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ずっと下痢で、大便を漏らした翌日に救急車で運ばれたら結局脳炎だった話

こんにちは、東京でサラリーマンをやっている伊藤淳(@junito_ja)です。長らく文章書いていなく、何か久しぶりに書きたいなと思いキーボードに手を乗せてます。

noteというと個性的な人や、仕事ですごい実績がある人が、みんなのためになることを書いているイメージ。「はて、自分は何が書けるっけ?」と考えたところ、病気のことがあまりみんな経験していないことと思い、まとめてみました。

このまとめの注意点

このまとめは筆者が実際に経験した病気や入院生活をまとめているものです。自分で経験している事を綴っているとはいえ、医療関係者ではないので書いている事=あくまで一個人の体験談として捉えていただけたらと思います。

救急車搬送1週間前から当日まで

お腹の調子が悪いことは誰にだってあると思います。アイスを食べすぎたり、冷たい飲み物を飲みすぎたりして。自分はお腹が弱く、痛くなりやすい体質なのですが、ある日いつものように腹痛で柔らかい便が出るように。

通常なら1,2日ほど経てばなおりますが、柔らかいというか、もうほぼ液体状態の便が1週間ほど出つづけてました。ちょうど熱も出てきたので、内科にいったら胃腸炎の類と言われる。まあ普通の診断。処方された薬を飲むも、全く腹の調子は改善されず、ふとした瞬間に気が緩んだのか液体状の便を漏らす、28歳男性独身彼女なし(当時)。

「情けない。。。」と思いながら洗濯をすませ、コンビニ飯で夕食。お風呂に入り、ポカリを飲む。そして寝て、朝を迎えたら熱がひいて、お腹も治っている。それが期待していたストーリーです。

ただ現実はどんどん上がっていく熱、ガンガンする頭、爆発しそうな腹。呼吸のたびに喘いでしまう痙攣、膀胱がパンパンなのに全くでない尿(ここ後々ポイント)。もしかしてヤバいんじゃないの?と思って、家の玄関のカギを開けておきました。この判断は今思うと天才。

なかなか寝れないから、バナナマンのラジオを25時から聞くけど全く寝れない。むしろ痙攣が激しくなる。
「死ぬかも?」
とちょっと頭によぎり、Google先生で「救急車 相談」と検索したところ、#7119 に電話すると救急車を呼ぶべきか相談できることが判明したので電話。#7119 については別で書いているので、お時間あればぜひ

救急車を呼んだ方が良さそうだったので、来てもらいました。少しずつ遠くの方から救急車が近づいている音が聞こえる。ドップラー現象を体感するのではなく、到着するのは我が家。鍵がかかっていないドアを開けてもらって救急車に移動。この時とりあえずなんとか歩けてはいました。

病院に運ばれてから数時後まで

運ばれている間にどんな症状かを聞かれ、痙攣しつつも答える。どの方角に進んでいるかわからないが、運ばれたのは家から歩いて20分ちょいの病院。救急車から降ろされ、緊急用の部屋で処置をされました。

よくわからないものを点滴、採血、注射と色々続き、お腹にエコー的なものを当てたところ、尿がありえない量たまっていることが判明。「出した方が良いですね」と言われ処置室内の出せる場所で力むも全く出てきません。尿意はめちゃくちゃあるけど、これっぽっちも。

さて、この場合どうするか殿方はご存知でしょうか?そう、管をあそこに入れるのです。私は経験が無いにもかかわらず、これがめちゃくちゃ痛いことを知っていました。なぜなら管を入れる、抜くときの痛さをラジオで星野源さん、オードリー春日さんが語っており、書籍で朝井リョウさんが『風と共にゆとりぬ』の中のエッセイ「肛門記」で綴っていたからです。

僕はあそこに迫りくる管を見ながら「これ朝井リョウさんのやつじゃん、朝井リョウさんのやつじゃん!」とめっちゃ心の中で叫んでました。そして入れられたと同時に激痛が走り「ハウァjiasofjakoaga!!」と実際に声に出して叫びましたとさ。

そんなこんなで症状は落ち着き、ベッドで少しゆっくりしていた頃にその日救急のボスっぽい女性のベテラン医師が「今日は帰る?それとも入院しとく?」と聞きました。そんな選べるもんかいなと衝撃を受ける私。仕事もあるしなぁ、と思ったけれどなんとなく心配で入院することに。そしてこれが大正解。

入院から転院まで

入院が決まったと同時に、親しい友人(後に婚約届の証人になってくれた)に家にいってもらい、荷物をとってきてもらいました。家にいったものの部屋番号がわからず、こちらのスマホの充電が切れていたので記憶をたどりに無事に部屋をオープン。

点滴をしつつ、安静にしているも何かがおかしい。物が二重にみえてしまう。体温は37℃くらいでちょっと熱があるくらい。医者がいろんなことを聞いてくるがいまいち原因がわか。数日後にMRIやらCTやら色々使って検査することに(当たり前っちゃ当たり前だが、こういう機材も1日に検査できる人数に限りがあります)。

病院食をとり、水分をとる。さて、食事や水分をとった後に人間がしないとけないことは何でしょうか?そうです、トイレです。そのトイレですが、またまた全くでない。このままでないと、またあの痛い目にあうと思い必死に出そうとしますが、死ぬ気がふんばって1滴でるかでないか。

どうも人間は200ml尿がたまったら尿意がしっかりと出てきて、500mlくらいたまると出さないとまずいらしい。運ばれた時は1㍑ほどたまっていたそう。膀胱が膨れることによる痛みと、管を入れる痛みを天秤にかけ、心が折れたタイミングでナースコール&お医者さんによる管の挿入措置。叫ぶ。ちょっと泣く。でもこれ入院してなくて、帰ってたらわりと終わったのでそこだけは結果オーライです。

このような出来事が何回か起こり、毎回管を入れるのは大変ということで管を入れっぱなしにして、トイレの時だけ管の先のキャップを外して尿を出すという処置に切り替えられました。話を聞いたところ、一生この状態で、月に1回菌が溜まらないように取り換える生活をしている人もいるそう。あと毎回我慢して、自分で管を入れて尿を出す生活をしている人もいるそう。

人間っていうのはトイレをする時に大切な神経がありまして、1つは尿意・便意を感じる神経。もう1つはそれを感じて、排出する神経。管を入れるとその両方の神経が退化してました。なんとなくご飯食べて、飲み物飲んで「腹が少し膨れてんなー」と思ったらトイレに行き、キャップをはずして尿を出すの繰り返し。

その後39℃くらい熱が出たり、相変わらず物が二重に見えたりと大変なことは続きました。色々検査して、原因不明が続いたけれど、脳のMRIをとって脳炎が発覚。急遽大学病院に転院することに。

転院から退院まで

大学病院に転院の日はちょうどタメの従姉妹がお見舞いに来てて、荷物を運んだりをやってもらえて助かった!転院も救急車を利用&サイレン鳴らして移動するのは知らなく、驚いたのを記憶しています。

元の病院の主治医も乗り込み、転院先の先生に症状を伝えていました。急ぎでステロイドの点滴を打つことが決まったのと、脳脊髄液(だった気がする)を採取するために腰椎穿刺(腰椎の隙間に注射する)を行う。見たことのないサイズの注射。でも思ったよりは痛くない。管を入れる方が何倍も、何十倍も痛い。

ステロイドって塗り薬でしか聞いたことないけれど、点滴ってやばいと思ったが効果覿面。物が二重に見える症状はおさまり、脳炎の症状に見られる白い影が数週間かけて徐々におさまっていきました。

物が二重に見える症状がずっと治らずに入院し続けたり、腕が上がらない症状が残ったりする人もいる中でラッキーだった模様。

さて退院できるための基準ですが、それは一人でトイレにいけること。なんだか3歳児みたいな話。管を抜いた状態でちゃんと脳から指令が伝えられ、尿をちゃんと排出できる必要性があります。

それに加えて尿が膀胱にたまった時に尿意をちゃんと感じる必要がありますが、尿意を正常に感じることができません。

管を抜いて、1回目のトイレで一定量の尿を出すことができないと退院することができません。またキャップ付きの管を入れる生活を行う必要があります。私は1回目の挑戦で失敗し、2週間ほど入院が延長されてしまいました。

この管を抜いて、1回目のトイレで尿を出すためにあらゆるトレーニングを入院中行いました。排尿だけに関係する神経系や筋肉のトレーニングは難しいですが、その周辺にあるインナーとアウターの筋肉をトレーニングする事が効果的ということでヒップリフトとドローインを重点的に。

トレーニングまわりは、大学時代にアルバイトをしていたスポーツジムの社員の方である稲倉さんにご指導いただきました。パーソナルトレーナーとして活躍していると同時に、全国大会にも出場する熊本国府高校サッカー部のトレーナーも務めています。説明もわかりやすく、モチベーション維持もしやすいトレーナーなので熊本でお近くの方はぜひ。

他のトレーニングとしては、管のキャップを開く前に30回くらい尿を出すときのイメージで下腹部に力をいれて、実際の動きの練習をしていました。メンタル的な意味もあったと思います。

2回目の挑戦では時間がかかりましたが、一定量の尿を出すことができ無事に退院することができました。なお管を抜くときの尿道をちょっと傷つけるので、出す時に痛い&血尿の状態になります。

退院から現在までの症状経過

58kgくらいあった体重が51kgの状態になり退院。入院していると筋肉が衰えるといいますが、具体的にどうなるのでしょうか?それは階段を上り下りで筋肉がつかれる、下りで足にかかる負担で足がふるえるという症状。あと単純にペットボトルとかが以前より重く感じたりします。

退院後は点滴ではなく飲み薬の形でステロイドを摂取しますが、その量を少しずつ減らしていきます。減らしていって最後に接種をやめますが、ここで再発をしたらアウト。定期的の脳のMRIをとりましたが、私の場合は再発がなかったです。これはもう幸運としかいいようがない。

トイレに関しては退院直後は30分ほど1回あたりかかりました。座って腹圧をかけながらちょっとずつ出る感じです。今でもちょっと時間がかかり、5分くらいかかってしまうことがありますが、生活には大きな支障がありません。

強いていえば、突然トイレにいきたくなったりするので映画館とかに行きづらくなったこと。どうしても観たい時は、数時間前から絶食絶飲してます。

お金のこと

日本ではありがたいことに、健康保険の制度が充実しているのでそもそも医療費は3割。あとさらにありがたいことに、同一月(1日から月末まで)にかかった医療費の自己負担額が高額になった場合、一定の金額(自己負担限度額)を超えた分が、あとで払い戻される高額療養費制度が日本にはあります。

ベッドの個室料金や食事代は適用外なのでどうしても入院が長くなると高くつきますが、この制度によってかなり助かりました。ただこの制度の難点として、月単位で医療費を計算するので月をまたがって入院した場合は損します。なんとか入院した月に退院しようとする患者が多いのはそのためです。

退院後も脳のMRIを定期的にとる必要があったので、数か月に1回何千円か飛んでいきました。●●生命とかの保険には入っていなかったので、入っていたら得していたなと思ったけれどそれは結果論。ただあると安心って気持ちが少しわかりました。

頼りになった人のこと

私は実家が福岡で両親はそちらに住んでいるので、頼りになったのは前述した親しい友人。そして前述した従姉妹とその家族です。友人は入院当日に真っ先に荷物を届けてくれたり、こっちが誰かと連絡したい時のlineに付き合ってくれました。

従姉妹とその家族は1週間に1回ほどのペースで来てくださり、高額療養費に必要な書類の手配や、入院中の衣服の洗濯や必要なものを購入してくれました。

いざ、って時に頼れるのは近くに住んでいる人だと痛感したので、今後も身近な人は大切にしていきたい所存です。なお現在義理の両親の家から歩いて12分のところに住んでいるので、お互い頼っていざという時は助け合いたいものです。

メンタルのこと

よく看護師の匿名ツイートでやばい患者のことを見聞きしましたが、実際に入院中はメンタルがやられて誰かに当たる気持ちがわかりました。が、そこは大人なので誰かとlineしたり、お見舞いに来てくれた人と話をしたり、twitterのサブ垢の顔も知らないフォロワーと絡んだりしてリフレッシュしてました。

ただ一晩だけ謎に号泣した事があったので、ある程度メンタルはやられていたんだなと振り返って思います。「なんで自分が。。。」と泣いてました。

暇つぶしのこと

2020年5月現在、あまり外出できない日々が続き暇って感じる事が多いと思いますが、入院中とあまり変わらないかもです。wifiがあればインターネットにつながるPCはあって、テレビもあります。病室にamazonで本とかを届けることもできるので、行動範囲が病院内って事以外はそんなに今と変わりません。

youtubeみたり、amazonプライムビデオみたり、kindle読んだりと比較的大丈夫でした。逆にそういうものを持っていなかったら恐ろしく暇だと思います。

脳幹脳炎と病気の情報源のこと

自分の病気が結局なんだったかというと、抗MOG抗体(中枢神経系の神経線維せんいを覆う「ミエリン」を構成する成分を攻撃する抗体)に伴う脳幹脳炎のようです。現在東北大学で研究中でまた分かっていないことが多い模様。なお私の症状だけで論文書ける案件だったようです。

入院していると、病気のことが不安になりあらゆる事を知りたくなりますが、大切なのはその情報源。一番確実なのが主治医で(よっぽどじゃない限り、情報の信用性は高い)、もっと知りたいと思ったら医師が書いている論文や、病院のホームページになどにちょろっと書いてある症状例がおすすめです。

yahoo知恵袋などで、できるだけ自分に近しい症状の人の体験談を参考にしたい気持ちはあるかと思いますが、あくまで個人の事例なので参考程度にしましょう。
このnoteの記事と同様に。

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