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モモ

以下の文章は自分の読書感想を思いつくまま書いたもの。個人の主観を多分に含んでいるため、苦手な方は回れ右してください。

本の情報(読了日2022/2/3)
書名:モモ
作者:ミヒャエル・エンデ
訳者:大島かおり
出版社 ‏ : ‎ 岩波書店
ASIN ‏ : ‎ B073PPWX7L

この本は、時間泥棒から盗まれた時間を取り返した女の子のお話し。ドイツ児童文学賞受賞作品。

この本はとても有名なので、あらすじを知っている人も多いのではないだろうか。自分はこの本は今この時代だからこそ読むべき本だと思う。現在、コロナウイルスにより大半の人が生活リズムを変えることを余儀なくされた。自宅でのテレワークや時差出勤など、時間の使い方について注目が集まっている。この本では時間というものが大きなテーマとなっている。

モモは小さな女の子で、浮浪児だ。この時点でモモはどの社会的立場からも逃れられたアウトサイダーのような立ち位置である。したがって物事を客観的かつ冷静にみることができ、あらゆる問題や悩みを話を聞くだけで解決させることができる。

モモのように相手が納得するまで話おえ、自分で問題を解決できるように手伝うことは並大抵の努力ではうまくいかない。モモはじっと話をきいて、必要な時だけ相手に質問を投げかけることができる。しかも、その時間を不満に思わず、友達がいて手助けできることそのものに満足している。モモは自分の幸せが何であり、どうすれば失わないか、失わないために戦う力ももっているのだ。

モモの友人のジジとベッポは対称的だ。ジジはおしゃべりな青年。ベッポは寡黙な老人だ。この友人たちの設定も絶妙だと思う。多くの場合、自分の世代のひととしか関わりがなく、別の世代の価値観を受け入れることは難しい。友人に別の世代が出現することは稀だ。しかし、モモの一番の友人は青年と老人だ。違う世代とか関わりをもつことで、違う世代の価値観や考えを知ることができ、自分の考えがいかに偏ったものか実感できるのた。モモはあらゆる現代人が失ったもの、あるいは失いつつあるものすべての象徴なのだ。

コロナウイルスによりテレワークが始まる前、自分は時間泥棒の手先になっていた。いかにしてより効率的に時間を捻出できるかに必死になっていたと思う。そして、いつも疲れ切っていた。なぜ自分がこんなに疲れているかわからず、休日はひたすら寝るという日々だった。この本に出会ってからは、時間を自分自身の満足度ではかることにした。時間泥棒の手先になることがどれほど恐ろしく、怖いことか身に染みたからだ。自分の上澄みではない本当の満足は、罪悪感が全くなく、清々しいものだと思うようになった。このままの自分だとどうなるか、モモが教えてくれた。

時間には言うまでも単位があり、誰にとっても平等だが時間の体感は人それぞれちがう。集中して物事に取り組むことも大事だが、自分の健康や娯楽のために時間を使うことも同じくらいかそれ以上に大事だと思った。

この本に登場する致死性退屈症はうつ病や統合失調症などのあらゆる精神疾患の総称だと思う。自分も生活に楽しみがなく、なんのために生きているのかと自問する日々がつづいた経験がある。自分は人生そのものを楽しみ、この世界を享受するために生きていると考える。自分にとって一番大事なものが何かよくよく考えて何を優先させたいか見つけることこそが大事だと思った。

モモという話は児童文学だ。子供だけではなく、時間泥棒の手先になっている、あるいはなったことがある大人たちこそ読むべき作品だとおもう。

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