「何か質問はありますか?」という声掛けにはどんな意味があるのか【理解とは何か】
「何か質問があったら聞いてね」
という発言。
「貴方に気を配ってますよ」という気持ちを表現する方法としては非常に良いと思うのだけど、実際わからないことが生じた時、それを当人は気がつくことが出来るのだろうか、と感じてしまう。
同じように、「理解できていますか」という確認方法も、相手への気遣い以外の意味があるのか?と感じてしまう。
とどのつまり何が言いたいかというと、
「相手が私(=ジョン)の話していることを理解できたかどうか」を確認する事は、非常に難しいのではないか?
ということである。
今日は、「理解」とはなんだろうな、というお話。
例えば
「今日の流れについて説明したのだけど、
これから何をするか説明して貰っても良いかしら」
という確認方法を取った場合。
相手が説明できなかった部分が「理解できていない所」だと仮定することが出来る。
つまり、相手が私の話したことを説明できたからといって、
「この人は理解しているんだ。だからミスは起こらないだろう」
と考えるのは早計である。
説明は出来るが理解できていない、実行できない、ということは十分に考えられる。
自分自身、研究室の先生に対して
「今後は〇〇をして、△△の作業をやっていこうと思います」
などと発言することがある。
が、実際にその通りことが進んでいるかと言うと、そんな事はない。
「なんかめんどくさくて後回しになってしまう」
「1週間くらい経ってから実際にやってみようとしたら、先週話していたときのように上手くやってみることが出来ない」
と、上手く進まない。
「理解しました」に期待するな
自分が誰かに対して、何かを理解してほしいと思い、説明する時。
「理解しました」という返答を貰ったとしても、その後しばらくしてから質問が飛んでくる事は十分に考えられる。
「なんで初めに言わなかったのよ!?!?」ではない。
「理解したとは言っているけど、実際の所貴方が理解できているかどうかは私は確認ができないのよね。
私とあなたの”理解”の内容に齟齬があることなんて当たり前」
こういうスタンスで対人関係に臨むと、余計なストレスを感じずに済むかもしれない。
最も、
「理解したと言っているけどみんながよく悩むポイントをリストアップしておいたから、気になったらまずこれを参考にしてみてね」
というQ&Aを作成することは、転ばぬ先の杖、になると思う。
昨年末、「試験に合格するために、テスト範囲の”理解”は必須ではない」という話をしました。
「暗記していること」と、「理解していること」は同義なのか?全く理解していなくても、選択肢を華麗に当て続けることができれば、試験には合格するよね。理解することは必要条件ではないよね!
という内容です。
今回の話は、「如何に相手の成長につなげることが出来るか」ではなく、「”理解しました”という言葉の綾」についての話です。
しばしば用いる「理解」という言葉、すごく難しいですね。
どのようにすれば、指導を通じて成長につなげることが出来るのか。
これに関しても、機会があれば考えてみたいです。
では。
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