夫ですよという言葉にもあるように、基本的にすべての事は「貴方がやる必要がない」んです。

その中で、自分がそれをやる、という選択をする。
これってすごく難しいことだと思うのです。

他者と比較しない、はある意味正解

他人を見下すような行為は何も産まないので避けるべきだと考えていますが、

他人を目標にして今の自分の行動を決める、このようにして他者を「利用する」のは良いと思います。

「利用する」という言葉にマイナスイメージが入っているのは私だけでしょうか‥

例えば筋トレ。

Image by Deep Khicher from Pixabay

腕の太さを40cmにする。
途方もないことですが、それをひとまずの筋トレの目標にする。SNSとかネットを軽く検索すれば、それくらい腕が太い人なんてゴロゴロ見つかる。

それくらいの太さになったら、きっとかっこいいことだろうな‥
それが付いた自分、どうなっているんでだろう‥

そうやって「他者」と比較しつつも、日常のトレーニングは昨日までの「自分」と比較する。

他者との比較も使いよう、なのでしょう。


他者に貢献できない人生はダメなんでしょうか。

Image by Judit Marjai from Pixabay

最近、一般の就活生がやるインターンに参加しています。

インターンの面談で話を聞いていると、「最後は他者へのギブが必要だよ」とか、「社会で生きていくためには、他者への貢献が必要だ」など何かと「他者への貢献」が強調されます。

これと同時に「自らの理想を見つけよ」ということも問われます。


自分の中に確固たる「理想」が存在しており、それに向かって進む。その過程で他者への貢献をする。もしくは他者への貢献を通じて自らの理想へ近づく、この2つのループを上手く回すことが説かれます。


私個人としては

「他者に貢献すること」と「自分の理想の人生が決まっていないこと」は両立する。

そんな気がするのです。

理想の人生の有無 × 他者貢献のあり方を考える

理想の人生ナシ × 他者貢献アリ パターン

他者にめちゃめちゃ貢献できているが、自分の理想が定まっていなくて、目の前にいる人を救うことばかりしている。

そんな状況もあるのではないかと思います。

臨床実習で医者の人に話を聞いてるとそんなのザラです。

患者はめっちゃ救ってる。高度技術すぎてマジヤバイ。でも、自分の理想があるかと言えばそうではない、みたいなパターン。

理想の人生アリ×他者貢献ナシ パターン

さっきの逆。

つまり、「自分の理想の人生が決まって」いるけど、「他者にぜんぜん貢献」しない人。

あるでしょうね。

自分の理想の人生、をどこに持ってくるか、という話になります。

自分の理想に「経験」「状態」が含まれるならば、総じて他者への貢献は必要になるでしょう。1人でできる経験だけを求めるのであれば話は別ですが。

そもそも他者貢献って?

他者に貢献する。
規模はともあれ、それが社会の中で認められるからこそ価値を見出してもらうことが出来ます。

そしてそれに対して、対価が支払われます。

その1つの形としてお金がある。私はそう認識しています。

その対価が支払われるのは今この瞬間ではないかもしれない。
人生、トータルで見て「あぁ、あの時対価が支払われていたんだね」という可能性もあるのです。

自分には「自分が思ったとおりでギブに対するテイクがないと、不満になる」という感情がまだ残っている可能性があります。

例えばお金だとか、自分への好意だとか「自分へのギブ」だと認識しているもの、それが返ってきてはじめて「私の好意は報われた」と考えているのではないでしょうか。



そもそも私はギブアンドテイクを考えているのか?

2年前の10月、「破滅原則と繁栄原則」という言葉に出会いました。


破滅原則とは「今さえ良ければ良いんだ/自分さえ良ければ良いんだ/金さえ手に入れば良いんだ」というもの

繁栄原則とは「正直/誠実/感謝/奉仕/謙虚/良心/他者の幸せを願う心」

名無き仙人の綴る物語, https://tensei.nanaki.biz/mgensoku.html

当時の私は「ギブアンドテイク」と言いながらも、自分が相手からテイクすることばかりしていた、それに自分で気が付いていなかった「破滅原則」真っ盛りの状態でした。

当時付き合っていた相手に叱ってもらうことでこの記事に出会い、あぁそんな状態だったのかとハッとした記憶があります。

とはいえすぐに人間変わるわけではなく、そのまま自分のやりたいことに固執していた結果彼女とは分かれる事になってしまいました。




今の自分がどれだけギブアンドテイクの考えからギブアンドギブの考えに移れているのかどうか、それは分かりません。恐らくそれを評価するのは自分ではなく、他者なのでしょう。

自分で「私はギブアンドギブが出来ている」なんて、口が裂けても言えません。傲慢すぎてそれこそ「破滅」です笑。


人から「十分できているよ」と言われても「いやぁ、まだまだです」と言い続ける、そんなマインドで過ごす、ただそれだけなんだと思います。
過度な謙遜ではなく、事実として、心からそう言えるような状態に近づいていきたいと思う限りです。


理想の自分が無くてもなんとかなる。問題は他の場所に。

さて、話が逸れまくってしまいました。

私としては「理想の人生を生きること」こそが究極のエゴなのではないか?と感じています。

注) これは「理想の人生」の設定の仕方によります!!
個人的に「理想の人生に向かって進む」という表現がしっくり来ていません。
どうしても「自分の理想のためならば他者を犠牲にしても仕方がない」というニュアンスを含めて考えてしまうのです‥( ;∀;)



というわけで私としては「理想の人生ナシ × 他者貢献アリ」のパターンで現在進んでいます。自分の人生を考えるのがしんどいからそうやって考えているんだろうという批判、全力で受け入れます。正にその通りなのです。

自分の事について考えなくてはならない & 今の自分は自分の事について考えていない。

そんな認知不協和の状態を解消するために生まれたのが「他者貢献」である可能性も全然あるのです。その方向から詰め寄られたら、反論の余地はアリません。


就活、ともなると「自分が理想とする未来」を先に決めて、それに合った収束先を決める、という順番になりがちです。


その逆の方法、他者貢献を繰り返した結果たどり着いた場所、という「一見他人に流されて見える」人生、その歩み方を考えていきます。





最近Twitterを見るのを辞めました。

他人の人生ばかりみていて、自分の人生にコミットしていないような気がしたからです(あれ?さっきと逆?)


Noteの更新は継続していこうと考えているので、お時間がある時にさっと目を通してみて下さい。

コメントも大歓迎です✨✨

それでは、ごきげんよう($・・)/~~~




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